昨日リンクしたトオルさんのBLOGを読んで思ったことがある。
・・・なんというか、その作業工程を何度も読んでしまうおいらがいたのだけれど。
思い当たることがあった。
午前中から曲を創り始めて、気づけば0時前。
夕食時に立った以外、ずっと集中していたというくだりを思ったのだ。
そういわれてみれば、おいらも、編集工程でほぼ同じような体験をしている。
録音データの貼り付けでも、そこからセリフの切り出しでも。
朝から始めて、気づけば、夜になっていたということが何度も起きた。
考えてみれば監督との編集作業でもそうだ。
午前中に集まって、煮詰まったら一服してというのを繰り返していたら、あっという間に夕方だったりする。
1つのシーンに何時間もかけていることもあった。
気付けば、一服をとるのを忘れている時間帯もあった。
それは、もう、ただの集中という言葉では説明できないのだと思う。
恐らくは、軽いトランス状態に入っているんじゃないだろうか。
もちろん、冷静な部分はある。
ものすごい俯瞰で作品を見下ろしていたりもする。
数学的な計算も必要だったりするから、そういう部分も平静だ。
けれど、明らかに熱中している部分も残している。
物語に熱中しているし、確実にスクリーンに映る映像も頭の中で同時に観ている。
つまり、二つの目だけじゃない。
いくつもの視点を同時に操っているような状態になっている。
それはやっぱり、通常状態ではないということだ。
しかもそれは、目だけだ。
同時に耳にも集中しているし、作品の前後、終盤まで想定しながらなのだから。
そういう状態なんだと、今、自分の肉体感覚ではっきりとわかる。
恐らく、トオルさんは、今、作品世界にどっぷりと入っている。
それはあの時代の、あの空気の世界に入っているということではない。
セブンガールズという映画作品が上映されている会場を想定して、それを観ているお客様を想定して。
物語のテーマを中心に置いたり、ものすごく遠く離れたところから、映像と音楽の距離感を図ったり。
映像と同時に演奏したり、離れて曲を創ったりしている、その間、頭の中には常にそれはあるんだ。
最初に観た時の衝動と、監督の想定している見せたいものと、役者の演じるパッション。
そういうものが、ほぼ並列処理で、自分の中に起きている状態のはずだ。
監督もおいらも、今、その状態から、少し抜け出ようとしている。
一度、クールダウンしてから、音楽の入った映像を確認するのだ。
タイトルやほかのいくつかの作業はしているけれど、なるべく遠くに離れた作業にしているのはそういうことだ。
監督がいつだったか、急に台本を書かなくなったりすると、書きたくなるとか。
或いは、編集に集中しすぎると、終わってから、また編集したくなるよと言っていたのもこれだ。
脳がフル回転して、トランス状態になっているような状況。
それを、後から求めてしまうのだろう。
岡本太郎さんが芸術は爆発だと言ったけれど、そのパッションは、必ず作品に残るのだ。
そして、その爆発とはきっと、この状態でしか起きないものなのだと思う。
創作のトランス状態に入った時に、ドカンと何かが爆発する。
きっと、そういう中で何かが生まれるんだと思う。
新世紀エヴァンゲリオンというアニメ映画があった。
あれを観て、本当に驚いたんだけれど。
ロボットアニメの系譜を継ぐ作品で、戦闘シーンで、第九が流れた。
ええ!そんな馬鹿な!って思った。
けれど、続編では、今度は、翼をくださいが流れた。
もうその時は驚きを越えていた。
その時に実は、あ、これ知ってる感覚だと思った。
それは、舞台稽古を重ねていて、最初にトオルさんの曲を聞いた時の感覚だ。
・・・え?ここでワルツなの?
・・・え?オーケストレーション?
・・・え?まさかの歌入りの曲がテーマ曲!?
それまでの自分の感覚を覆されるあの感覚。
それが出来るのは、何かが起きないと出来ないのだ。
きっと、今までも、舞台の曲作りでそういう時間があったのだろう。
もちろん、監督が台本と向き合っている時もそうだったのだろう。
おいらは、舞台やLIVEというリアルタイムの中でそういう状態に入ったことが何度かあるけれど。
創作では、そこまで何度もはないのだと思う。
もちろん、ゼロではないけれど、かれこれ2か月以上も、映画編集のことを考えるなんて。
そういう規模というのは初めてのはずだ。
そこは。
人間の持つ意識の最下層。
無意識と触れ合うような、本能に近い部分であるとか。
そういう部分に抵触しながら、自分の中の説明のつかない場所から何かをつかみ取る場所だ。
そこに眠る豊饒で危険で繊細でしなやかな何かを汲みだしてくる。
きっと、それが、創造の本質だ。
頭で計算したものでも、感情のものでもない、もっと本能的な何かだ。
そして、今、監督もおいらも少し寝かしている。
音楽がそこを大きく刺激するだろうと容易に想像がつく。
それがきっと、作品世界の奥行きになっていく。
無限にだって広がっていくんだ。