変な時間に眠ってしまって、変な時間に起きる。
もう一度、眠ってしまう前に。
先日、今、一番人気のスーパードクターXのスペシャルが放送されていた。
ゲストにたけしさんを迎えた豪華な内容だった。
物語というよりも、面白い俳優が集まっているから芝居ばかり観てしまった・・・。
その中で、一番印象に残っているのが、西田敏行さんと遠藤憲一さんの軽妙なやり取りだった。
あれは、観ている人たちには伝わったのかな?
完全にアドリブのやり取りだった。
編集で、どこで切るか悩んじゃってる感じまであった。
テレビでも映画でも、もちろん、舞台でも、アドリブっていうのはある。
舞台は生だから、映像よりもわかりやすいと思う。
やっぱりフレッシュなリアクションが生まれたりするし、あえてわかるようにもする。
舞台は一回性のものだから、その日しか観れないものを織り交ぜるとお客様が喜ぶ。
今日、この回に来た人しか知らないという特別性が加わるからだ。
稽古されて用意された芝居こそ至上という思想があって、アドリブを嫌う俳優もいる。
おいらは、わりにフレキシブルで、その場で生まれるリアクションの良さを否定していない。
芝居というのは2名以上の意識の交換であるのだから、そこで生まれるものは稽古通りでもアドリブでも同じ。
生まれたものこそ、もっとも美しいのだと思っている。
創ったものの何倍も美しい。
だから、稽古で感情を創るのではなくて、稽古では感情が生まれる芝居をいつも探している。
そういうスタンスだから、たぶん、通常の俳優よりも、幾分かアドリブに対して寛容だと思う。
稽古通りで感情が生まれたら、それも美しいと思っている。
もちろん、演出意図を出来る限り外れないならだ。
そこが笑いのシーンかシリアスのシーンか、落ちか前振りか、わかっていていじれるのであればという条件付きだけど。
いつだったかのちょっとした撮影があった時。
監督さんに、小野寺さん、ここ、色々なこと言ってください!と頼まれた。
セリフはない。
でも、色々。
いや、あの、それ、無茶ぶりですよ。なんて言い返さない。
そこから先は全部アドリブだけど、しょうがないから色々なことを言った。
シチュエーションは決まっているから言いそうな事を並べた。
撮影スタッフはそれが面白かったらしくて、笑いをこらえながら一発OKになった。
結果的に出来上がった映像を観たら、ちゃんと使われていて、驚いた。
映像分野でも、アドリブ力っていうのが必要になるんだなぁとつくづく思った。
現場で、ここは、俳優に任せたいと方針が変わる場合もきっとあるのだと思う。
おいらが、そのすごさに初めて気付いたのはまだ10代の頃だった。
男はつらいよを初めて映画館で観て、その面白さに気づき、何度か足を運んでいた。
確か正月映画の同時上映だったと思うのだけど。
釣りバカ日誌のとあるシーンで、大爆笑をした。
それが、西田敏行さん演じる浜ちゃんと、谷啓さん演じる課長のやりとりだった。
シチュエーションはいつもの通り。
駄目社員浜ちゃんを今日こそは真面目に働かせようとする課長と。
とにかく、仕事は早めに切り上げて釣りに行きたい浜ちゃんと。
2人の軽妙なやり取りだ。
とにかく怒る課長に対して、浜ちゃんはすごく真面目に、とんちんかんなことを言う。
お互いが自分の論理で話しているんだけど、まったく噛み合わない。
結局、浜ちゃんは、帰っちゃうんだけど、まぁ、よくもこんなに面白く出来るなぁと感心した。
でも、本当に驚いたのは家に帰ってからだ。
映画パンフレットだか、何周年記念ブックレットだったか?
とにかく、シナリオがついているというのがあって、映画館で購入して、家で横になって読んだ。
浜ちゃんと課長のいつものシーンがシナリオに出てきたときに、おいらは、飛び起きた。
なんと、たったの一つも映画と同じセリフがない。
大爆笑したから、とてもそのシーンをよく覚えていたのだけど、完全にシナリオとは別物だった。
こんなに違う事やって許されるってどういうことなんだろう??とちょっと悩むぐらいだった。
それに、あんなに面白いことをその場その場で創り上げていくっていうのはどういう技術なんだろう?
10代で、まだまだ青二才のおいらは、アドリブについて、わりに真剣に考えていた。
当時、インプロなんて言って、全てアドリブの舞台なんかも、前衛だって言ってやっていたのを思い出した。
今も、鶴瓶さんの番組で、やってたりするあれだけどね。
でも、そういうのを観ても、面白かったためしがなかった。
稽古したくないだけなんじゃないの?ぐらいに思っていた。
だけど、そんなレベルじゃないアドリブを体感し、しかも大爆笑した自分がいる以上、ほっておけなかった。
何が高度かと言えば、許されるレベルだったという事だ。
まず、キャラクターが徹底している。
役作りが完成しているから、浜ちゃんや課長に見えたままのアドリブだった。
他の誰かや、西田さんや谷啓さんに見えてしまう瞬間すらない。
そして、きちんと、ルールに則っていた。
そのシーンで表現しなくてはいけないコト、映画の中でのそのシーンの役割。時間的な長さ。
そのルールの中で、しかも、シナリオ以上の濃密な関係性を維持したまま芝居していた。
1シーンレベルではなく、映画作品の全体像まで把握しないと出来ない事だ。
そして、何よりも、恐らく監督を始めスタッフさんを楽しませていたのだろうと思う。
カメラテストでこの芝居をいきなりやられた時に、現場スタッフは、さぞかし笑ったんだろうなぁ。
こんなに面白かったら、シナリオ通りにしてよも、言えなくなっちゃう。
そういう空気を一発で創っちゃったんだろうなぁという想像がつく。
主演だからとか、ベテランだから言い返せなかったとかではないよ、あれは。
高度だから許されたんだ。
スペシャルドラマの西田さんと遠藤憲一さんのアドリブはあれを思い出すようなやり取りだった。
印象が強いのは、遠藤憲一さんが、とても楽しそうだったことだ。
どっちが先に仕掛けたのかも、予定通りなのかもわからないけれど、やりたかったんだろうなぁ。
はっきりとした上下関係があってのアドリブだから、やりやすいっていうのもあったと思うのだけれど。
それまでのシナリオとそこだけ口語体が色が違っちゃってるんだから、すぐにわかった。
もし、おいらが西田さんとの掛け合いで、アドリブで振られたら。
やっぱり、とっても嬉しくなるだろうなぁって思った。
それは、何かを認められた証だし、客席側で楽しんだものだからだ。
今度の映画でアドリブが出来そうな場面なんかない。
というか、そもそも撮影期間が短いのだから時間もない。
ただ、あの精神性というか。
アドリブが来ても返せるような状況というか。
そこまでは、自分の中で常に構築するべきだよって思う。
泣きめし今日子2で、ちょっとだけ運転手として出演したんだけどね。
車の中で、トムさんと二人で、セッティング待ちしているとき。
トムさん、練習する振りして、めちゃくちゃなアドリブを何度も振ってきた。
あれは、緊張をほぐそうとしてくれていたんだと思う。
ちょっとだけ、めんどくさいなぁと思いつつも、クスクス笑いながら運転手として答えてた。
時々、つっこんじゃったけど。
あれって、音声さんには聞こえてたんだろうなぁ。
多分、アドリブっていうのは、役作りをした上での、ストレッチにもなる。
ちゃんと、その役になってますか?っていうお互いの確認。
トムさんから、学んだことだ。
形だけの演技じゃ、出来ないのがアドリブって事だ。
その役が言いそうな事、しそうなリアクション、それが瞬時に出てくるのか。
インプロって、未だにどこか納得いかないおいらだけど。
アドリブって、思っているより大事な事なんだよなと、思っている。