2019年02月22日

果報は走って待て

明けて2月22日。
セブンガールズのクラウドファンディングは12月25日に始まって2月22日で終わった。
ジャスト60日間内で達成しなければ、企画自体が流れる。
ALL or Nothing方式と言われる形でのクラウドファンディングだった。
少しでも制作費があれば・・・ではなく。
集まらなければ、企画自体がなくなるという崖っぷちの方式を選んだ。
結果、基幹〆切の前日21日に達成をした。
それは日曜日で稽古場に皆が集まっている中で起きたことだった。
翌日の達成後もぞくぞくと支援が集まっていった。

あれから三年。
あっという間に時間が経過した。
すでに映画も公開されて、今はここから更にどうやったら広がるのか考えている段階だ。
日々全員で考えて動けばきっと何かアイデアが生まれるんじゃないだろうか?
わからないけれどさ。

それだけの時間が経過していればクラウドファンディングの企画者である自分はゆったりしていそうなものだけれど。
まるっきりそんな気配すらない。
今日は今日で横浜前に増刷したチラシの印刷データの修正が入ったり。
予告編データの不備が見つかって生まれて初めての作業に手を付けてみたり。
結局こんな時間までパソコンとにらみ合ってる。

そう言えば出演者の一人が自転車でポスターを制作協力してくださったスタッフさんに届けてくれた。
スチールを撮影してくださったスタッフさんと製作さんにポスターを欲しいと言われていた。
そう思って在庫を確認したら、自分たちは必死に貼り続けてほとんど残っていなかった。
今まで映画館に納品する数が残っていたのもギリギリだったから増刷をかけてあった。
スチール撮影しているスタッフさんはいずれ自分の撮影した写真のポスターに囲まれたいという。
製作さんは自分たちが関わった作品のポスターをオフィスに貼っているのだという。
宣伝にはもちろんならないのだけれど、そういう思い入れがあればあるほど作品は深くなるんだぜって思う。
そういう意味では本当は出演者全員にポスターぐらい1枚ずつ配って回りたいのだけれど。
宣伝であったり、いつ他の映画館が決定するのかもわからない状況で安易に使用できないという事もある。
もちろん、横浜の黄金町界隈にポスターを貼ってもらいに行くまではそこまで自由に出来ない。

お客様の中でポスターを売って欲しいという方もいらっしゃる。
それは実はそこまで難しいことではない。
ただポスター販売はやっぱりサインが欲しいという方が多いだろうという事とパッケージ問題がある。
ロビーが広い会場であれば販売を検討したいなぁとずっと思っているのだけれど。
サインが出来るスペースがあるのかどうかだ。
ただでさえ、現時点でロビーが混雑しているから難しい部分はどうしても出てくる。
それがあるからロビーではあまり話せないという事にもなりかねない。
それでも販売したとしてパッケージが難しくてしわしわになってしまうようだったら悲しくなってしまう。

スタッフパーカーも実は販売希望が多い。
凄く嬉しいことだけれど、とても難しいことでもある。
販売する数によって単価がものすごく変化してしまう。
現状販売したとしても、恐らく単価をすごく高く設定しないとそれこそチラシすら印刷できなくなってしまう。
かと言って単価を高く設定して売れ残ればTシャツと違って折りたたんでも厚みがあるから在庫の箱が大きくなる。
映画館で売っていただけるかも不明の在庫サイズだ。
なかなかうまくいかないなぁと歯噛みするしかない。
そんなこと悩みもしない映画もあるんだろうなぁ。
やれること全部やる!と決めているけれど、この場合の「やれる」は様々な側面迄検討が必要ってことだ。
可能性があるとしたら受注販売のみだけれど、全体作業を考えれば中々踏み切れない。

今日の作業もそういう意味ではやるべきことだった。
この先を思ってあえて意味のないかもしれない作業まで手を伸ばしてみた。
これがうまくいくようであれば、いつかもう一つ大きな経費削減が出来るかもしれない。
仮に出来なかったとしても、それが出来るんだという結果は一つの蓄積になる。
数十万もかかる業者の仕事を自分で出来るかもしれないという結果だ。
そんなことばっかりしているのだけれど。
実際、編集スタジオに一度も入らないまま編集を完成したのだから。
ああ、うまくいっていればいいのだけれど。
ここはじっくりとトライ&エラーになるのかもしれない。
それはそれだ。

今、発表されている三月上旬までのジャックアンドベティのスケジュールをじっくりと見る。
基本的に完全入れ替え制なのに映画と映画の間は10分の時間しか設けていないのがわかる。
2つのスクリーンでびっちりと映画が何作品もスケジューリングされているのだ。
それも朝の9時から23時までだ。
つまりそれだけ人気の映画館だという事。
映写室はずっと暑いままなのだろうなぁ。
上映時刻が分かった時点で宣伝計画を一気に立てないといけない。
チラシやポスターをどうせ置いてもらうなら時刻も告知したいからだ。
出演者に時刻を印刷した宣伝物を手渡すとしたって同じことだ。
とは言え、全てのその週の作品が出揃うまではスケジュールは出ないだろう。
こんなに過密に組んでいるのだから。
今、掲載されているスケジュールを観ればそのぐらいはわかることだ。

1つ。2つ。
メールを待っている。
いや、来ないかもしれないメールだけれど。
それでももしかしたらと思っているメールがある。

長い道になった。
丸3年。
一体いくつのことをしてきただろう?
一体いくつの記念日が出来たことだろう?
それなのにまだまだ考えることが山のようにある。
それなのにまだまだやることが山のようにある。

そして、明日何が起きるかわからないワクワクは今も続いている。
お月様が笑ってる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:07| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月21日

過去を思うこと

横浜シネマ・ジャックアンドベティでの上映は公開の頃からずっと思っていた劇場だった。
どんなところで上映されるかねぇ?なんて話の中で必ず出てくる映画館だった。

最後のパンパンと呼ばれている人を知っているだろうか?
横浜メリーとか、白いメリーさんとか、中にはマリーさんとか様々に呼ばれている。
横浜地区に明るい出演者も何度も街で見かけたという。
いわゆる横浜の街の有名人だ。
白粉を顔に塗って真っ白のもう老婆と言っていい娼婦が横浜に実在した。
本になり、映画になり、伝説になった。

パンパンとはいわゆる米兵に体を売る街娼を差す蔑称だ。
侮蔑の意味が含まれているけれど、実は自分たちでも名乗ったり、少女が憧れたなんて記録も残っている。
そういう意味では蔑称だけではなくて、通称でもあった。
そして、その米兵が最も多かった地域が横浜だ。
・・・いや、沖縄(そして小笠原)を除けばだけれど。
実際、沖縄を除けば、横浜は日本全体の6割の土地を接収されていたのだという。
マッカーサーが滞在したのも横浜のホテルだったわけだし、非常に米軍基地に近い。
東京五輪の時期に開放されていったわけだけれど、今も、厚木には基地がある。

父は福生で育ったのだけれど、福生にはずっとパンパンがいたと聞いている。
今も米軍基地がある場所にはパンパンがいるという事だ。
前述した沖縄にももちろんいるということだ。
横浜が接収されたのはその歴史的な背景による。
明治維新に至る幕末期、横浜港開港がそのスタートだった。
江戸時代の終わりから横浜は外国人が滞在する街だった。
品川横浜間には日本最初の電車が走った。
日本にとって世界に繋がっている最大の港だった。
シネマ・ジャックアンドベティも、掘り起こせば米軍基地だった場所にある。

野毛地区の闇市、戦前外国人相手に仕事をした遊郭、寿町のドヤ街。
米軍だけではなく、中華街を始めとしたアジア系の街。
長崎や神戸よりもずっと規模が大きかった日本最初の国際都市。
終戦直後に大量の米軍兵士が上陸したのが横浜だ。
多くの都市の闇市の混雑が物語になっているけれど、そこに更に国際的な混雑があったという事。
例えば「GIベビー」で検索するだけでたくさんの悲しい物語が出てくる。
それが横浜だ。

もちろん暗い側面だけではない。
明治期から残っている数多くの洋館もある。
世界への窓口だったからこその、その後の発展もある。
そして国際色豊かだったからこそ生まれた文化も数多く残っている。
黄金町で有名だった青線の名残の違法風俗は浄化計画で撤廃されている。
今、シネマ・ジャックアンドベティがある黄金町界隈はアートの街に生まれ変わっている。

先日、シネマ・ジャックアンドベティに足を運んだお客様が写真をSNSに載せていて。
そこには「肉体の門」のポスターが展示されていた。
永井荷風じゃないけれど。
人間の持つ本質的な本能的な部分は完全に消し去ることは出来ない。
どんなに浄化して綺麗な街にしたって、そこには歴史があって匂いのようなものが残っている。
そして、その匂いを愛している人がこの街にはいまもいるということじゃないだろうか?

終戦直後。
人が集まる街には当たり前のように闇市が出来ていった。
そしてその闇市は、やがて飲食店街、興行関係、特殊飲食店街になっていく。
この興行関係の建物はやがてストリップ小屋や劇場、映画館になっていった。
特殊飲食店街はいわゆる赤線・青線と呼ばれた風俗街だ。
だから全国の歴史ある映画館に行けばどこに行ったってセブンガールズは土地になじんでいくと思う。
映画館とはそもそもそういう土地にあったのだから。
それでも、ここまで米軍兵士が多かった地区は沖縄を除いて他にない。

とある著名な方にセブンガールズを観て欲しいと連絡した返信に書かれていた。
自分は「横浜出身だからパンパンという言葉に馴染みがある」という一文。

メリーさんにはいくつかの美しい伝説が残っている。
結婚を約束したアメリカ海軍の将校をずっと横浜で待っているんだという話。
それが本当なのか嘘なのかなんてどっちでもいいと思う。
メリケン波止場をバックに唄われたブルースがたくさん残っている。
そういうことと同じことだって思う。
そこにいつか誰かが思いを馳せる。
それが文化が持つ役割なのだから。
だから生まれた物語の真贋なんてどうでもいい。

セブンガールズを黄金町で鑑賞した帰り道。
どんな風に街の景色が写るだろう?
かつて、そこに立っていたかもしれない娼婦たちの影が、笑い声が、匂いが。
風に乗って感じるかもしれないよ。
朝鮮戦争に向かったジョニーを待つ女の涙がふいに見えるかもしれないよ。

意外に明るくて自由だったよ、パンパンは。
女学校を出たインテリも多かった。
そんな証言も数多く残ってる。

暗い歴史なんて言ったらいけないんだと思う。
それを知り、それを感じて、それも肯定して。
今を生きる自分を思って。
未来を生きる誰かを思えばいい。
メリーさんが年老いても横浜を離れなかった理由に思いを馳せればいいと思う。

戦争映画のような暗い物語ではないセブンガールズを黄金町で上映する。

自分はこれはきっと未来を照らすことなんじゃないか。
そんな意味があるんじゃないか。
そんな風に思い始めている。

暗い、悲しい話も、たくさんたくさん知りながら。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:53| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月20日

ようやくそういう時代

クラウドファンディングでお世話になった大高さんとジャックアンドベティの支配人さんの対談を見つけた。
内容はとっても興味深い内容で土地柄のことも書いてあってとても勉強になった。
読んだ後に、ああ、やっぱりここで上映するのは運命だったんじゃないかという気がした。
もう大高さんが舞台に足を運んでくださって一緒に呑んだのは3年も前の話だ。
不思議な縁だなぁと思った。
そして、土地に眠る歴史もセブンガールズは繋がっていくんじゃないかとつくづく思った。

実は自分勝手なイメージなのだけれど。
映画館のスタッフはもっと自分よりも年上の方が多いと思い込んでいた。
どうしても名画座のイメージがあるし、映画の造詣が深い方という感覚があるからかもしれない。
実際に名古屋シネマテークのご担当はそうだったし、UPLINKの代表さんはずっと年上だ。
そして公開をしたK'sシネマのご担当だって、映画の生き字引のような方だった。

でもそんなものはイメージなのかもしれない。
現実的には自分と同世代の人たちが多く活躍されている。
UPLINKの編成担当さん、シアターセブンの担当さん、そしてジャックアンドベティの支配人さん。
驚くほど自分の年齢に近い方々が活躍されていた。
映画は常に現在を生き続ける文化でもあるわけで。
若い感性であるとか、新しい動きがどんどん出てくる。
それに現実に運営していくとなれば強烈なバイタリティーが必要になってくる。
それを思えば脂ののった世代がバリバリと情報を集めて編成したりするのは当たり前かもしれない。
勝手に自分の中で思い込みが激しかったのだろう。

そしてそれはとっても面白いことなんじゃないかって感じている。
自分と同世代という事は、自分と同じような映画体験をしてきたのかもしれない。
どこかで自分は演劇畑に集中していったのだけれど。
少なくても青年になるまでは、ほぼ同じだったはずなのだから。
映画館という場所に対する原風景だって、そう大きく違わないはずだ。
映画だけじゃなくて、テレビだって同じようなものを観ただろうし、テレビでの映画も観たわけで。
なんというか、自分の世代の皆様がそこにいるということが嬉しい。

そして嬉しいことのもう一つに。
自分よりも若い世代の製作する映画をちゃんと掬い上げていることだ。
当然、面白いから上映したり決定しているのだと思うけれど、それだけではないと思う。
今の自分が同じ立場であれば、まずそれだけっていうことはない。
これからを創るという仕事を意識してしまう年齢だからだ。

自分がまだハタチ前後の頃。
あの頃も単館映画なんていうものが出始めていて。
恐らくその旗手となっていたのが岩井俊二監督だったと思う。
そこから更に多くの映画監督が登場したわけだけれど。
その頃の監督たちは、今も映画監督として活躍している。
あの頃、若い監督にどんどんチャンスが回ってきたのはきっとそういう大人がいたからだ。
実際、北野武監督や、他ジャンル監督が生まれたのもあの時期だった。
何か新しいものを、新しい映画を、探している空気が確かにあった。

今のミニシアターと呼ばれる世界の監督たちは、どんな未来を描いているのだろう?
・・・というのも、今は映像コンテンツが求められている時代だからだ。
2020年の東京五輪の頃には5Gなんていうインフラが整って、更に動画は身近な存在になる。
NetflixやAmazonなどなどオンラインでの映像配信も続々と出ている。
更に言えばテレビの世界のキー局でさえ自社ドラマは減り、制作会社に依頼をしている。
NHKさえ遂に製作会社に依頼をするようになったのだ。
つまり、映像が作れる人はこれから引く手あまたなんじゃないだろうか?
映像コンテンツがぜんぜん足りていない。

その中で現代のミニシアターには新しい感性がやまのように溢れている。
自分が公開してから色々な作品を調べたり学んで分かったことなのだけれど。
ミニシアターの監督が、様々なメディアから仕事の依頼を受けるというケースが結構あるようだ。
それはもちろん自分オリヂナルの映像作品ではない。
PV、MV、CM、VPはもちろん、配信用バラエティ作品、深夜枠や配信用新人ドラマ等々。
とにかく映画監督を志している人たちにとっては引く手あまたな状況なんじゃないだろうか?
かつてのあの頃の監督たちだったら、そんな誘いをどうしただろう?まったくわからないけれど。
映画監督にしか興味ない!という人にとっては大変な時代なのかもしれない。

けれどそれはとっても良いことでもある。
ミニシアターという場所が職業監督の一つの発表の場になっても何も悪くない。
その中からもちろん映画だけの監督も生まれていくのかもしれないし。
職業監督をしながら、映画も製作していくのかもしれない。
とにかく映像に携わりたいんだ!という人は映画から離れていくかもしれない。
どの道が正しいとか間違っているわけじゃなくて、発表する場所があることが素晴らしい。

俳優でもある自分としては、そんな中ですごい監督に出会ってみたいなぁと思ったりする。
若いとか年上とか関係なく、面白いものを観ている監督に出会いたいと強く願う。

多分、自分はそういう映像製作の道にも進むことが出来る。
現実的に監督が書いた台本から、シーン表を起こして現場でも助監督さんの補助もした。
映像編集もしているし、今もちょっとした映像を稽古場で撮影してすぐに公開するまで行ける。
ロケ地探しから、宣伝から、HP製作まで、なんだってやってしまう。
そういう意味では、今の若い監督たちに一番近い存在は自分なのだ。
うちの監督は、それこそ映画監督がやること以外はやらせたくなかったというのもあるし。
今のデジタルな部分を完全に理解してもらうのは荷が重すぎる。
作品について、自分のスタイルについて、徹底的に考えて欲しいと願っていたから、自分はこれを覚えた。
覚えてから、実は実際にちょっとした映像を創って欲しいという仕事をやったりもした。
最初に編集したのが劇場映画なんだから、これ以上の強みはない。
でも実は自分は想像以上に自我が強いから依頼されて何かを創るというのは結局むいていないんだろうなぁ。
かと言って映画監督をやれる甲斐性もないのだけれど。

そういう中でミニシアターというシーンはいったいこれから何を産み出すのだろう?
自分と同世代の、支配人さんや編成さんたちは、「これから」をどんなふうに見ているのだろう?
どこかで酒を酌み交わして話でもしたいなぁとつくづく思う。

そしてどんな映画監督が生まれるだろう?
作家性が強い監督も、娯楽性が強い監督も、奇抜な監督も。
どんどん生まれてきたら面白いなぁ。
そしてどんどん出会えて行けたらいいのになぁ。

ひどいものさ。
どんどん未来まで考えてしまうのだから。

けれど。
今、自分の世代が何か時代を創ろうとしているんじゃないか?
そんな気がしてドキドキしてしまった。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:20| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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