2019年03月13日

Paint it White

多くの作品に出演する俳優が犯罪を起こすと大騒ぎになる。
先日の強制性交では自分が少しだけ出演した作品のDVDが発売延期になったりして色々と思うことがある。
その記憶がまだ生々しいから今回もすでに出演作品は大丈夫か?とSNSで騒ぎ始めている。

強制性交という犯罪で上映中止になった時に。
作品と個人はわけるべきだという作品を熱望する人たちの声が挙がった。
すごくわかるし、自分も同じ思いがある。
けれど、それは難しいよと自分は思っていた。
映画会社がコンプライアンスを気にして中止にしているという考え方をしてはいけないと思う。
そういうことじゃない。
強制性交の場合は被害者がいる犯罪だからだ。
被害者がその作品に関係するものに触れた時に二次的な精神的苦痛を受ける可能性がある。
被害者の家族や友人がその作品、その関係者たちにマイナスの感情を抱くことになる。
同じ被害を受けたことのある方や、その友人、家族にとっても、精神的な苦痛を与える。
被害者が実際に生まれる犯罪を起こした場合のお蔵入りはどうにも出来ないんじゃないかと自分が思う根拠だ。
もちろん作品にはなんの罪もないし、罪を償ってから内容を吟味してということならいつか上映も出来ると思う。
けれどさすがにそのままのスケジュールで進むことが出来るわけがないと正直思う。

今回は薬物。
被害者がいる犯罪ではない。
テレビのような公共性の高いメディアはすぐには出せないかもしれない。
CMで成り立っている以上スポンサーの企業イメージにも傷がつきかねないから。
けれど、音楽であったり、映画の上映は中止にならないケースもこれまで多かったと思う。
自分がそういう時に嫌だなぁと思うのは、そこで出てくる非難だったりする。
例えば薬物犯罪には芸能界は甘い!なんて意見が必ず出てくる。
実際には全然甘くないはずで、それを知らないままに好きなように言われてしまう。
或いは、犯罪者を出すのか!みたいな人が必ず出てくる。
映画や音楽はそんなレベルのものではないと思うのだけれどなぁ。
少なくても犯罪を肯定するような意味にとってしまうというのは視野が狭すぎると自分は感じる。
スイッチを入れたら観れるテレビではなく、チケットを購入して観に行く映画や音楽、ステージは観客が選ぶことが出来るのだから。
それでも現実を見れば宣伝費が大きく削られて、公開規模が信じられないほど小さくなってしまう。
公開をしても製作者たちにとっても甘くない状況が訪れる。
当然、マイナスイメージを抱えたままの映画にもなってしまう。
これだったら公開しない方が良いと延期や中止を選ぶケースはあるかもしれないけれど。
それでも作られた作品が蔵の中に納まるのは余り健全とも思えない。
それを簡単に甘いとか世論的に追い詰めるのはあまり見ていて気持ち良くない。
もちろん若い人が、なんだクスリやっても平気じゃん!と思ってしまうような形は問題外だけれど。

少なくても世の中の薬物問題を抱えている人にとって。
害悪だと全てを中止することは、健全な方向にならないと思っている。
薬物犯罪の初犯が軽くされているのは、社会復帰するケースだってあるし環境犯罪のケースが多いからだ。
少なからず駄目なものは駄目であり、けれど社会復帰をさせる、馬鹿をやってんじゃねぇよ!という形がベストだと思う。
上映中止で莫大な違約金を請求して、二度と立ち直ることが出来ないほどの社会的制裁は逆効果になる。
それに世界の潮流もあるし簡単に判断していい問題なのかなぁとは思う。
いずれにしても、自分がそこに手を出すことはないのだけれど。
仮に自分の友人・知人が同じことをすれば、自分は徹底的に償いが終わるまでは厳しく対応する。
けれどその後はまた別になる。

なんというか犯罪に社会的制裁が厳しすぎると思う。
特にSNSのような発信力を皆が手にした時代は。
犯罪には裁判があって、裁判が量刑を下す。
社会的制裁は今までもあったけれど、SNSの時代はデジタルタトゥーでいつまでも誰でも検索できる状況になる。
例え前科があっても更生して、素晴らしい社会貢献をしている人だっているのに。
被害者への精神的苦痛という側面だけは注意しなくてはいけないと自分も強く思うけれど。
少なくても自分には犯罪者に何かの制裁をする根拠がない。擁護する気もないけれどさ。
社会全体が制裁する世の中になってしまうのは本当に健全だと思っているのだろうか?
社会的制裁って言葉を変えればリンチじゃないか。

こういう世の中だから、いくつかの作品の上映が危うくなることもあるのだろうか?
監督、共演した俳優、スタッフ、宣伝に至るまで関わった全ての人たちにとってどんな思いか今はすごくわかる。
仮に思い切って上映することを決めたとして、やっぱり非難する人が出てくるのだろうけれど。
観に行かなければいいだけなのになぁと思ってしまう。

思う所がある。
なんというか、変わってしまったなぁと思っている事。
それは「バカヤロー」の意味だ。

自分の記憶だと映画を観に行って呑みに行って、つまらなかったなぁって文句言い合うなんてことを良くした。
友人だったり恋人だったり仲間だったりと一緒に一つの作品を通じて、感性の違いを共有する時間があった。
あ、もちろん、面白かった!っていうのもあったんだけどさ。
今、言いたいのはこの「つまんなかったぜ!」っていうことが別の意味になっているって言う事。
今は同じことをSNS上でもやるわけだけれど。
SNSに「面白かった!」と書くことはもちろん普通の事なのだけれど。
SNSに「つまらなかった!」と書くことは別の意味になっちゃったんだなぁって思った。
本当は「つまらなかった」という感想も含めて映画って楽しんでいたんだと思うのだけれど。
要するに、愛情のあるバカヤローも、ただのジヅラのバカヤローと同じになっちゃった。
文字にだって血が通うと信じているけれど、SNSではそれが見えづらくなってる。

だから別に犯罪じゃなくてもスキャンダルが起きるとなんだか殺伐とする。
よほど気を付けないと、ジヅラだけで判断される。
大昔の芸能人の不倫スキャンダルなんて、(羨ましいなぁ)ってニュアンスも含まれていたのに。
今はまるで悪魔か鬼のような言われ方をされているようになってしまう。
同じ言葉なのに殺伐とする。
それってどうなんだろうか?
明るい未来につながる道なんだろうか?
なんか見ていて厭な気持になるというか、シンプルにくそつまらない。
日本人は戦争加害者だ!なんて言われると厭じゃんね、やっぱ。

寛容という言葉を忘れてしまったかのようだ。

きっと明日以降、色々な作品のことがニュースになる。
マスコミはこぞってそれを記事にする。
中止になれば賠償金を予想して、中止にならなければ非難する。
なんなんだ、これは?
ただの揚げ足取りじゃないか。

作品と個人を分けるべきとは自分は思わない。
全ての個人が関わっているのが作品であり、その全てが作品そのものだからだ。
例え端役のエキストラだったとしてもだ。
その上で作品とは、罪とか犯罪とかとは別の場所にあるものだと思っている。
上映することで傷つく人がいるかどうかだけが気にするべきことだ。

これ以上の関係者たちの無念が深くならないように願ってやまない。

セブンガールズは娼婦の映画だ。
現代において娼婦は犯罪者である。
けれど終戦直後は売春は犯罪ではなかった。
それでも社会的には蔑視されていた女たちだ。
今、非難される可能性だってある作品なのかもしれない。
いずれにしても映画や演劇はいつだって現代という社会と向き合わないわけにいかない。

娼婦という存在を思う映画だよ。これは。

真っ白に塗りつぶしたいのかな?
黒い所も、グレーなところもあるから。
グラデーションがあるから、社会なのに。
塗りつぶしちゃったらそれは、黒と変わらないのに。


映画「セブンガールズ」
公式サイト:http://sevengirls.info/
2019/5/18~24
横浜 シネマ・ジャックアンドベティ:http://www.jackandbetty.net/

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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:32| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする