時々、道路に留まっているミキサー車を見て、あれ?と思う事がある。
トーリクンコ生と書かれていて、なんだか読みづらいなぁと思うからだ。
でも、実は、ミキサー車は車の先頭から文字を読ませるだけで、コンクリートと書かれているだけ。
ミキサー車の右側から見たり左側から見たりで、変わってしまうようだ。
昭和初期の看板や、本を見ても同じようになる。
横書きは右から左に書くケースが非常に多い。
「ーョチンキ」なんて書かれていると、どう読めばわからなくて混乱する。
結局、英語が左から右に読むから、占領軍の時代にごっちゃになって、やがて左からになってきたようだ。
終戦直後のパンパン宿や旅館の写真は意外に残っていないけれど。
50年代に入ってからのカフェ時代の写真はよく残っている。
その時代だと、まだ右からの方が多い。
占領軍が立ち寄るような店だと、英語は左から、日本語は右からだったりする。
大道具でも小道具でも、なるべく縦書きにすれば済むのだけれど・・・。
実際に映画だとどうなのだろう?
現実は右から書くのだとしても、映画の観覧客が一瞬で読めないという矛盾。
どうやら映画ではどちらのケースもあるようだ。
流石に、羅生門は、「門生羅」だけれど。
リアルを求めるか、わかりやすさを求めるか。
そこの部分だ。
考えてみれば、舞台の時のパンパン宿の名前が「雨のち晴れ」
逆から書くと「れ晴ちの雨」で、なんだか、意味が逆に見えてしまうかもしれない。
まぁ、今度の宿の名前は少しだけ違うから平気だけれど。
職人の世界ではよく、「ディティールに神が宿る」なんて言われる。
細かい部分にこだわれば、そこに何かが生まれるらしい。
細かすぎるようだけれど、気になってしまう。
そんなことを考えながら、とある小道具を製作していた。
舞台ではなかったエピソードだ。
まぁ、NGが出るかもしれないけれど。
直しがあるなら早めの方が良いかと思って。
細かい部分まで作り込んだけれど。
どうだろうなぁ。