1300日以上も毎日BLOGをアップしているのでもわかられているだろうと思うのだけれど。
自分は約束したことはなんとしてでもやりたい人なのだ。
まだクラウドファンディングや他にもやり残っていることがあるのだけれど。
それ以前に自分の中では何よりもやると決めていて出来なかったことに悔いが残っている。
セブンガールズでやると決めていた事のいくつかだ。
その一つが「下北沢から世界へ」だ。
正確には世界には持っていったし、英語字幕版を海外の人に観ていただいた。
あと少しでというところまでいったものもあった。
通常の数倍はある台詞量のセブンガールズは字幕も膨大となった。
言語の壁は想像以上に厚いのかもしれない。
でも自分は今でも海外の人でももしわかればセブンガールズは面白い作品だと信じている。
例え、何を言われようとも、それは間違いないと思っている。
海外版用に尺を2時間にして欲しいと言われて編集し直したとき。
自分は残酷なまでに2時間に削ったセブンガールズを実は3種類用意した。
もちろん、監督と一緒に編集し直したものと共に。
結果的にやはり納得できる監督と一緒に編集したものを提出したわけだけれど。
自分の中では今でもどこか悔いが残っている。
監督がどうしても残酷になり切れずにカットしきれなかった部分をもっと強く薦めるべきだったかもしれないと。
海外のディレクターの意見を完全に反映するならここもカットですよと伝えるだけになってしまった。
なぜなら監督の言っていることがよく理解できるからだ。
それでも、あそこは海外仕様と割り切っても良かったんじゃないか?
自分はどこかで自分の責任を回避したんじゃないだろうか?
そんなことを何度も考えてしまう。
国内版と海外版が別編集でもなんの問題もなかったのだから。
強く薦めることが出来ないのは仕方がないと思えば仕方がないのだけれど。
そこで仕方がないと考えていてはいけないのだと思う。
必要なシーンだというのは十分に理解しながら。
言語という壁がある以上、とあるエピソードをまるまるカットすることを薦めた。
それはエピソードが多すぎると、見分けがつきづらいからという意見に則ったものだった。
監督の作品だけれど、どんな映画だってプロデューサー判断があったり、他の要素だってある。
自分でもよくそんなことを言ったなぁと思うけれど。
結局、それを強く薦めることが出来ない自分でもあった。
歴史にIFはいらない。
もしそうだったら、何か変わったかもといくら考えてもしょうがないのもわかっているけれど。
世界に持っていくと約束した自分には強い強い後悔が残っている。
ハッキリ言えば、この約束は絶対にどこかで守るべきだと今も思っている。
それがどんな形になるかわからないけれど「下北沢から世界へ」は必ず実現する。
やっぱり、それは夢の形だと思うから。
自分が役者としてでも、役者として登場していなくても、或いは役者以外でも。
なんらかの形で、この借りは返さないといけないと思ってる。
そしてもう一つは、全国に持っていくという宣言だ。
東名阪での上映が出来ただけでもすごいことなのだと思っているけれど。
どんなに思っていても、全国に持っていきたいという願いは残ったままだ。
北海道、東北、中部、北陸、中国、四国、九州、沖縄。
関東での上映と、三都市での上映結果次第ではきっと出来るはずだった。
もちろん、今からだってその可能性はある。
横浜での結果を観てとか、今から噂を耳にしてということはありえる。
ただ予定された上映期間の中では、全国に行くことが出来なかった。
どれだけだよ!と笑うがいい。
でもさ。でもだよ。
日本全国に小劇団はあるけれど、東京の小劇場を観ることが出来ない。
日本全国の学校に演劇部があるけれど、東京の小劇場を観ることが出来ない。
でも、映画にすれば全国に持っていくことが出来る。
日本全国に闇市跡があって、日本全国に赤線跡がある。
そして映画館がある。
セブンガールズは間違いなくニーズがあるのに!って思う。
特にシニア層への訴求がどうしても少なかったんだなぁと改めて思っている。
最初の3週を終えて、シニア層にどうやって宣伝すればいいのか悩んだのだけれど。
結局、上手にシニア層に向けての発信が出来なかった。
宣伝費の少ない自分たちは、結果的にインターネットの活用がメインになる。
新聞記事や、地方記事などじゃないと確実に届くことがない層だ。
横浜での上映で、高齢者のお客様からわざわざ手書きのお手紙をもらった時、更に強くそれを思った。
メールでも、SNSでもなく、手書きの手紙で、わざわざ感想を届けてくださる。
そういう皆様にセブンガールズが出会うチャンスを広げることが出来なかったのだから。
自分の感覚では間違いなくシニア層に評判の良い作品なのだ。
あのパンパン小屋の風景は、シニア層にとっては懐かしい風景でもあった。
それに基本的に人情劇的な作品は好意を持って受け入れられることもわかってた。
レイトショーに近いスケジュールが多いというのもあって、なかなかそこに届かなかった。
数が少ないながらも足を運んでくださったシニア層の方々に挨拶をすると、何度も何度も強く手を握ってくださったのに。
70代とおぼしき方の涙目は、想像を越えて感動してしまった。
セブンガールズが全国に行くには、恐らくシニア層への訴求力だと思っていた。
都内の映画館と違って、地方の独立系映画館のメインとなる顧客層は年齢層が高い。
平日の昼間にシニア料金で満員になるような作品こそ、求められている作品の一つだ。
一番嬉しかったのは、かつての日本映画の匂いがしたわよと、妙齢のご婦人に言われたときだった。
大部屋時代の映画に近い何かをこの作品は持っているのか!と気付かされた瞬間だった。
どうすればいいだろう?そう考えているうちに、上映期間が過ぎてしまった。
来ていただければきっと喜んでいただけたのに。
ああ、今、思うだけでも悔しくなる。
世界に行ってない。
全国に行ってない。
シニア層に届いていない。
何をやってるんだ、自分は!と強く自分に対して情けない思いになる。
この3つは、絶対にやらなくちゃいけなかったのに。
どうしたってさ。
やり遂げたことを考えたくなる。
あまり自分を責めても仕方がないし、それはかえってマイナスになりかねないから。
だから自分のやってきたことを冷静に考えて、ちゃんと胸を張るべきだぜって思っている。
自分たちがやり遂げたことはきちんと誇りにするべきだ。
必要以上に偶然だよとか、自分を卑下してはいけない。
ただそれは表と裏があるってことだ。
出来なかったこと、至らなかったことも、自分の中できちんと持つことだ。
悔しかったこと、情けなかったことも、忘れずに自分の中の宝物にすることだ。
そしてその借りは絶対に返してやるというエネルギーにしなくちゃいけない。
良い事ばかり見てたら、そりゃただのご都合のよろしい人になっちまうさ。
幸せなことがたくさんあったよ。
嬉しいことがたくさんあったよ。
でも、飢えてる。
自分は実は満腹になってない。
足りないのだよ。足りないんだ。
あれだけの愛情をいただいて、いまだに足りないだなんて贅沢なんだぜって何度も思う。
それでも腹が減ってるんだ。
意地汚いだけなのかもしれない。
許してくれる人、愛してくれる皆様。
そこに寄りかかるのは自分の生き方としてありえないだけだ。
その向こうに広がるまだ知らない人たち、しっくりこなかった皆様。
そこにもう一度届けたいと思ってしまうのは、ただのわがままなのかもしれない。
自分は重い十字架を背負っているしそれを降ろすつもりもないから、いいだろう?
わがままが全て悪いと思ったことはないけれど。
映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
上映期間終了 皆様ご来場ありがとうございました。
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紹介記事
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