今日は珍しく稽古が休みだった。
撮影日までもう稽古の休みはないから、どうしようかと思っていたのだけれど。
今朝がたやっていた、サッカーのユーロ2016をついつい観てしまった。
明け方5時に終わる予定がそこから延長。
更に5時半からの、PK。
最後の一瞬まで、集中して観てしまったよ。
本当に観て良かった。
最後のPK戦は、きっと、観ていた人は忘れられないPKになったと思う。
20年近く世界最高ゴールキーパーと言われたイタリアのブッフォン選手。
そしてここ数年で、世界最高ゴールキーパーと言われるようになったノイアー選手。
2人のゴールキーパーの戦いは、とにかく信じられない内容だった。
PKっていうのは、キッカーに圧倒的有利で80%以上決まると言われているのに。
何人もの選手が外して、止められて、それはもう既にPK戦という枠を超えた戦いになってた。
オーラというものを信じるだろうか?
おいらは、なんか霊能者的なオーラが見える人とかは、全く信じていない。
それは、たぶん、オーラじゃないよなって思う。
音を色で解釈できる人とかと同じ脳の働き方をしているんじゃないかなぁと思っている。
あなたは、紫ですとか、ピンクですとか、見えている人には確かに見えているのかもしれないけれど。
それは、別に性格や運命を表しているんじゃなくて、観ている人の印象の一つだろうなって思っている。
だけど、じゃあ、オーラのようなものはないのか?って聞かれると、それはあると思っている。
例えば、野生動物であれば、山中で何者かに出会った瞬間にそれが敵かどうか判断しなくては生きていけない。
恐らくはアドレナリンなどのホルモンの微かなにおいや、僅かな表情、肉食動物の持つ体臭など。
様々な要素が重なって、瞬間的に危険度を感じているのだと思う。
草食動物なんかは、視界に入っていなくても気配だけで感じているのは映像でも確かだ。
この気配というのは、やはり、どう考えてもあると言わざるを得ない。
もちろん、化学的に解明できる範囲内でだ。
まさに、今回のキーパー対決は、オーラ対決だったと思う。
とにかく、普通のゴールよりもずっと狭く見える。
キーパーが、異常に大きくて、手足が長いように見える。
キッカーが、どこに蹴っても止めてしまうんじゃないかというように見える。
テレビでもそう見えるのだから、実際に、ペナルティエリア内の選手にはもっとそう見えたはずだ。
ただでさえ120分走って足も攣っているような選手が、コーナーを狙ってしまう。
結果的に外してしまう。
逆にコースが甘くなると、止められてしまう。
普通のPK対決であれば、あんなスコアになるはずがないような決定率でPKが進んでいく。
まるで、千代の富士と若い頃の貴乃花のような新旧対決だった。
それまでの実績と、技術と、他者の畏敬と、本人の自信と、そして気迫、観客の期待。
全てが、はまって、あれだけの巨大なキーパーが生まれたのだと思う。
観客の殆どが、素晴らしいセービングを期待していた。
とんでもない何かが起こると、誰もが思っていた。
あんな中、キッカーは大変だったはずだ。
幕末の作品を劇団でやることになった時に、デビッド・宮原がオーラについて話した。
坂本龍馬でも、桂小五郎でも、西郷隆盛でも。
とにかく、歴史的な大人物を演じる以上、絶対にオーラが必要だという話だった。
それがないと、説得力が生まれないからだ。
ああ、この男なら、日本を動かしてもおかしくない。
そう思えてしまうような、一見でわかるものだ。
例えば電車に乗ったってそう。
やけに存在感のある人が、時々いたりする。
それは、その人の経験と、たたずまいと、表情に全て出ている。
あれは、別に体の外側にぼわっと何かが光っているわけではなくて、経験則から感じる何かがあるのだと思うよ。
そして、それがオーラだ。
映画作品であれば、大抵、どの映画でも有名俳優が出演している。
低予算映画でも、最近は、俳優側が積極的に出演するようになったようだ。
有名俳優が出演していない映画がないわけではない。
それが海外で賞をとったというニュースも、つい最近もあったぐらいだ。
でも、ほとんど、そういう作品は少ないと言っていい。
そうなった時に、出来上がった作品を観て、何か物足りないと思われてしまうかもしれない。
でも、もし、それを思われないですむとすれば、それは、やっぱりオーラなんじゃないだろうか?
何故なら、おいらは今まで何度もあるからだ。
映画でもテレビでも観ていて。
え?この人誰?って思ってついつい調べてしまう事が。
最近だったら、例えば舞踏の田中泯さんが、ドラマに出てあれ?って思った人は多いんじゃないだろうか。
それまで舞台で活躍していた、吉田鋼太郎さんをテレビで初めて観た人が、調べたりしたんじゃないだろうか?
相棒の犯人役とかでも、あ!この役者、やばいと思うと、絶対にあとあと出てくる。
そういう俳優は、何かを纏っている。
もちろん、技術も必要だ。
もちろん、経験も必要だ。
だけど、それだけでは、たぶん、あのオーラのようなものは出ない。
内側から湧いてくる自信と、そして気迫。
この2つがないと、出てこない。
そして、それがあれば、恐らく、何かが体内から出る。
それは多分科学的にも証明できるものだ。
脳波であるとか声紋であるとか、一種の波形なのかもしれない。
脳から発生するホルモンかもしれないし、皮膚下を流れる弱電流かもしれない。
ただ、どうやら、確実にあるであろうものだ。
不思議なことに、それがあれば。
観ている人は、有名な俳優がいなくても物足りなく感じることなんかなくなる。
おいらたちはそれを「本物」と呼ぶ。
あ、本物だ。
そう言葉にする。
オーラがあるなんて言わない。
本物を目指したい。
出来るだけ。少しでも。
本物でありたい。
本物のゴールキーパーを観て、つくづく思ったことだ。