午前中から編集に向かう。
監督が遅めに入るとの連絡があったので、音声データからのセリフの切り出しを一人で続ける。
思ったよりも捗ったのだけれど、やけに首が痛くて頭痛がする。
公園に向かって、一服がてらストレッチ。
背中の筋肉をほぐして、作業を続けた。
監督が来て、2周目の編集の続き。
すでに組みあがっているシーンをさらにクリエイトしていく。
予定していた期日は大幅に過ぎているけれど、無理に急ぐこともなく丁寧に。
どのシーンもクオリティが上がっていく。
微妙な数コマのカットから、全体的なスピード感を上げていく作業まで。
お互いコワーキングスペースで、ヘッドフォンをつけているのだけれど。
そのスペースでは他の人もいる。
ちょっと奇妙に見えるんじゃないかなぁ。
だって、二人とも、真剣に話しているかと思えば、突然、ふへふへ笑い出すから。
実際に、映画館でお客様が笑うのかっていえばそういうシーンではない。
もう、編集していて、細かすぎる部分で、面白くなっちゃう箇所があるのだ。
役者がちょっと盗んで、次の準備の前準備に入るような動きだとか。
或いは、普通ならここ使わないだろうってのをほっといたりとか。
そういう、なんていうか、くだらない秘かな楽しみ。
多分なのだけれど。
映画監督や編集を目指す人は、名作をたくさん観なさい!なんて言う人もいるけれど。
そんなことよりも、好きな映画を何度も何度も飽きても飽きても観た方が良いと思う。
一度観ただけではわからないことが見えてくるし、編集の繋ぎのマジックも見えてくる。
監督の意図や、伝えたいこと、そういう部分までどんどん見えてくるはずだ。
たくさん見て、表層で終わっちゃうぐらいなら、一本を深くの方がいいんじゃないかなぁ。
少なくても、おいらは演劇ではそういう体験を何度もしている。
繰り返しから学ぶことは多いのだ。
そこで、見えてきたことがあると、その次に観た映画が違って見えてくるはずだ。
実際、もう、何度観ているのだろう。
一周目の編集、音声の貼り付け、二周目の編集、セリフの切り出し。
すくなくても4工程はやっているから、それぞれの繰り返し分の4倍は観ていることになる。
その上、通しでも観て確認しているのだから。
夕方まで、なんだか今日はとても集中して作業が続いた。
頭がわあってなると、一服したけど、わあってなるまでは二人とも、ふへふへ笑いながら作業してた。
夕方になって、監督に連絡が来て、用事が出来たから、監督のPCにデータを入れた。
昨日USBで渡したデータを、なぜかPCに移動していなかったのだ。
USBを差して再生できたからそこで満足してしまったらしい。
今回は間違いなく移動できるように、おいらがデスクトップに移動して、一度頭だけ再生しておいた。
これで、家でも確認できるし、通しでも観れる。
通しで観たら、大胆なカットもあるかもしれない。
よくそんなに何度も観れるなぁと言われそうだ。
でも、全然、観ることは出来るし、飽きることもない。
そして、映画館で見るときは、もう一度フレッシュな気持ちで観るだろうなという予感もある。
変化は少しずつなのだけれど、今のおいらには劇的な変化に感じる。
監督の感性が隅々にまで充満したら、どこまで行くだろうな?という期待感もある。
帰宅してから、編集した部分の修正。
細かいカットや差し替えをした分、音声と口の動きがずれたりしている部分を直していく。
全ての編集整理が終わってから、再度セリフの切り出しを続けた。
残り1シーン。
そこで、あえて作業を止める。
次の編集は明後日だから、ここだけは、明日、もう一度フレッシュな状態にしてからやろう。
多分ね。
飽きてからなんだよ。
芝居もそうだけど。
飽きてからしか見えないものがある。
飽きるぐらい繰り返してから、見つかる面白さって、絶対的に面白いんだな。
もちろん、初見の人が感じる箇所とかは、ちゃんとキープして狙いを定めとかないといけないけれど。
でも、深いところに残るようなものは、やっぱり、飽きても、なお、面白いと思えるものなんだな。
ただただ。
映画館で。
誰かの心が動けば、きっと幸せになるなってそう思う。