2019年06月11日

清酒とどぶろく

前々回の稽古場でのミーティングからじっくりと考えていて。
いや、まぁ、その前からずっと考え続けていて。
昨日の稽古と、その後のそれぞれ稽古で感じたことを耳にして。
一晩寝てまた考えていったらようやく自分の中でスッキリとし始めた。
そんな時はすぐに監督に連絡をする。
自分はこういう方向で行きますよと。
きちんと誰に聞かれても説明できるぐらい固めて、核となる軸を創って、自分の中で固まるまではあまり言わない。
なんとなく会話をして、なんとなく感じて、提案もして、そうやって少しずつ修正を重ねていく。
結果的に自分がどれだけの覚悟でどれだけの責任を背負えるかだからだ。
それでも、大事なことは押さえていかなくちゃいけない。
最初に自分が思い描いていた景色と出てきた答えはかなり変わってしまったけれど。
そういう変化はむしろ受け入れる。

その上で皆にも連絡をする。
どうもうまく説明できないけれど。
自由というのはかくも説明できない。
説明出来ないからきっと表現があるのだけれど。
どう伝わっているだろうか?
それも含めてでいい。

セブンガールズも同じようなものだ。
編集が終わったら、プロデューサーに観てもらう。
それは最初から決めていたし、最初からお願いしてた。
自分が編集をした映画を誰かに観てもらうのがこんな気分なのかと初めて知った。
自分がそうなのだからきっと監督はその何倍も複雑な気分だったはずだ。
恥ずかしいとも違うし、なんといえばいいのだろう?
少なくてもステージの上の緊張とはまるで違うものだった。

今、思えば。
プロデューサー側だって大変だし、緊張はしなくても使命感の必要な日だったはずだ。
観て終わりで済まない。
初見の感想、何かは絶対に言わなくちゃいけない立場なのだから。
ハッキリと言えば、映画作品は観客として出会うことが一番幸せなのだと思う。
何もなく楽しめるし、好きなように意見だって言える。
けれど自分の名前が出る映画で仕事として意見を言わなくちゃいけないというのは大変なことだ。
何も言わずに、いいんじゃないですかぁ~!ってわけにはいかないのだから。
そして意見を求めているのは自分たちなのだ。

いくつかの提案があった。
時々名画やヒット作で「ディレクターズカット」というのが発売されたりする。
ディレクターとは監督なのだから、なんじゃそりゃ?と思うかもしれない。
けれどどんな映画だって、実際には複数の意見を聞いて直しをいれるという時間がある。
プロデューサーだけならまだしも、映画祭ディレクターからの要請だってあるのだ。
大きな映画になればプロダクション側からの意見もあるかもしれない。
完全無欠に監督が思ったように!じゃないのかよと思うかもしれない。
でも、それは間違っている。

どれだけ俯瞰の視点を持とうと思っても。
どれだけ客観的に映画について考えたとしても。
どうしたって監督はどんどん映画に思い入れを持っていく。
例え観客がわからないような部分でも拘りが生まれていく。
客観の意見を聞き、直すことは間違いなく作品を向上させることだと思う。
かつて自分がショートフィルムを監督した時も、舞台演出をした時も必ずそういう視点を入れた。
自分の内部だけで完成させることは非常に危険だからだ。
自分たちの舞台だってそうだ。
舞台本番が始まって、お客様の反応を見てから演出を変えることなんて当たり前のことだ。
だから映画のディレクターズカット版は、ファンアイテムなのだと思う。
一般のファンではない人が見たら、通常版の方がわかりやすかったりするものだ。

だからと言って全ての意見を取り入れるのかはまた別の話。
ちゃんと仕事としていってくださった意見をないがしろにしないで一つずつ検討していった。
それからもう一度監督と編集に入って、課題だった箇所に直しを入れていった。
答えが見つからない場所は保留して、直せるところから手を付けていった。
とりあえず直してみて、それを再生して確認する。
これじゃなかったか・・と元に戻して、もう一度やり直す。
そんなことの繰り返しだった。
そしてそれがほぼ最終の編集になった。

出来上がったデータを書き出して、映像と音声をそれぞれ、色調整、整音に送る。
それぞれが別のアプリケーションだから書き出す形式も違うし、何度か不備もでる。
彫刻で言えば磨きの段階だ。
けれど、そこで待ったがかかった。
音声の直し、アフレコをいくつかやろうということになった。
ポストプロダクションの道も同じように長かった。

けれど、それが間違いなく作品を向上させていったんだなぁと思う。
プロデューサーの意見でセブンガールズをもう一度客観視できたように。
色の調整だって、整音だって、ついに監督と自分以外の人に観てもらう作業だったのだから。
監督の面白い所の一つがその柔軟性で、人の意見をきちんと反映させていく。
まぁ、中にはそれは別にそのままでいいよなんていう場所もあるのだけれど。
拘りのようなことであれば、ちゃんと解くことが出来る。
逆に、どっちの方が良いと思う?なんて自分から聞いたりも出来る。

でもその時に改めて思ったことがある。
ディレクターズカット版を観ているのは自分だけなんだなぁってことだ。
監督と自分だけで作業していた時のセブンガールズ。
間違いなく完成版の方が洗練されているから人に見せるようなものじゃないけれど。
ピュアな監督の拘りのようなものを知っている。
まだ音もバラバラで、色もバラバラだったけれど。
それを知っていることが今思うと嬉しい。
映画を創ると決めて、その段階にしかなかった、そのものだからだ。

原始となる最初に思い描いていたもの。
そして出来上がったもの。
そこには差があればあるほどいい。
その差は間違いなく、その分だけ作品に真摯に取り組んだ証だ。
清酒とどぶろくのような関係性だ。

セブンガールズは出来上がった。
書ききれないほどの工程を経て。
その全ての工程でセブンガールズになっていった。
その全てに立ち会ってきた。

けれど簡単に公開するというわけじゃなかった。
完成してそこから別の戦いが始まった。

今はまだ自分の頭の中で答えを探していることがあって。
ようやく自分の中で形になってきている。
その形をもっと具体的なものにしていかないとなぁって思っているけれど。
恐らくは、その先、今日までの経験が全て役立って、同時に様々な意見を言葉を求める自分がいるのだろうなぁ。

クリエイティブな日々よ!
ああ、なんと幸せな日々よ!


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。

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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:45| Comment(0) | 夢の彼方に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする