2020年08月11日

公開88日目

別府ブルーバード劇場、終戦75周年特集での上映が終わりました。
ご来場いただきました皆様、誠にありがとうございました。
上映を決めていただいた別府ブルーバード劇場さま、感謝いたします。
例え上映がなくても、もう一度、あの湯煙の街に行って、かぼすを絞ったそばを食べたいです。
今も昭和の香りが色濃く残るあの街、あの映画館。
今回の上映で知った皆様もいつか旅して欲しいです。
今は場所によっては移動が厳しい時期ですが、きっと忘れられない日になると思います。

現時点で次の上映は決まっていないです。
こういう状況ですから、中々、難しいと思っています。
もしかしたら映画館でかかる最後の日だったのかもしれないのか。
そんなことをふと思っています。
またどこかで皆様と出逢えたらと願っています。

体温を越えるような熱射を越えて日が落ちてから。
ああ、もう上映が終わったなぁ。そんなことを思いながら玄関を開けると。
慌てたようにまるまると太った家守が逃げていきました。
いつかみつけてそっと逃がした子供の家守がその後も家を守ってくれていてここまで育ったのかもしれない。
そんなことを思いながら、何もしないからあわてないでと話しかけました。

まだまだ上映していない地区はあるけれど。
映画館だって産業です。商売です。
一人でも多くのお客様を呼べるような作品を求めています。
僕たちのように無名の監督で、無冠で、無名の俳優の作品は大きな話題を生み出さない限り上映は難しいのです。
それでも、ここまで多くの映画館で、封切してからまもなく2年という中で上映出来るのはすごいことなのです。
そんなの簡単には出来ないんだよと、色々な人に言われます。
上映日が一日でも伸びるように、上映館が一つでも増えるように、一人でも多くの方に観てもらえるように。
あらん限りの知恵を絞って、出来ることすべてをやってきたと思っています。
僕自身を置き去りにしてでも、作品をどうやって届ければいいのか考え続けました。
どこかで上映が終わるたびに、そんなことを一つ一つ思い出していきます。

連休が終わっていよいよお盆です。
どういうわけか日本のお盆と、終戦記念日は重なっています。
たくさんの死者を思う日々が終戦と重なっているのは偶然なのでしょうか?
東京は旧暦なので実は7月にお盆がやってきます。
東京以外の地域は殆どが、今年は8月13日に迎え火を焚いて、16日に送ると聞いております。
戦前からお盆はあるのだから偶然なのでしょうけれど。
僕はまだ小さかったころ、祖父の家でお盆を毎年迎えていたのですけれど。
ふと亡くなった祖母の存在を感じた日がありました。
特に霊の存在を、わりと子供の頃から信じていなかったのですけれど、その時はなんとなく信じました。
あれは夢だったのかもしれないです。
毎年、提灯を飾ったり、窓を開けて迎え火を焚いていたりする中で話を聞いていたので。
それでもいいのです。
時間が経った僕にはそれは夢ではなくて、ああ、ここにいるんだなという実感になっているから。
本当は日本全国で盆踊りがあって、死者を弔うというのに。
せめて心だけでも、先達を思えたらなぁと。
そしてそれは全国で、お墓参りが出来ない皆様もと願っています。
どういうわけかそんなお盆にペルセウス流星群まで重なることが多いですね。
あの流れ星の一つ一つが亡くなった人の魂だよと子供の頃に教わったことを思い出します。

2年前の封切前のお盆にセブンガールズの上映が決まったことを父に報告しました。
今年は何を報告しようかな。

今、上映機会がないという状況になって。
改めて僕はまだ果たせていない幾つかの約束について考えています。
それはセブンガールズを海外に持っていくと言ったことです。
持ってはいきましたが上映は出来ませんでした。
全国に持っていくという事もそうです。
全都道府県はおろか、上映出来なかった地方も多いです。
たくさんの皆様の支援で出来上がったこの映画で。
たくさんの皆様との約束をそのままにしている自分がどうしても許せないのです。
それはもうずっと考え続けていることです。

セブンガールズがこれからどこかで上映される機会が来るかは約束すらできないです。
そしてDVDなどのソフト化や、配信についても今はありません。
今、確かに残っているのは皆様の記憶の中だけです。

僕はそんな中ずっと考え続けていることがあります。
それは次の映画製作です。
果たせなかった約束に挑戦するにはもう一度、セブンガールズと同じように挑戦するしかない。
そう思っています。
それが困難なことである事もわかっていますけれど。
今度、僕が自分で製作するとすれば、全て自分でやるつもりです。
シナリオを書き、キャスティングして、自分が監督するつもりです。
今日まで学んだこと、今も経験し続けていること、その全てを一つの作品にしなくちゃなと思っています。
まだ時期もわからないし、そもそも資金をどうするのかも決めていないです。
クラウドファンディングからもう一度やるのか、それとも別の形にするのか。

最初はずっとセブンガールズの延長として、次に何が出来るのか考え続けていました。
でも多分この形の先は、監督自身や加藤Pや、他の誰かにお任せして考えてもらった方が良いと思ってます。
それはもうゼロからではなく、デビッド・宮原にとっては処女作ではないからです。
つまりそれは挑戦とは違った意味になる。いかに継続していくかです。
その動きの中で、撮影できるのか出来ないのかは、もう僕の領域ではないだろうと思っているのです。
次のステージに進めたらいいなぁともちろん願っています。
ただやり残したこと、僕が最初にクラウドファンディングでお約束したことだけが残ってしまう。
それはやはり挑戦であるべきで、その挑戦は僕が約束したことなのだと思います。
実際、世界への挑戦は僕ばかりがこだわっていたことでもあるのです。
今は、色々な制約を全て忘れて、より自由に考えようと思っています。
最初はセブンガールズのメンバーで、監督も同じで違う何かをとも考えたのですけれど。
同じことの繰り返しで乗り越えることが出来るような山ではないと思うのです。
誰にも応援してもらえないかもしれないけれど、ゼロから始めるしかないと思っています。

そのための反省と。
そのための経験を。
僕は繰り返しています。

この世の中には奇跡のようなことがいくつもあります。
お盆と終戦が重なったことだって、流星群が重なったことだって奇跡です。
公開からほぼ2年経過したセブンガールズが上映されたことだって奇跡です。
僕はそんなミラクルにまだ挑戦しなくちゃいけない。
創作を現実が追い抜いたコロナ禍の今の時代に。

そういう答えに辿り着くまでには色々な人に逢いました。
セブンガールズにコメントをくださった奥山和由さんとお茶を飲ませていただいた時に言われました。
僕は君が心配だよ。君が何をやるかだよ。間違いなく君の情熱が映画を生んだんだよ。
僕はその言葉に驚き、うろたえ、考え続けました。
僕自身を置き去りにして、作品を届けることばかり考えている自分を見抜かれていたのです。
多分、これを読んでいるほとんどの人にとって僕は俳優です。そして実行委員長です。
僕が創作をしたりすることを知っている人は全体的に少ないと思います。
だからセブンガールズ前よりもきっと、お前に何が出来る?と感じるだろうなぁと思ってます。
それでいいのです。
いや、そのほうがいいのです。
こんなやつに何が出来るよ?というスタートだからミラクルが起きる。
セブンガールズが奇跡を起こしたのは、劇団が映画なんか作れるのか?というスタートだったからです。
もう一度、色眼鏡で見られるような場所から奇跡を目指したいと思っています。

上映が終わりました。
でもこの奇跡にはまだまだ先があります。
いつか上映の機会が来るのか。
それとも別の形でお会いできるのか。
まだまだ何も見えないですけれど。

僕はまた一つ約束をしようと思います。
約束をしなくては皆様にお会いできないですから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:45| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月10日

公開87日目

先週の劇団オフィシャルBLOGにも書いたことだけれど。
今回の上映スケジュールを別府ブルーバード劇場さまから聞いた日からこの日に行きたいと思っていた。
飛行機で長崎空港、爆心地公園で手を合わせて、長崎駅前から別府までバス移動。
それでも上映終了時刻に間に合う計算だった。
そこまで調べ上げてあって、そうしたいとずっと願っていた。
別府から大分空港まではバスに乗るのだけれど、実はそのバス停に長崎行があることを目にしていた。
ちょっと驚いたのだけれど、そんな便があること自体が、定められたことのように感じていた。

僕にとって長崎という場所は本当はいつかゆっくりと訪ねなくてはいけない場所だ。
坂本龍馬を演じた僕は、いつか高知の桂浜と、長崎の亀山社中に立ち寄ると決めている。
大阪のシアターセブンでの上映時の舞台挨拶前に神戸海軍操練所や楠木神社に立ち寄ったのもそこからだ。
京都の近江屋や墓前にはすでに行っているけれど、今もって、日々の喧騒に言い訳をして果たせていない。
お元やグラバーや長次郎に会いに行かなくてはいけないとずっと思ったままだ。
映画「セブンガールズ」を製作したことで、長崎にはもう一つ行かなくてはいけない理由が出来た。
今回もし行けたらという予定は、ほんの少しの時間だったけれど、またしても果たせなかった。
貧しく、時間がない僕は、何もできないまま時間ばかりが過ぎていくような気がしてふと厭になる。
いつか、いつかは、いつなのだろう。
のんびり生きてちゃいけない。

明日、初めて映画を観る方もいるかもしれないから。
あまり多くの事は書かないけれど、映画「セブンガールズ」にとって8月9日に上映が出来る事は大事なことだった。
去年の上映期間中にもそれは書いたことだと思う。
その日に上映してくださることを知った時にどんなことを思ったかここに書ききれない。
きっと今日ご覧いただいた皆様には伝わると思う。
今日上映される意味。特別な上映であること。
もちろん最後のビデオレターも。

都心部ではこんな日におかしなことが起きたらしい。
それを目にしてもすべてスルーすることに決めた。
恐らくは1000人に1人にも賛同を得られないような活動。
それをわざわざSNSで批判すれば、それだけ広がって参加者が増えるだけの炎上商法。
クソダサイやつらのバカバカしい戦法にのるほどあわれではない。
批判的な行動をして、わずかな賛同者を増やすようなやり方が最近増えた。
どんな考えを持ってもいいし、どんな主張をしてもいいけれど。
それを人に押し付けたり、それを強制する要素があると僕はそっぽを向く。
ただそっぽを向きながら同時に思うことがある。
本当に伝えたいメッセージも、こういう炎上商法と同じレベルに見られてしまうのかもしれないと。
それは本当に嫌なことだ。
くだらない批判が、大事な意見を隠してしまう。
僕は今日という日にそれをやるということに強い強い嫌悪感だけを残した。

本当ならそれを別府で知ったのかもしれないんだよな。
当初の計画では、明日の最終日も滞在している予定だったのだ。
遠い別府の地で知ればまた違った感覚だったのだろうか。
それとも、台風5号の進路に冷や冷やして気付かなかったかもしれない。
九州上陸はなさそうだけれど、大気は荒れるだろうから。

もう25年も前になる。
僕は初めて台本を書いて役者を集めて自分で演出をして、舞台を創った。
その時の作品のテーマの一つが「情報化社会」だった。
メタファーとして、舞台から客席からありとあらゆる場所に細かい電線をばらまいた。
思えばあの頃はまだ携帯電話も普及していないし、インターネットも普及していなかった。
台本を書いたのだって、東芝RUPOというワープロ専門機だったのだから。
まだまだメディアはテレビと紙媒体が最強だった時代に、そんなテーマだった。
今はもう情報化社会なんて言葉が出ないぐらい、この世界は情報そのもので構築されつつある。
僕はそのことを感じながら、もっともアナログである舞台演劇という場所に立ち続けると思っていた。
まさかと思っていたけれどこのコロナ禍で演劇やライブまで情報化されつつある。
生配信であればライブだなんて僕はまやかしだと思っているのだけれど。
皮膚に感じる手触りや、痛みが、情報化される時に切り捨てられていくことが心苦しい。

戦争の記憶もアーカイブ化されているのだと今日は何度も思った。
伝えていくことが大事なのだというメッセージは正しい。
今日上がったさまざまな証言は確かに心に残った。
けれど、多くの情報の一つになってしまうのではないかと同時に思った。
明日を過ぎれば、もう原爆のことなんて忘れて生活を始める。
近隣諸国が核実験をしたら、それはそれで別の事を思う。
そうやってすべてがアーカイブ化されている。
それはもちろん生きる知恵の一つだから否定するようなものでも何でもないのだけれど。
そうではなくて、体験であったり、体感であったり、やはりただ知るだけではなくて、心が動くことが大事だと思う。
心を揺さぶられてこそ、情報はただの情報ではなくなる。
脳だけで記憶してもそれは情報に過ぎない。
身体で記憶することは同時に自分以外の誰かの想いまで記憶することなのではないかと思う。
レバノンの爆発事故の映像を観て、すげーなんて言葉でスルーしてしまいそうになる自分がいかに情報化社会に埋もれ始めてるのか自覚する。

ネットニュースもフェイクニュースも、フィクションも。
一つの情報になっていきそうで苦しくなる。
大昔に、これからの芸能は消費されていくなんて言葉を目にしたけれど。
もうとっくにそういう時代になった。
軽くて、口当たりが良くて、消費しやすいものがうけるのかもしれない。
でも、どうだろう?
僕は生きていると実感できるほどの体感を強く望んでいる。

セブンガールズが誰かにとって特別な一本になりますように。
僕は、そうパンフレットのあとがきに書いた。
消費されていく作品が悪いとも思わないけれど。
この映画を観ることが一つの体験になるとしたら、それしかないように思う。

8月9日。
この映画にとっては特別な日。
そしてこの映画は創られた物語。
フィクション。
それでも、強い強い体験になると信じるしかない。

今日も情報の上でくるくると踊り続けるザマを見た。
横目でそれを見ながら、やれやれとつぶやく。
僕はアンテナを降ろさない。
この情報化社会の中で、あらゆる情報を受信しながら。
それでも、そこでは踊らないよと、自分に言い聞かせて進もうと思う。

明日は別府ブルーバード劇場最終日。
誰かがきっと体験してくれる。
貧しさの中で、飢えの中で、それでも明日を信じて生き抜いた女たちを。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:09| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月09日

公開86日目

母親の住む家に向かっていたら大きな羽音がした。
見上げると、手が届かないぐらいの高さをオスのカブトムシがゆっくりと空を飛んでいた。
こんなのはあまり見たことがないなぁと思いながら見えなくなるまで目で追った。
人間だけが大騒ぎをしている。
毎年のように繰り返しの夏がやってきている。

抗生物質が発見されるまで風邪は厄介な病気だった。
風邪から肺炎を起こして命を落とすというのは当たり前の話だった。
江戸時代、大人になることが出来る子供は生まれた数の半数だったのだから。
だからこそ、菖蒲湯、ゆず湯、風邪をひかないための風習は今も生活に浸透したままだ。
ネギや生姜や、味噌が風邪に効くなんて言う話もたくさん残ってる。
医学が発達をしたから出産の安全率も上がったし、その後の病気も薬で多く治るようになっただけだ。
映画「セブンガールズ」は戦後の物資不足の時代を描いているから、風邪も危険な病気として描かれている。
ストレプトマイシンもペニシリンも手に入らなければ、風邪は危険な病気になった。
コロナはただの風邪と言えば、攻撃されるようになっているけれど。
そもそも風邪が危険な病気であることを勝手に忘れているだけだ。
治るようになった風邪が治らないと、こんなにも世界は変わってしまう。

恐らく日本は島国で、村社会で、結界があって、鬼瓦があって。
大昔から「風邪」の流行に敏感な国だった。
鰯の頭で猫を誘いネズミを駆除したのだって、大きな意味では疫病対策じゃないだろうか。
仏様にお線香をあげるときは手で仰ぎなさいと言われたのだってそうだ。
息を吹きかけることは不浄で、手水で手を洗い口をゆすがなくてはいけないのだから。
離島での感染が問題になっているけれど、日本の村社会は小さな集落で出来ていたのだから当たり前かもしれない。
今のような予防接種もなく、抗生物質もない時代は、疫病が原因で廃村になった場所だってあるはずだ。
日本人に死者が少ない理由は、長い歴史の中で積み上げられてきた様々な知恵が今も生活の中に浸透しているからじゃないだろうか。
イタリアやドイツで、今では玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えるようになっているなんて時代がやってきている。

カブトムシが空を飛ぶように。
実は何一つ世界は変わっていない。
変わったのは人の心だ。
それもここ数十年の人の心だ。
風邪をあなどるようになって、いつまでも平和が続くと信じて、豊かであることが当たり前になっている。
夜が明るいことだって、地球の裏側のニュースが読めることだって、当たり前じゃない。
ほんの数十年前には女性に選挙権はなかったし、国連で人種差別撤廃を提案しても取り下げられる世界だった。
僕たちは間違いなく一歩ずつ一歩ずつ、様々な人を想いながら正しい道を探し続けてる。
そんな時に地球は僕たちにもう一度問い詰めてくる。
災害や、疫病は、僕たちに当たり前のように襲ってくる。
そのたびに世界が変わっていないことを思い知らされる。
変わっている人の心が、実はとんでもない遅いスピードでしか進歩していないことを。

今、地球上で唯一、映画「セブンガールズ」が上映されている場所が別府ブルーバード劇場だ。
物語の中で卑小な人間がそれぞれ滑稽に生き抜こうとしている。
あの撮影の日々、公開してからの熱い日々から時間が経って。
今も上映の機会が巡ってくることに誇りを持ちながら。
ほんの少しだけようやく俯瞰でこの映画が持つ意味を見ることが出来ている。
終戦直後、様々な感染症、性病の恐怖と共に娼婦たちは生き抜いている。
町医者はいつも娼婦たちの健康を気にしている。
今日も誰かが死んだなんて話が当たり前に出てくる。
必至に生き抜く彼女たちを今の僕はどう理解すればいいだろうか?
僕は今、生きていると言い切れるのだろうか?
もっともっと自分を追い込むべきなんじゃないだろうか?

今、地方にあるミニシアターは大変な困難の中経営している。
そんな中で「セブンガールズ」を選んでくださったからこそ、少しだけでも貢献したかった。
一人でも多くの皆様が足を運べるように、舞台挨拶を出来たらなぁと思っていた。
想うばかりで、何もできない今の僕は、生きているだけで、生きていないようなものだと思う。
でもなんだか同時に、コノやあさひに笑われるような気もするよ。
さ、仕事、仕事ってさ。

明日も朝が来る。
狩りにも、収穫にも行かなくたってコンビニで朝ご飯が食べられる。
別府では温泉が湧き続けている。
湯煙が今日も街を包むだろう。

映画館の椅子に座って。
暗闇の中で光るスクリーンを見て。
あの女たちの歌を聴いたら。
今、僕はたまらない気分になると思うよ。

SNSでセブンガールズを観てくださった方の言葉や写真を見る。
いつか僕も足を運んだ場所の写真を見て懐かしく思う。
あの店で食べたそばの味を思い出す。

たった一人でもいいから。
セブンガールズにまた出会う人が増えますように。
あの温泉街の映画館に一人でも誰かがやってきますように。

世界は何も変わってないのだから。
変わってしまった僕たちの心をもう一度見つめ直しながら。
僕は生きているのだと叫びたくなっている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:42| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする