2019年03月17日

会いたかばってん会われんたい

マスの中でインディーズ映画を応援している方とネット上でやり取りをしていて。
それがすごく刺激的ですごく面白くて、色々な視点をもう一度考えていたのだけれど。
その中で気付いたことがあって。

例えばドラマの「今日から俺は!」とか、今話題になっている映画の「翔んで埼玉」でも。
作品の中でディフォルメした演技やキャラクターが出て話題になることがあって。
あるいはチンピラ役を思いっきりチンピラにディフォルメして話題になったり。
そういうことっていうのは意外に多いんじゃないかと気付いた。
映像分野の俳優がディフォルメをすると想像以上に評価が高い。
そんな風にしゃべらねぇよ!みたいなセリフ回しも、ディフォルメしてリアリティを獲得すれば問題ない。
そういうものも許容できるようになってきているのかもなぁと。

自分たちは幕末だとか時代劇を演じてきて、このディフォルメというのはいつも直面してきた。
時代が違うから多少ディフォルメしていかないと、わかりづらい部分がある。
もちろんナチュラルに見える演技というのも重要視しているけれど、それが出来ないようでは作品にならない。
その中で一番難しい技術は、切り替えだった。
ディフォルメの強い演技から、ナチュラルな演技に切り替える技術は難易度が高い。
片方しか出来なければ演じられる幅が限定されるし、切り替えが出来なければやれることが限られる。
だから当然のようにそこの稽古を繰り返したりもした。
コメディからシリアスの切り替え、アドリブから芝居への切り替え、アドリブと思わせる芝居から固めの芝居へ。
それは自分たちにとっては当然のことだったし、当たり前に俳優であれば身につけたい技術だったと思う。

「セブンガールズ」という映画を観て、ディフォルメした演技部分を舞台っぽいと評する方が想像以上に多かった。
今も舞台がディフォルメで、映画がナチュラルという線引きが想像以上に残っているんだなぁと感じた。
自分たちはそこの切り替えこそ重要視していたから、そこに線引きがない。
思えば、今、ディフォルメした作品が評価されるのは「映像なのに」という部分もあるのかもなぁと気付く。
つまり舞台原作だからディフォルメを「舞台っぽい」と評するのかもしれないぞと。
映像畑の人が創ったらディフォルメを面白いと言うんじゃないだろうか?
そのぐらいのことなんじゃないだろうか?

あまり小劇場に詳しくない人は知らない人も多いけれど。
小劇場の世界ももう20年以上前からナチュラルな演技が中心になっていった。
ディフォルメした演技は嘘くさいと、どんどん数が少なくなっていった時期がある。
今でこそ、プロデュース公演全盛で、それこそディフォルメした演技がもう一度勢いがついているけれど・・・。
現代口語演劇なんていうのは小劇場の世界の大きなムーブメントだったのだ。
だからむしろ恋人同士の心情を描く・・・みたいな映画を観て、舞台っぽいなと感じることも自分にはある。
全編をナチュラルな演技、リアリズムで構築している映画を舞台っぽいと表現することは少ないのだと最近知った。
自分の中では、衝撃的ですらある。
実際、自分たちの劇団の作品は、常に映画っぽいと舞台の世界で言われてきたのだから。

役者にはタイプがあるし、得手不得手がある。
ナチュラルな演技が得意の俳優もいれば、ディフォルメが得意の俳優もいる。
むしろ、昔の映画俳優、スターたちは皆、ディフォルメこそ命だったわけで・・・。
歌舞伎出身や宝塚出身の俳優もいれば、華こそ命という俳優もいるわけで。
ナチュラルな演技が得意な俳優の殿様役とか見てられないほどヘタクソってのも意外に多かったりする。
そういうのって実は、相対的な評価でしかないのかもしれない。

たまたま自分がセブンガールズという映画の中で、それほどディフォルメが強い役じゃなかったから。
そういう意味ではなんというか自分の持てる物の全てを出せたわけじゃないもんなぁとも思う。
ミニシアター系と呼ばれる世界で、セブンガールズが異質に感じるのは当たり前のことで。
だってミニシアターの他の作品でこんな作品はないのだから。
時代劇もないし、セット撮影もないし、群像劇だってないし、コメディ部分をあそこまでカットしないのも異常かもしれない。
その中での相対的な評価なのかもしれないという事にようやくやり取りをしながら気付いた。

そしてそんなやり取りがすごく面白い。
そんな風に自分の中で色々な発想が浮かぶ。

実は自分が芝居を勉強した時の後輩が今、とある映画を宣伝していて。
その映画のレポートを見ると、毎晩ではないものの、役者が見に来て映画について話していると書かれていた。
もちろん、それだけではいけないのだとは思う。どんどん内輪になるから。
映画を創って、映画関係者ばかりが見に来るというのはそれほど良い循環ではない。
けれどその役者が見に来て話す・・・まぁ、酒を飲むというのは羨ましいなぁと思った。
演劇畑から映画を製作した自分たちには横の繋がりが乏しい。
映像畑の俳優が見に来て呑みに行くなんてことは一度もなかった。
・・・というか、まだ誰も来てくれていないんじゃないだろうか。
酒を酌み交わしたらどんな話が出るだろう?
きっと、またたくさんの刺激をもらえるのだろうなぁ。
そうやって、きっと、映画だって舞台だって、育っていくんだもんなぁ。

もちろん役者に限らない。
様々な分野の方々の小さな意見が、自分の刺激になっていく。
そこで初めて気づくことがたくさんある。
それは肯定的な意見に限らないで、否定的な意見すら刺激になっていく。
そしてもう一度自分の中で、自分の思っていることが整理されていく。
そういう機会がもっと持てると、もっともっと面白いんだなぁと改めて感じている。

今日の出会いは、1つの良心との出会いであったのだと思う。
作品に誠実に向き合ってくれたからこそ、そうやってやり取りが生まれる。
そこは、肯定も否定も実は関係がなくて。
自分の心の奥に降りていく階段を一段ずつ降りていくような、そんなことなのかもしれない。
別の視点を知って、自分の視野が広がる。
それは真摯であるからこそ生まれることだから。

ディフォルメについて思ったことだけじゃない。
もっともっとたくさんのことを思って、感じて、自分の中の貯金にした。

ディフォルメとは誇張だ。
正直、今の世の中こそ、誇張じゃないかと思ったりもする。
自分の歩幅で歩かずに誰の歩調に合わせているかもわからずに。
先鋭化された意見をすごいと勘違いして、評価の高いものばかり探してる。
個だ!と叫びながら周囲の評価を気にしてばかり。
自己という範囲をどこまで拡張しているのか。
等身大の自分を見失って、拡張した自分を追いかける。

マスコミが人気がないとか言ってる「いだてん」すさまじく面白いもんな。
あの中の演技的なディフォルメとナチュラルを見分けることのできる評論家っているのかな?
未だにそんな記事に出会ったことがないや。
自分の目で見て、自分で評価するんだ、おいらは。
世の中の人があの記事を信じて誰も観なくなったとしても。
少数意見だからなんだってんだ。

おいら自分の人生だけはディフォルメしたくないや。
目の前にあるものを観て、一歩ずつ進めたらどこかに辿り着けるさ。
誰の人生でもないのだから。

誰か一人の意見でぶれることはないけれど、たくさんの刺激を受ける。
それはたった一歩。
一歩だけど前進。
一歩だけど大きな大きな収穫。

いつか今日やり取りをした人と顔を合わせることがあったら。
しっかりと握手をするんだ。
そういうことだ。
きっとそういうことだ。


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
2019/5/18~24
横浜 シネマ・ジャックアンドベティ:http://www.jackandbetty.net/

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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:30| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする