関東に台風上陸。
10年以上直接上陸がなかったなんて驚いた。
大なり小なりの被害が皆様にもあったと思います。
おいらにも多少はありました。
避難勧告も出ました。
でも、幸い大きな被害はなく済みました。
北海道は大変だな・・・。
連日になってる。
今日のこの台風はそのままこの夏、北海道3度目の台風になる。
10号の動きも不気味です。
皆様に大きな被害がないよう、お祈りしています。
倒木などには、近づかないでください。
それと、切れた電線を見かけても、絶対に近づかないでください。
半日で8月の平均雨量以上の降水・・・。
台風国家の日本の首都だから、この程度で済んだのだと思います。
おいらの子供の頃なんかは、わりと大きな河川も氾濫したけれども。
今は、河川敷の土手とか、排水処理とか、地下排水とか、地下貯水池が充実しています。
かく言う、おいらの家の傍にも、細いですが川が流れていて、かつては、何度も氾濫したそうです。
だから、今は、川沿いに建つ商業施設などの地下には地下貯水池があります。
また他の川との合流地点ごとに貯水するポイントがあって、かつ、危険水位になればすぐにわかる管理センターもあります。
おいらの家はその川よりも少しだけ高い位置にあるから氾濫してもそこまで被害にならないと思いますが・・・。
こんな雨だったら、数十年前だったら氾濫していたと思います。
まだ子供たちは、夏休みが残っていると思います。
でも、遊びに行くのなら、なるべく大人が付いていくか、事前に注意してあげてください。
海は荒れています。川は水位が上がっています。山は地盤が緩んでいます。
子供の頃、防波堤のある所で台風の次の日に泳いで、波に飲まれるのを楽しんだ経験があります。
信じられないぐらい、強い波の力です。
知らずに、防波堤のない場所で遊べば、あっという間に沖に攫われます。
量は力です。
おいらの芝居の師匠はアングラと呼ばれる世界で知る人ぞ知る演出家でした。
おいらが出会った頃、それまでやってきた劇団を解散して、新たに別の芝居を探し始めていました。
その頃、ぶしつけなおいらは、劇団を解散して何が一番変わったのか聞いたことがあります。
その時、はっきりと、「人数」と答えました。
劇団を解散した結果、新しいグループにして、役者が半数近くに減っていたのです。
誰がいなくなったのが大きいとか、ではなく、シンプルに「人数」。
舞台上に、人数が乗っているだけで、それはもう、パワーなのだと言いました。
数が減れば、隙間が出来ます。
その隙間を、役者は埋めていきます。
そこに役者が喜びを感じるかもしれないけれど、演出家の目から見れば、パワーダウンなのだと。
これは、ちょっと意外で、驚きました。
リオ五輪、最終日の夜。
サッカーの決勝。
地球の反対の日本では朝早かったですが、たまたま延長の時間に起きて、そこから観ました。
結果的に同点で終わり、PK戦までもつれ、報道のように、ブラジルが初のサッカー金メダルを獲得しました。
ブラジルW杯や、コパ・アメリカから続く、大河ドラマは、シナリオライターがいるかのような結末を迎えました。
ただ、おいらが本当に感動したのは、サッカーではありませんでした。
サッカー大国と呼ばれるブラジルという国の底力というか、全員が立ち上がった姿です。
スタジアムだけではありませんでした。
パブリックビューイングで、道路で、右でも、左でも。
とにかく、国民すべてが、ネイマール選手のゴールが決まった瞬間に歓喜の声を上げたのです。
まさに国全体が一つになるというのを目の当たりにしました。
その姿に感動を覚えたのです。
スポーツによるナショナリズム高揚なんて言い方をする人もいますけれど。
スポーツでそれが出来るなら、これはこれで素晴らしいです。
おいらは、例えばバンドのライブでも、会場が一つになる瞬間を観ると背中に電気が走ります。
それの、数百万倍を目の当たりにしてしまった気分でした。
量は力なのです。
セブンガールズという企画の一番の無茶は、もしかしたら、時代劇であることではないです。
その量です。
大作映画でも、中々、これだけの登場人物は出てきません。
最近なら、ロクヨンやシン・ゴジラぐらいじゃないでしょうか?
エキストラではなく、本役がこれだけ出演する日本映画は、中々見当たりません。
分量はもちろん、登場人物の人数、エピソードの数。
いつも舞台で当たり前にやっていても、映画の世界では余りないのです。
薄めて量を増やすのではなく、濃いままその量を閉じ込めようとしているのです。
終戦後の餓死者数であるとか。
GHQが起こしたわかっているだけのレイプ事件の数だとか。
おいらが調べた中で、ここにも書きたくないような数もあります。
その量は、人を狂わせるに十分な情報だからです。
量はやはり力です。
力だからこそ、個を簡単に飲み込んでいきます。
それは利用もできるけれど、危険なものでもあります。
正しく理解できるかできないかで、大きく変わります。
この量の持つ力に対抗できる個があるとすれば、それは理解だと思います。
だから、どうか、台風の雨量というものは、更にその理解を超える水量なのだと。
そんなことを思った次第です。
きっと、今、頭の中にあるテーマにこの台風のことまで近づいてきてしまって。
そういう発想になっているだけなのですけれど。