2019年03月23日

「今」を越える実感

生きていることを実感するというか「今」を感じるという瞬間はどれぐらいあるのだろう?
振り返れば充実していたということはあったとしても、ああ今自分は生きていると感じるとすれば。
その瞬間というのは実際には生きていてそれほど多くない。

テレビやラジオというメディアの最大の強みは「今」をエンタメすることなのだと思う。
スポーツ中継を録画で観ても面白くないのはそういうことなのだと自分は認識している。
例え情報を耳に入れていなくてもリアルタイムでホームランを知ったのと録画で見るのとでは興奮度が違う。
今を電波を通して離れた場所から楽しむことが出来るのがテレビでありラジオだ。
映画やドラマは創られたものとしての役割があって、まるで違うものなのだと感じている。
言ってしまえば創られた作品はその世界観に入ることが出来るかどうかが重要だと思う。
良い作品ほど観終わった後に映画館や劇場を出たり、本を閉じた瞬間に、どこか体が気怠くなる。
心地よい疲れと現実世界に戻ったギャップが体にじわりと迫ってくるあの感じが大好きだ。
テレビやラジオはそうではなくて、現実と地続きの世界でのエンターテイメントなのだという理解だ。

そのテレビが極端に生中継が減っている。
いや実際の所は生中継ばかりなのかもしれない。
報道だってスポーツだってワイドショーだって生放送なのだから。
無くなったのは生放送のドラマ、生放送のバラエティだけだ。
ありがたいことに生の物語は、もはや舞台のみとなった。
それは舞台の強みだからむしろありがたいなぁと思うけれど。
生のバラエティがなくなったのはちょっと寂しいなぁと思う。
笑っていいとも!すら終わってしまって、このままでいいのかなぁとさえ思う。
生放送で笑いが生まれた時の面白さは中継とは興奮度が違うからだ。

その大きな原因の一つがきっとインターネットなのだと思う。
インターネットの即時性、「今」を感じる割合は、生放送を圧倒しているのかもしれない。
ましてやインタラクティブだから参加できる。
多くの生中継番組はTwitterとの連動を考えたりする。
ニコ生なんていう動画に直接文字を送信できるようなサービスまである。

イチロー選手の記者会見も一つのエンターテイメントになっていた。
イチロー選手と記者とのやり取りそのものを生で楽しんでいる。
そして主にどういうわけか記者にTwitterでツッコムというようなことが繰り返されていた。
恐らくイチロー選手も記者たちも、そんな楽しみ方をされているなんて気づいていない。
会場の雰囲気と面白い話題をどうやって引き出すかに集中していたはずなのだけれど。
もう一つインターネット上に位相が生まれていた。
明らかに現在地と地続きのエンターテイメントだった。
記者会見とは別のモニターの向こう側の第三者たちが別の楽しみ方をしている。
なんとも現代的なことが起きていた。
お茶の間でテレビを観ながら家族が会話をするという楽しみ方の地平線が広がったような感覚だ。

それがアイドルグループの暴行事件の記者会見で更に別に位相に広がった。
ネット上で生中継している記者会見。
イチロー選手の記者会見同様に視聴者は記者にツッコミ、当人たちに突っ込み続けていたのだけれど。
記者会見の当事者であるアイドル自身が記者会見中にSNSで発言。
それが記者に伝わり、会見中の本人たちに伝わるという恐らく世界でも初のことが起きた。
後日、記者会見を見ていたのですけれど・・・という発言は今までもあったかもしれないけれど。
そして更にその発言があったことで中継に参加している視聴者たちが爆発的に興奮をした。
今、後からニュース記事を読んでいる人は冷静かもしれないけれど。
実際の生中継の最中の爆発の仕方は、とてつもない興奮状態になっていた。
発言で完全に固まる会見中の当人、ざわつく記者たち、ネットで興奮する視聴者、当事者のアイドルの反応。
全てが「今」起きていることとして、ほぼ完全なエンターテイメントだったと思う。
これがシナリオ通りで誰かが書いたものだとしても、この感覚を演じることは恐らく不可能なものだった。
視聴者たちは「今、俺たちはものすごい瞬間に立ち会っているのかもしれない」と発言していた。

生で試合を見てきたスポーツもそう。
そして「今の」アイドルもそう。
「今」を感じる存在だと思う。

昔のアイドルと同じで考えてはいけない。
昔のアイドルは日常など一切見えないし、ブラウン管の向こう側の存在だった。
むしろ完全に作られたフィクションに近い存在だったはずだ。
けれど今は違う。
歌やダンスではなく、パーソナルを最大の売りにしている。
会いに行けるアイドルと呼ばれるほど視聴者のすぐそばにいる。
憧れる存在から、友人のような存在まで近くなっている。

劇団にしても、ミニシアターにしても。
インディと呼ばれる世界は、その境界が曖昧でもある。
今、現実に起きていて、様々な境界線を越えたり曖昧になるようなことが起きていて。
それは非常に面白い場所であり。
かつどれだけ意識を持てるかが大事なのだなぁとつくづく思っている。
アイドルの問題はその意識の持ち方の差異が問題になっていった。
加害者は境界を踏み越えて直接アイドルに接触をして。
境界が曖昧になっている他のアイドルたちが存在して。
境界線を持っているアイドルが被害者になって。
ネットとメディアの境界線を理解していない記者会見が行われた。
意識ある者と意識なき者の差は後から大きな大きな違いになることが良く分かる現象だった。

呑み込まれないようにしないといけない。
持つべき意識を大事にしなくてはいけない。
その上で格好をつけてもいけない。
底が浅いのであればすぐにばれてしまう時代なのだから。

自分というオリジナルを創ってもしょうがない時代に。
日常を見せる以外の自己の確立が出来ているかどうかなのかもなぁとも思う。
逆を言えば掴みどころがあるようではいけないのかもしれない。

ファンタジーの時代は終わった。
そして「今」を感じることが別の位相に移った時代。
物語という閉じられた世界観の中にいる俳優はどんな意識を持つべきだろうか?

多分「今」をエンターテイメントする形が変わったのであれば。
「物語」の形も変わっている。
お客様にとって、自分の立っている場所、自分の心の動くこと。
それが自分にとって大事なことだと了解していくことは新しい形のエンターテイメントになるんじゃないだろうか。
それがきっとSNS時代の全ての人が評論家にも宣伝担当にさえなれる時代の面白さなのかもしれない。
そしてそれはもしかしたらものすごく明るい前向きな何かに繋がるのかもしれない。
「今」の形が変わって、「咀嚼」の形が変わっているのかもしれない。

その時。
「今」すら超える強烈な、生きていることの実感を持てる可能性があると思う。
人は今だけで生きているわけではないのだ。
思い出や、頭の中にある自分の形であったり、そういう全てで生きている。

自分はそんな強烈な体験になるような作品に関わっていきたいなぁと強く願っている。


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
2019/5/18~24
横浜 シネマ・ジャックアンドベティ:http://www.jackandbetty.net/

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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 14:01| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする