またいたたまれないニュースが耳に飛び込んでくる。
父親が40代の引きこもりの息子を殺害したという。
それもあの川崎の事件を知ってという事なのだからビクリとしてしまう。
川崎の事件の後、加害者の背景を描いて社会的に考えていこうという記事が上がった時に違うと感じた正体はこれだ。
40代、50代の引きこもりをまるで犯罪予備軍のように語ってしまっている。
人権擁護のような綺麗な言葉のようでいて、実は社会的弱者を下にみている意見だと感じていた。
150万人はいると言われている引きこもりの層の問題と事件を混同してはいけないんじゃないだろうか?
実はそこで人権擁護の方向に進んでしまうことであまり目立たなくなってしまう問題があると思っている。
それはシリアルキラー、サイコキラーと呼ばれる反社会的パーソナル障害を持った一部の人たちの問題だ。
海外では猟奇殺人や銃乱射事件など、犯罪心理学からも大脳生理学からも学問が進んでいるのに。
こういう事件が起きても、日本ではその道の専門家がコメンテーターとして登場すらしない。
脳機能の器質的な障害なのか、精神医学における命を軽んじてしまうなんらかの道理があるのか。
確かに人権問題があるけれど、もう真剣に取り組んでいいんじゃないかって思う。
宮崎勤受刑者からもう何年の時が経過したんだろう。
引きこもりだからって、シリアルキラーになるわけがないのだ。
人権は大事だけれど、猫を殺すような子供の更生プログラムを持たぬままでいいのだろうか。
もう議論ぐらいはしてもいいと思うよ。人権問題をクリアできる道だってあるはずだよ。
海外でもこういった問題には人権問題が大きく二の足を踏ませたと聞いたことがある。
その代表的な経緯が、いわゆる犯罪者の脳に問題があり、ロボトミー手術をしたという事だったと思う。
記憶違いだったらあれだけれど、人の命を奪うことに罪悪感を感じない大脳を手術するという考え方。
結果的にロボトミー手術は大失敗で、人権問題に発展して、しばらくは犯罪と大脳の問題は禁句になった。
そしてそれを題材とした名作映画がキューブリック監督の「時計しかけのオレンジ」だ。
大きな話題作となって社会的問題に訴えた。
実に公平な描き方だった。
悪とは何か?
絶対的な悪と対面した時に人はどう立ち向かうべきか?
人の命の重さを理解できない人とはどんな存在か?
物語はあらゆる角度からその答えを探してきた。
いまだに見つからない大問題だ。
彼らに悪意はない。純粋な好奇心で人を殺害する。そんな彼らにも人権はある。
小説も、映画も、演劇も、あらゆる矛盾を抱えたこの問題を無視することは出来ない。
ある一定数こういう人が生まれてしまうのだという社会学の見地に納得することはない。
出来うることなら、物語ではなく報道が本当はそこまでつっこむべきだと思っているけれど。
日本の大学でも、警察でも、政府でも、真剣にそろそろ取り組めばいいのに。
自分は物語や演じることから、やっぱり、人間と社会という矛盾に取り組むしかない。
犯罪を描いたり、愛を描いたり、善意を描くことで、悪を相対化させるしかない。
何を描くのか?
ただ映画を撮影したい!ただ作品を世に出したい!
それだけで済むわけがなかった。
多分、最初に取り組んだのは底だったのだろうなぁと今更ながら思う。
もちろんその大半は監督がシナリオの中にテーマにしていくのだけれど。
そもそも「セブンガールズ」という作品の持つテーマが、映画化という運動と重なっていると感じていた。
だからそのまま映画にすればそうなると思われがちだけれど、全然そんなことはないのだ。
作品の持つそのテーマと、映画化という自分たちの持つテーマと。
クロスオーバーしていかないと、この映画は成立しないと考えていた。
何年も一緒にいるから当たり前だけれど、それは監督も同じだった。
シナリオが監督なのにテーマを持つという事がわからないかもしれない。
でも実際どんな映画の現場でも、現場の持つテーマというのがあるんじゃないかと思う。
自分はそのテーマを1から組み上げていこうと思っていた。
予算が決まり、その予算で相談する前から、セットは自分たちで創ると決めていた。
映画製作に関わるあらゆることを自分たちで出来る範囲で手伝うと決めていた。
それはこの作品が皆の願いであり、夢であり、自分たちの手で創るべきものだったからだ。
人に頼むこともきっと不可能だったわけじゃない。
ただそうなったら、まったく違った作品の感じになったと確信している。
どこまでやるんだよ?こいつらは!というレベル。
人の創造を越えていくぐらいのことをやっていかないといけないと感じていた。
終戦直後という特殊な時代を生きた人間を演じるのだから。
そしてこの映画がもし公開される日が来るとしたら。
セブンガールズには何一つ武器がないのだから。
こいつら映画を創っちゃったよ!という信じられない何かを創る。
それも想像以上に。
必死にやらなくちゃ立ち向かえないレベルで。
そうなった時に、初めて必死に生きていた娼婦たちとクロスオーバーするのだと思った。
だから、そういう準備をしていった。
皆にも自分たちでやれること全部やらないと映画にならないと連絡をした。
監督が上映になってからテーマについて何度か話したけれど。
それは作品の持つテーマだけではなかった。
映画製作そのものにも同じようにテーマがあった。
現代という時代に投げかける。
必死で生きるということ。
たったそれだけで勝負しようと思った。
それが響かない現代ではないと信じて。
中には、ええ!そこまでやるの!?っていう出演者もいた。
いや、言うだろうなぁっていうところまで、やらないといけないと本当はおいらは決めていたのだ。
製作では言ってくださるスタッフさんに言われる前からそのつもりで決めていたし監督とも話していた。
監督は舞台の台本をシナリオにするのに、1ページ目から7回も書き直した。
映画化について監督と話すたびに、お互いの覚悟を図るような気持ちだった。
そして、やってやれねぇことなんて何もねぇさと信じていた。
中途半端にモノ作りは出来ない。
社会的な何かを躊躇していては作品にならない。
何を見せるのか、何を描くのか、一番大事なものを最初に確認していった日々があった。
確実にそういう日々があった。
それがなければ、中身のない、或いは、底の浅い作品になってしまうのだから。
そしてそれが固まった時。
・・・いや初めからわかっていたのかもしれないけれど。
その道を確認し合った時。
セブンガールズの映画製作が始まったのだと思っている。
この道を進めば辿り着くと確信した日だ。
自分たちに出来ることはこういうことだ。
例えコメディだとしても。例え時代劇だとしても。例えミステリーだとしても。
その奥には必ずメッセージがあるから。
その暖かいものを届けていくしかない。
そして信じるしかない。
いつか悲しいニュースなんかなくなることを。
映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。
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