Pより香港フィルマートに出展している旨の連絡が来る。
もちろん、そのためにいくつかの校正などもあったから、おいらは月曜から始まっていることは知っている。
監督にも当然、おいらからは伝えてあるのもわかっているだろう。
それでも、律儀に、連絡をしてくださる。
でもなんだろう?
わかっていても、連絡が来るだけで、ああ、と実感してしまうのは。
でも、実はおいらは、そのメールの中の一文を読んだ時に、本当にドキリとした。
何か進展があれば報告…というくだりがあった。
「進展」?
そう、そこに行くことが目標なわけではない。
行って、そこからどう広がっていくかなのは、わかっていたつもりなのに。
具体的な「進展」という言葉は、ズシリと響いた。
進展しなくてはいけないのだ。
もちろん、マーケットはここだけではないから、まだまだ続く初戦に過ぎない。
いきなり、大きな結果を求めるなんて酷な話だと思うけれど。
けれど、なんの進展もしないのは、つまり、敗北なのだ。
商業映画とはつまりそういうことなんだと、もう一度自分に言い聞かせる。
アート・フィルムなら、そうじゃないかもしれない。
話題にならなくても素晴らしい映画がたくさんあることもわかっている。
けれど、この映画の趣旨は違う。
「セブンガールズ」という作品を、一人でも多くの人に届けるのが目標なのだとすれば。
そこを避けて通るのは、自分の目標から逃げているようなものだ。
ここではなくても、どこかで、必ず、何らかの結果を出さなければいけない。
少なくても、おいらは、そういうプレッシャーを感じながらやってきた。
海外でプロモーションしやすい作品だろうか?売りはあるだろうか?自信をもって営業できるだろうか?
その全ての責任は製作に作品にあるんだと、ずっと、思いながらやってきた。
もちろん、そんなことないよって意見もわかる。
それこそ、好きなものを作ってください。売るのはこっちで売るので。という世界もあるだろう。
いや、むしろ、基本的にはそれが通常なのではないかと思う。
多くの名監督は「俺が面白い」映画を創ってきた。
「人が面白い」映画なんて、媚びているだけじゃないかという厳しい言葉もなんども目にしてきた。
そう思っていたこともあるし、今だって、そういう部分ももちろんある。
あるのだけれど、舞台で何年も培ってきたものは、それは嘘だぞと、教えてくれる。
「俺も人も面白い」を目指さないことは、何かに目をつぶっていることなんだぜと、学んできた。
どんなにすばらしい映画でも、視点を変えれば敗北することがあるという事だ。
興行と言う視点、芸術と言う視点、賞レースという視点、話題という視点。
本来は、勝ちも負けもない表現には、そうやって、勝敗が生まれていく。
そんなものは関係ないと言っても構わないけれど。
おいらは、言いたくないというだけのことだ。
その部分にまで責任をもって取り組んでいきたいのが、おいらだ。
今回、なんらかの進展があるかどうかなんて、わからない。
でも、これから先、絶対に進展していくようにしなくちゃいけない。
絶対にだ。
ただ映画を創っただけじゃないんだ。
さあ。
雪が降るなんて予報もあるけれど。
明けたら、カラーコレクションだ。
映像が生まれ変わる日。
おいらがそこにいる意味なんかない。
けれども、そこにいること自体が意味だ。
クラウドファンディングから今日まで。
共に歩いてくださっている皆様がいる。
その存在を感じることが、たびたびある。
おいらは、その存在が想像している、遥か上に行かないといけないと、自分に日々言い聞かせている。
逃げるな。良いものを作ったと、そこで止まろうとするな。逃げるな自分。
だからこそ。
おいらは、そこに行き。
おいらは、進展を目指す。