2017年01月10日

寄せては返す波のように

午前中から編集に向かう。
監督が遅めに入るとの連絡があったので、音声データからのセリフの切り出しを一人で続ける。
思ったよりも捗ったのだけれど、やけに首が痛くて頭痛がする。
公園に向かって、一服がてらストレッチ。
背中の筋肉をほぐして、作業を続けた。

監督が来て、2周目の編集の続き。
すでに組みあがっているシーンをさらにクリエイトしていく。
予定していた期日は大幅に過ぎているけれど、無理に急ぐこともなく丁寧に。
どのシーンもクオリティが上がっていく。
微妙な数コマのカットから、全体的なスピード感を上げていく作業まで。

お互いコワーキングスペースで、ヘッドフォンをつけているのだけれど。
そのスペースでは他の人もいる。
ちょっと奇妙に見えるんじゃないかなぁ。
だって、二人とも、真剣に話しているかと思えば、突然、ふへふへ笑い出すから。
実際に、映画館でお客様が笑うのかっていえばそういうシーンではない。
もう、編集していて、細かすぎる部分で、面白くなっちゃう箇所があるのだ。
役者がちょっと盗んで、次の準備の前準備に入るような動きだとか。
或いは、普通ならここ使わないだろうってのをほっといたりとか。
そういう、なんていうか、くだらない秘かな楽しみ。

多分なのだけれど。
映画監督や編集を目指す人は、名作をたくさん観なさい!なんて言う人もいるけれど。
そんなことよりも、好きな映画を何度も何度も飽きても飽きても観た方が良いと思う。
一度観ただけではわからないことが見えてくるし、編集の繋ぎのマジックも見えてくる。
監督の意図や、伝えたいこと、そういう部分までどんどん見えてくるはずだ。
たくさん見て、表層で終わっちゃうぐらいなら、一本を深くの方がいいんじゃないかなぁ。
少なくても、おいらは演劇ではそういう体験を何度もしている。
繰り返しから学ぶことは多いのだ。
そこで、見えてきたことがあると、その次に観た映画が違って見えてくるはずだ。

実際、もう、何度観ているのだろう。
一周目の編集、音声の貼り付け、二周目の編集、セリフの切り出し。
すくなくても4工程はやっているから、それぞれの繰り返し分の4倍は観ていることになる。
その上、通しでも観て確認しているのだから。

夕方まで、なんだか今日はとても集中して作業が続いた。
頭がわあってなると、一服したけど、わあってなるまでは二人とも、ふへふへ笑いながら作業してた。
夕方になって、監督に連絡が来て、用事が出来たから、監督のPCにデータを入れた。
昨日USBで渡したデータを、なぜかPCに移動していなかったのだ。
USBを差して再生できたからそこで満足してしまったらしい。
今回は間違いなく移動できるように、おいらがデスクトップに移動して、一度頭だけ再生しておいた。
これで、家でも確認できるし、通しでも観れる。
通しで観たら、大胆なカットもあるかもしれない。

よくそんなに何度も観れるなぁと言われそうだ。
でも、全然、観ることは出来るし、飽きることもない。
そして、映画館で見るときは、もう一度フレッシュな気持ちで観るだろうなという予感もある。
変化は少しずつなのだけれど、今のおいらには劇的な変化に感じる。
監督の感性が隅々にまで充満したら、どこまで行くだろうな?という期待感もある。

帰宅してから、編集した部分の修正。
細かいカットや差し替えをした分、音声と口の動きがずれたりしている部分を直していく。
全ての編集整理が終わってから、再度セリフの切り出しを続けた。
残り1シーン。
そこで、あえて作業を止める。
次の編集は明後日だから、ここだけは、明日、もう一度フレッシュな状態にしてからやろう。

多分ね。
飽きてからなんだよ。
芝居もそうだけど。
飽きてからしか見えないものがある。
飽きるぐらい繰り返してから、見つかる面白さって、絶対的に面白いんだな。
もちろん、初見の人が感じる箇所とかは、ちゃんとキープして狙いを定めとかないといけないけれど。
でも、深いところに残るようなものは、やっぱり、飽きても、なお、面白いと思えるものなんだな。

ただただ。
映画館で。
誰かの心が動けば、きっと幸せになるなってそう思う。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:50| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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