アフレコ二回目。
毎日のように映画についてなにがしかをしていたおいらにはわからなかったけれど。
考えてみれば出演者の多くはこのアフレコが撮影以来の映画についての作業だったんだなぁ。
映像を観るのがこのアフレコが初めてだというのはわかっていたけれど。
始めて映像を観るだけじゃなくて、映画に関わることソノモノが撮影以来だったのだ。
そんなことを思いながら、レコーディングしていく。
数か月ぶりに観たあの景色をどう思っただろう。
あのセットのにおい、あのロケ地の空気。
確かに、おいらたちはあそこに集まって、毎日、撮影を重ねた。
あそこで芝居をして、それが確かに作品として残っている。
おいらにはわからない感覚。
久しぶりに見る映像。
目の前のマイクと、目の前の映像と。
セリフと芝居と。
そのことに夢中になって映像どころか、思い出すこともなかったかもしれない。
いや、そもそも、感傷的になるほどの思い出かどうかもわからない。
覚えていない部分もあるだろうし、それぞれが、きっと別の思いだろう。
アフレコなんかできないケースだってある。
収録された素材の中でなんとかして、なければ、もう仕方ないねとなる場合もあるだろう。
あるいは、もうシーンごとカットすることだってあるはずだ。
ましてや、後から演出変更の部分までアフレコできるなんてことは基本的に絶対にない。
そういう意味では本当に貴重な機会だし、自分たちで製作しているからこそだ。
今日は、別にこのままでもいいけど、一応、録音しようよという箇所もあったのだ。
それを皆は小さなタイムスリップをしながら、挑んだのだろう。
数か月のタイムスリップ。
そして、次に映像を目にする機会があるとすれば、関係者試写になるのだろう。
そこでようやく、作品に出合うことになるんだ。
その時は、もう、タイムスリップとも違う感覚になるんじゃないかなぁ。
アフレコが終わった後、何人かから、これでデラッチの作業も終わるの?なんて聞かれた。
終わらないよと、答えた。
完パケまで、まだ工程は続く。
今日録音した音声だって、おいらじゃないとしても、ここからマッチングさせていく。
録音した音声を合わせた部分には、当然足音なども消えてしまう。
その足音も、少しずつ直していく。
効果音や、テロップの作業が続く。
カラコレ用のデータの書き出し作業にも入らなくてはいけない。
今日映像を観て、すげぇ映画じゃんなんて言っていたけれど。
すげぇ、映画なんだけど。
もっと、映画になっていくんだ。
そしてね。
もっともっと、映画じゃなかったんだよ。
本当にね。
本番行きます。回りました。ヨーイ。スタート。はい、カット。オッケーです。
そんな撮影前撮影後の言葉まですべて入っている映像を切ったり張ったりして。
つじつまが合うように再構築して。
それこそ、まばたきのタイミングに合わせて、カットを繋いで。
ようやく、ここまで来たのだよ。
今頃。
皆は夢の中かな?
久々の映像を観て。
夢にあのロケ地が現れてやしないかな?
あの日々が。
少しずつ作品に近づいている。