映画化が決まったその瞬間。
稽古場にはメンバーが集まっていた。
正確には、集まりかけていたメンバーもいた。
それぞれが、それぞれに喜んだ。
その後、一通り話した。
ここからが大変な事。
覚悟しようぜという事。
とは言え、役者だ。
役者が何を頑張るのだ。
いつも通りじゃないか。
そう思うかもしれない。
いつも通り。
でも。
なんだかいつもと少しだけ違う。
決まったことは単純だった。
よし、じゃあ、もう来週からセブンガールズの稽古をしようぜ。
その一言だった。
この際、通しちゃうか?
そんな一言だった。
既に4回もの再演をしている作品。
去年の10月に上演をした作品。
まだ記憶に新しい中、もう一度稽古をする。
そして、更に今までよりももう一段回、深く役を理解する。
自分の役を自分のものにする。
いや、その役の人物になりきるという事に今から挑戦していく。
簡単なことだ。
応援してくださった皆様がいる。
その皆様においらたちが出来る唯一のことかもしれない。
皆様に対して出来ることは、より作品世界を濃くしていくことだ。
どこの役者にも出来ない。
自分たちにしか出来ない。
撮影日が決まってもいないのに、稽古が始まる。
信じられるだろうか?
つい先日Youtubeで観た方もいると思う。
あの作品が今週稽古場で観客のないまま、もう一度上演される。
ただ、作品を理解するためだけに、衣装も付けずに。
あの子たちが、再び、稽古場に現れるのだ。
そして、稽古にはカメラが導入されることになる。
徐々にだけれど、カメラを導入して、モニタで確認しながら自分の演技を深くしていく。
そういう稽古を撮影日も決まる遥か前から、監督と共にやっていく。
今までにない部分・・・例えばヨリ(アップ)だとか、長回しだとか、立ち位置だとか。
とにかく、映像にしてその演技を更に良くするという事を繰り返していく。
普通の映画製作でも考えられないような夢のような稽古時間が始まる。
もちろん、キャストが完全に決まったわけではない。
前回の舞台と完全に同じになるのかどうかもまだ決定じゃない。
監督の映像の方向性なども決定していない。
だからとして、じっとなんかしていられない。
出演する役者は、ただ喜んでいてはダメなのだ。
たくさんの皆様の応援に応える。
ある意味でオーディションなどよりも過酷だ。
既に完成している芝居を更にブラッシュアップしなくてはいけない。
目に見えて変化するのはきっと稀だ。
少しだけ変化する。その変化をきちんとキャッチしていく。
そういう作業になる。
逆を言えば、そういう作業を越えないとダメだという事だ。
監督の意図を素早くキャッチして、すぐに芝居に反映させる。
それを出来ないと、編集段階でカットされてしまうだけだ。
だから、その反射神経を磨いていかなくちゃいけない。
まずは稽古。
まずは精進。
そこからしかスタートしない。
千里の道もなんとやらなのだ。