逆に、映像出身の俳優は、舞台は違うと言う人が多かったりする。
同じ演じるでも、アングルで随分と違うものだなぁと思う。
演じることがもし変わらないのだとすればきっと作品が違う。
明確に違うことは2つ。
残ることと、編集することだ。
吉田トオルさんのことを書いた時にも、逆の作業になると書いたけれど。
監督と演出家の作業も多分、逆になる。
舞台の演出家は、演出を重ねる。
そして、本番は後からやってくる。
本番がやってきてしまったら、手を加えることはできない。
けれど、映画監督は逆だ。
撮影をしてから、編集という形で演出が出来る。
音楽を入れたり、カットをしたり、エフェクトをかけたり。
演技が終わってからの演出があるのが映像だ。
「ラブストーリーに罪はない」の制作の時、それと音楽PVの制作の時。
デビッド・宮原と共に、編集の場にいた。
舞台の時とは違う演出が、たくさん入って、非常に面白かったのを覚えている。
全体のテンポや流れ。そういうものまで、手を入れていく。
もちろん、芝居が良くないと、どんなに編集したって、最高まではいかないのだと思う。
良い芝居を撮影できれば、後は、監督の感性で、大きく映像は変わっていく。
デビッドさんは、文章を書いたこともあるし、自分のバンドのCDもレコーディングしている。
全体の流れやテンポ、違和感の排除。記録するものでは全て共通して持っているものがある。
とても、敏感な監督だった。
それと何よりも残ることだ。
もちろん、舞台も撮影をして編集をして、DVDに焼いて残してある。
でも、これは、デビッド・宮原は観ない。
そして、それほど、撮影を好んでいない。
何故なら、舞台で行われたことの編集されたものはきっとまだ自分の作品と言い切れるものではないからだ。
それでも撮影を続けているのは、もちろん、アーカイブとして残していくためであり、同時に資料にもなっているからだ。
デビッド・宮原や役者達を知らない人には、これを渡すことで何よりも大きな資料になる。
足を運んでくださったお客様に喜んでもらえるグッズにもなる。
でも、やはりこれは、記録であって、作品というには少し足りないのだと思う。
Twitterで「かぶく者」と検索してみるとわかる。
今でも、デビッド・宮原が原作をして週刊モーニングで連載した漫画のことをつぶやく人がいる。
たまたま読んだ人、歴代好きな漫画リスト、歌舞伎を見て思い出した人。
「かぶく者」は、出版された漫画として、今もファンを増やし続けているのがわかる。
デビッド・宮原が作品として残したモノの一つだ。
きっと、「セブンガールズ」を映画化しなくても、デビッド・宮原の作品は残っていく。
「泣きめし今日子」だって、放送が終わっても、インターネットで少しずつファンが増え続けるだろう。
そして、これからもデビッド・宮原の創作が終わるとは思えない。
きっと、他にも様々な作品を発表していくはずだ。
映画だって。漫画だって。もしかしたら音楽や小説だって生まれるかもしれない。
でも、劇団前方公演墳の役者とお客様だけが知っているはずだ。
本当の傑作がココにあるんだということを。
「セブンガールズ」だけじゃない。
今まで、すごい作品が何度も生まれてきた。
でも、知っているのは、おいらたちだけだ。
「かぶく者」しか知らない誰かに教えたい。
コイユキだって、トケオチだって、イケダヤだって、ネメシスだって。
面白いんだぜって、伝えたい。
舞台はその時に生まれる一瞬のエンターテイメントだ。
LIVEだ。
ただ、そのLIVEの中で、「本当の作品」にするべき、台本があったということだ。
「セブンガールズ」を撮影して。
デビッド・宮原が編集して作品に仕上げた時。
それは、どんな作品になるだろう?