2016年12月31日

今年の話、去年の話

音の貼り付け作業が続く。
映像の切り貼りは、カメラで撮影した映像データに紐づいている音声で最後まで進めてある。
メインのカメラは、録音部の音声データのミックスした音源を紐づけてある。
その音声を頼りに、録音部が別に保存した録音データを1カットずつ貼り付けていくのだ。
Bカメラは、カメラのマイクで直接録音した音声になっているから、雑音もとても多い。
Bカメラの音声は雑音で、自動同期が聞かないことも多くて、微妙な1コマずつの調整も必要になったりする。

音声を貼り付けるだけで、劇的につないだ映像が、映画に近くなっていく。
もちろん、まだ必要じゃない雑音も混ざっているデータになるし、セリフごとのレベル調整もできていない。
MAでお任せできる部分と、自分たちで追い込む部分の境界線がまだちょっとわかっていないけれど。
それでも、出来る範囲でやっていきたいなぁと考える。
ざっくりとした一括でのレベル調整、最適バランスぐらいにはしておきたい。
LRパンまでになると、さすがに、専門職にお任せした方が良いと思うけれど。

録音データは、基本的にモノラルデータだ。
だから、ステレオ感はなくなっていく。
それなのに、雑音がなくなるだけで、全然、作品がきれいになっていくのだから、嬉しい。
進むときは一気に、何シーンも進むのだけれど。
流石に、後半のクライマックス近くになってくると、時間がかかった。
調整が必要なシーンがとても多い。
予測では、終わっている頃だったのだけれど。
クライマックスを残して、今日はおしまい。
大晦日にも作業を残すことになった。

まぁ、編集で年を越すなぁとは思っていたけれどさ。

昔はピンマイクもなかったはずだし、ガンマイクの性能にだって差があったはずだ。
そして、完パケデータはフィルムで、映像とタイムコードでリンクさせて、同時にフィルムに焼き付けていたわけだ。
そう考えると、音声と映像のマッチングが一番、デジタルでは恩恵があるんじゃないだろうか。
実際に古い映画を観ると、ちょっとセリフが聞き取りづらいなんてのは、よくあったりする。
逆に、アフレコ感がものすごいシーンが普通に出てきて驚いたりもする。
それでも成立させるように、録音職人たちがいたのだろうなぁ。

今日はここまでか。
途中、夕食後に、気絶したように眠ってしまった。悔しいなぁ。
もっともっと寝ないで動ける人間だったら進んでいるのに。
明けて大晦日は、家を出たり、そばを食べたり、やることがあるだろう。

このBLOGも2016年最後のエントリーだ。

2016年12月31日
366歩のマーチは、一日一歩、三日で三歩、三歩歩いて二歩下がるような日々だった。
音声がきれいになって、編集の直しを入れて、白版が組みあがったら。
監督とおいら以外の人が、この映像群を目にする機会も出てくるだろう。
その時、どんな反応が返ってくるのだろうか。
1月に入れば、そういうことが始まっていく。
つまり、監督の頭の中にあったものを、実現化すると動き始めて。
いよいよ頭の中から、誰かの元に届くのだ。
初めはスタッフさんから、一人ずつ広がっていくのだ。
イメージだったものが、実際に出来上がって、広がっていくのだ。

つまり、そういうことだ。
2016年は、製作の日々。
そして。
2017年は、作品が広がっていく日々になるのだ。

どこまでもどこまでも広がってほしい。
まだ逢ったこともない地球の裏側に住んでいる誰かにも観てほしい。

おいらの2016年は。
おいらの2017年に試されるのだ。
来年、おいらは、たくさんの人に、さらされる。
おいらの今の全てを詰め込んだこの映画だ。
それが、来年は、外に向かっていくんだ。

それはまるで夢のようで。
それはまるで悪夢のようで。
とっても不思議な幻想のようだ。

ロケ地を探し回った日々が。
打ち合わせを重ねた日々が。
稽古を積み重ねていった日々が。
悔しかった日々が。
辛かった日々が。
セットを設営していった日々が。
撮影をしたあの濃厚な日々が。
そして、監督と二人で編集を重ねていった日々が。
あと18時間もすれば、去年の話になってしまうよ。

さあ、もう一歩踏み出そう。
何もしなければ、何もないいつもの大晦日だっただろう。
何かを始めたから、こんな大晦日なのだから。

そして迎えよう。
新しき春を。
新しき年を。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 06:19| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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