大手シネコンのTOHOシネマズのチケット代値上げの発表があった。
映画界にいる人たちがざわついた。
実は映画興行は全て、主催が映画館だ。
製作側がチケット代をどうこうすることは出来ない。
もちろん配給会社はそこで交渉をすることはあるはずだけれど。
基本的には映画館が決めて、興行収入の内訳を決める。
だから作り手にとってチケット代というのは遠い問題でもある。
今はTOHOシネマズだけだけれど、追従する映画館が出ることになるのだろうか?
もし消費税が上がるのであればそのタイミングで2000円になるのかもしれない。
チケット代が上がることで働いているアルバイトの子たちの時給が上がるなら歓迎!なんてコメントも見たけれど・・・。
確かに維持費や設備投資、人件費を考えたら厳しいのかもしれない。
まして今はネット配信が一般化して、スマフォという携帯できる端末でも映像が身近になった。
現時点でも映画館で映画を観るのはちょっとした贅沢になっているのかもしれない。
ただシンプルに、休みに映画でも行こうかな?なんていう層が確実に減るだろうことは予測できる。
特に学生や若い人たちがスクリーンで観る体験を知っていかなくては総合的なお客様は減っていくだけだ。
それはどうなのかなぁとも思う。
例えばチケット代が半額でも、お客様の動員数が倍の人数であれば売り上げは同じだ。
1000円が10人と、500円が20人は同じ売り上げになる。
いや、物販や飲食、テナントビルへの経済効果を考えれば、実は人数が多いほうが売り上げが上がる。
5%の値上げをして、観客動員が1割減れば、逆に売り上げは落ちてしまう。
そういう計算も立っているのだろうか?
自分たちが今日まで上映を重ねてきた全てのミニシアターはそのための創意工夫をしていた。
チケット単価を下げてでも、会員権を発行して複数回足を運んでもらえるようにしている。
舞台挨拶やイベントを組み積極的にSNSで告知を重ねていく。
会報を創って配ったり送付したり、置いてもらえるところを創っている。
地域とのつながりを深くしている映画館も多い。
映画というのは作品の魅力だけではない。
チケットを買って会場の空気、一緒に行った人、観た後に感じたこと、観た後に話したこと、その全てが映画体験だ。
飲食に工夫して、空間に工夫して、もちろんプログラムも工夫を重ねて。
そういう創意工夫、企業努力を大手シネコンが細かく出来ているのかなぁと思う。
もしもそれが出来ないで、売上計算だけでの値上げだとすれば、それは衰退の道なんじゃないかと心配になった。
例えば現在の映画館の規模がオーバースペックだったというだけなのかもしれないじゃないか。
月に一度映画館に来てくれる方が2回来るようにするには?と考えるだけでも大きく変わるはずだ。
そんなタイミングでイオンシネマとかが、うちは1500円に値下げします!とか言い出せば面白いのに。
実はそのほうがTOHOが値上げになった今なら売り上げが上がると思うのだけれど。
その一方で有楽町スバル座が今年の10月で閉館する発表もあった。
(しかも有楽町!ああ10月までにセブンガールズが上映されたらどれだけ素晴らしいか!)
何十年という歴史がある映画館が閉館してしまう。
全国的に言えば映画館はどんどん減っていってる。
すでに専門館などは相当少なくなっている。
ピンク映画専門やヤクザ映画専門なんか風前の灯火になっている。
地方の映画館は都市の中心部に集中し始めている。
考えてみれば当たり前のことなのかもしれない。
映画しか娯楽がなかった時代があって。
そこにテレビが普及して、カラーテレビが普及した。
そこから更にビデオの普及があった。
レンタルビデオはピンク映画館を駆逐していった。
DVDが普及すれば、カウチポテトなんていうのが流行になった。
そしてケーブルテレビや、衛星放送まで始まって。
ついにはネット配信が始まった。
映画館以外での動画を気楽に観ることが出来る状況になった。
もっと言えば、液晶テレビが一般化して、家庭用プロジェクターやシネマシステムまで販売されている。
映画館と変わらないクオリティのBlu-rayというメディアまで一般化している。
逆風が吹き続けているということだ。
今、ROMAという作品が映画館でかかっている。
これはNetflixで配信されている映画だ。
評判が高くて、アカデミー賞にノミネートされた。
スピルバーグ監督が異議を唱えたりして話題性もある。
Netflixの会員であれば観れる作品をわざわざスクリーンでも上映し始めた。
配信時代の共存の一例になるかもしれないし。
もしかしたら映画館とは贅沢品であるということが確立されてしまうかもしれない。
製作側も著名な監督がネット配信専用コンテンツの制作に次々に進出している。
自分なんかには映画館という場所に強いイメージを持ちすぎなのかもしれない。
映画館とはこういう場所でこんな思い出があると自然に刷り込まれている。
背の低かった小学生が大人に混ざって立ち見した記憶はそうそう消えるものじゃない。
だから多分だめだ。
想像することしか出来ない。
今の、現在の、映画館像というものがきっとあると思うのだけれど。
それがイメージが強すぎて想像できない。
ただなんだろう?
どんどんシネコンになってから映画館が遠くに遠くに行っているような気がする。
自分の生活から離れていっている。
ずっと身近なものだったのに。
このまま映画館とは贅沢な時間を過ごす場所になっちゃうのかな?
気軽に時間をつぶすためだったり、暑いからクーラーが効いている映画館に行ってみるとか。
電車もなくなったし、レイトショーでも行って朝まで映画館にいるかとか。
そういうなんというか、傍にあった映画館じゃなくなっていってる。
気軽に入った映画館で出会った作品だってたくさんあったのに。
(昔の文芸坐のレイトショー、半分は寝ていたけれどそんな人もたくさんいたもの)
セブンガールズはテレビサイズの作品じゃない。
スクリーンサイズの作品だ。
テレビサイズは、絶対に飽きさせてはいけない演出が入る。
途中でチャンネルを変えられてしまえば、そこで終わってしまうからだ。
映画は前半の3分の2までは意味もなくたんたんと進むような作品でも強制的に観てしまう。
でもそんな時間のコントロールまでしている作品にこそ傑作が多い。
そう思うと、なんというか、なんというかだ。
映画にバラエティのようなテロップが必要になったらもう終わりだ。
Youtubeの世界はもっと厳しくて、15秒に1度は興味を持てることが起きないとみてもらえないなんて言われる。
そういうせわしない場所から隔絶された場所が映画館で、そういう場所でしか観れないから映画なのだと思う。
表現者として社会の変化や時代の変化についていかないと死に体になってしまう。
映画館という存在自体がすでに時代に取り残されていたらどうしようと不安にもなる。
贅沢な場所になるのだろうか?
身近な場所ではなくなるのだろうか?
若い人の感覚はどうなのだろうか?
否応ない変化でしかないのだろうか?
自分にはなんの影響力もなく、何かを変えられるほどの力もなく。
ただただ思うばかりだけれど。
フランスのように国策として映画を奨励するっていうのも、何かが違う気がする。
ビジネス面と文化面が、うまく折り合いがついていないのかなぁ。
映画文化全体の底上げと、映画を観るという娯楽のさらなる一般化について、イメージが共有できていない気がする。
お前がそんなこと考えて何になるんだ!と言われてしまうなぁ。
でも、今、現在にとっての「映画」ってなんなのだろう?って大事なことだ。
それをきちんと頭の中で整理して持っていないとやっぱりいけないんだと思う。
元号が変わろうとしている。
そこにセブンガールズが現れた。
もちろん偶然でしかないけれど。
完全な偶然なんてこの世の中にはそれほど存在していない。
映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
2019/5/18~24
横浜 シネマ・ジャックアンドベティ:http://www.jackandbetty.net/
■SNS
Twitter:https://twitter.com/7girlsmovie
紹介記事
■girlswalkerhttps://girlswalker.com/archives/180503/
■Twitter連動企画:下記の赤文字2行を貼り付けて140文字以内でセブンガールズをご紹介ください
PVと公式アカウントのリンクが付いた紹介文がTweet出来ます!
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pic.twitter.com/hv23Ma0t0f
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