ちょこちょこと仮のHPの構築をいじっている。
あっという間に全部やってしまうよりも、行きつつ戻りつつ。
基本的には、写真を配置してみたりしている。
文章的な部分こそ、やはり一番大事なのだなぁと思う。
実際、クラウドファンディングのページの完成までにも時間をかけた。
何度も文章を推敲して、漏れていることがないか何度も確認した。
一番大事なことは、いかに、客観的になれるのかだ。
例えば、小説の帯にある文章を、作家が書くことは殆どない。
それは、創作者だからだ。
その小説で伝えたいこと、テーマ、思っていること。
そういうことをどうしても、帯に書いてしまう。
それは、その作品の主観でしかない。
だから、帯でも宣伝コピーでも、創作者以外の人が書くことになる。
その作品の一番の売りはどこなのか?
その作品のどこをアピールするべきなのか?
コンセプトをどう伝えるのか?
どんな言葉で表せば、人をキャッチできるのか。
それは、創作とは全く別の脳で、出てくるものだ。
それに、「最高傑作!」とか、「必ず泣く!」なんて言葉は、絶対に創作者から出てこない。
小劇場の劇団のチラシは、実はその辺が大問題だと思う。
規模が小さいから、創作者の目が細かい部分まで届く分、どうしてもプロデュースの観点が弱くなる。
キャッチコピーは、やはり作品の外からその作品を観た人からしか出てこないものなのだと思う。
邦画のキャッチコピーなんかを色々と見て回ったけど。
誇大広告なんじゃないか?と思うぐらい、派手にアピールしている。
「日本映画史上、もっとも・・・うんぬん」的なキャッチコピーなんて、なんでもなく、ザラに書いてある。
監督や脚本家と、営業部、宣伝部が完全に切り離れている証拠だろう。
作家も監督も、なかなか、そんなことは書けないし、書いたら恥ずかしいと思うだろう。
いや、コピーライターが作ったとしても、そんなこと書くなよ・・・なんて思う監督も多くいるはずだ。
やはり、人が観たくなる部分。自分が観て強調したい部分を単純に強くアピールする。
そういう視点が、やはりプロモーションには不可欠なんだ。
だから、文章的な部分は後回しになる。
監督から出てくる言葉はどうしても控えめになってしまうだろうし。
おいらから出てくる言葉だって、完全な客観とはいいがたい。
そこを切り離して、営業面、宣伝面まで考えて。
色々なものを用意して、プロデューサーさんが、決定するのが一番じゃないだろうか。
全米が泣いた・・・じゃないけれど。
まぁ、今やそんなのギャグになりつつあるんだけれど。
一年間で何本、今年度ハリウッド最高傑作が上演されるんだよ!ってツッコミたくもなるけれど。
それは、当たり前で、映画を宣伝する人は、より効果的で耳に残る言葉を常に探しているだけという事だ。
そういう感覚だって、実際にはとっても大事で、ちゃんと持っているべきことだ。
もちろん、作品と乖離しすぎてしまえば、逆効果にもなるのだけれど。
役者が必ず土曜日になるとテレビに出ている。
その日に、その週に、封切になる映画の宣伝をしている。
余り大げさに言えない役者もいるけれど。
凄く面白いんだ!ということをうまく伝えようとしている。
多分、役者って、それが出来る。
主観と客観を出入りしているのが、いわゆる役者だからだ。
完全にではないにしても、かなりのレベルで出来るはずだ。
心の中では自分の芝居の反省をしていても、それが出来るのが本当の役者だ。
多分、監督が恥ずかしくて、読めないぐらいの宣伝文の方が実際は良いのだろうと思う。