恐らく、世の映画関係者は、そわそわしている時期だ。
それは、日本の映画関係者だけではない。
世界中の映画関係者、製作者や、宣伝、バイヤーに至るまで、そわそわするのだという。
4月中旬。
つまり、来週末から再来週にかけての時期に。
今も世界最大と呼ばれているカンヌ映画祭の招待作品の発表がある。
その約一週間後に、同じカンヌで同じ時期に開催される、批評家週間、監督週間のノミネートも発表される。
海外の映画サイトでは既に、本年度の候補作の予想合戦が繰り広げられている。
そのぐらい、カンヌというのは映画という世界では大きな大きなイベントなのだ。
よく聞かれるのは数千と言われる候補作全部観ているの?なんて声だ。
誰でも応募できるし、世界中から候補作が集まるのだから大変な数だ。
もちろん、それは、どうやら、応募作は、必ず誰かが全て観ているらしい。
カンヌ映画祭のディレクターはそれ自体が仕事であり、観ないわけにはいかないからだ。
そして、いくつかに絞られていく過程ではディスカッションも行われると聞く。
私はあれが良かった、ここのシーンは好きじゃない、自由に意見の交換があるという。
そして、その後、ノミネート作品が決定する。
おいらは、当たり前に、ノミネート作品というのは事前に招待状が来るんだとばかり思っていた。
もちろん、映画祭によってはそういう映画祭もあるし、応募せずに、直接招待される場合もある。
けれど、どうやら、カンヌ映画祭では、事前に招待状が届くというものではないらしい。
ほぼほぼ内定だよ・・・なんて常連の監督だったらうわさに聞くこともあるかもしれないけれど。
或いは、事前になんらかの確認がある場合もあるかもしれないけれど。
たまたまおいらが見たインタビューでは発表後に招待状が届いたというエピソードが載っていた。
もちろん、それが全てかどうかなんか確認のしようがないけれど。
まぁ、でも、だからこそ、世界の映画関係者がそわそわするのだろうと思う。
どの映画が選ばれるのか、内定などがあれば、そんなことは起きようがないと思うからだ。
実際に、4月に入ると同時に、ピリリという空気が流れるなんて、複数の記事で目にしたから。
やっぱり、本当に、ピリピリしているんだろうなぁと思う。
カンヌなんていうと、大抵の人に笑われてしまう。
それはそうだ。
下北沢で小劇場をやっている劇団が製作した映画で、世界最大の映画祭の話をしているのだから。
馬鹿だなぁなんて言われて当然の話だし、笑い話にしては、あまり趣味が良いと思えない。
それにカンヌに拘らなくても世界中に映画祭はあって、歴史や大小こそあれ、どの映画祭も素晴らしいイベントなのだ。
おいらたちの映画が、カンヌというのは、ちょっと想像もできないことだと思う。
まして、コンペティション部門に長編初監督作品というのは、毎年0~1作品しかノミネートされない。
フランス国内の監督ではなく外国の映画監督となると更に確率は狭くなるだろう。
けれど。
一応、このカンヌに合わせて、映画製作のスケジュールを汲んできた。
映像を完成させ、音声を完成させ、ラッシュを見て、完パケを作る。
それに字幕などが間に合うスケジュール。
もし、ノミネートされても、上映できるように進めてきた。
どの部門に応募したのかなどは、ともかく、カンヌ映画祭ではフィルムマーケットも開かれる。
もちろん、そこでの試写会も、数多く行われる。
コンペティション部門、ある視点部門、批評家週間、監督週間、それぞれの長編、短編、シネフォンダン。
これだけのラインがあって、なお、マーケットでの試写まで行われるのだから映画祭期間はものすごい数の映画上映がされる。
その時期に、完成していないというのは、おいらとしては、横紙破りだと思ったからだ。
だって、おいらは宣言したのだから。
「シモキタから世界へ」
本当に、世界に向かっているんだから。
だから、4月中旬に映像も音声も完成させて。
いつでも完パケのDCPの製作に入れるようにしておきたかった。
面白いよなぁ。
だって、今、世界中がそわそわしているんだよ。
自分の映画はどうだろうって、何千人も世界中でそわそわしてるんだ。
別にカンヌに選ばれることが全てではない。
パルムドールが全てではない。
ただ、この夢は世界に繋がっている。
その姿勢だけは、絶対に崩してはいけないよって思っている。
おいらはこの「Seven Girls」という映画は、世界中の人が楽しめる映画だと、本気で信じている。
地球の裏側で、すでに、この映画を観てくださっているディレクターがいるのかもしれない。
どんなことを思ったかな?
アートな映画じゃないから、眉を顰めたりしていないかな?
まったく、想像もできないけれど、確実に、世界には行っている。
たくさんの人に観てもらえる機会が、もし出来るなら、それは、最高の夢だ。
だから、それを見越して。
今も映画編集の最終段階に進んでいる。
今もずっとずっと向こうの水平線の先まで睨んでいる。