2019年01月27日

公開41日目

到着するとそこはまだ薄暗い名古屋だった。
名古屋の喫茶店のモーニングは名物だと聞いていたから行こうと思ったのだけれど。
開いている店はなく、かろうじて電車が動き始めるかなという時間だった。
ひどく冷えるから、思い切って名古屋城まで歩くことにする。
途中で開いている喫茶店を見つけて、入ってみた。
当たり前のように目の前のジャムの中に餡子があった。

朝日が直接に金の鯱に当たって光っていた。
大昔の新聞の写真を思い出す。
炎に包まれた名古屋城の姿。
信じられないような高低差のお堀も、急角度の石垣も、複雑な参道も。
要害といわれたであろうすべての加藤清正の計算をB29は軽々と超越してしまった。
この町のシンボルは、戦後復興の象徴だっただろうと肉体で実感していく。

名古屋の道はどこも広かった。
理由は、いつでも滑走路になるようにらしい。
かつて三菱重工業の戦闘機の工場が立ち並んでいた町。
だからこの町にはひどい空襲があって、この町が落ちたその瞬間に島国の勝ち目はなくなった。
まぁ、勝ち目なんて最初からなかったはずだけれど。
飛行機を量産できなくなった時点で白旗を揚げるのが普通の国なはずなのに。
それでも日本は降伏を選ばなかったのか。

やってきたバスに乗り繁華街に出たころ、監督から連絡が入り合流する。
名古屋シネマテークに向かった。
雑居ビルの三階に歴史を感じさせる看板があった。
2回にバーがあって、その名前がRED LINEだった。
赤線?
自分の頭の中で、勝手にセブンガールズと繋げていってしまう。

監督が食事を摂っている間に、先に映画館に入りもろもろ伺う。
壁に貼られたサイン色紙は名古屋シネマテークの歴史そのものだった。
映写室の鉄扉にもサインが書かれていた。
かつて名古屋シネマテークで登壇した際の言葉をまとめた岡本喜八監督の本を発売していた。
早速一部手にとって、監督が買いますよと伝える。
到着すると本当にあっという間に購入した。
手に取り開いて、写真の喜八監督を懐かしそうに見ていた。
自分が大誘拐の主題歌を歌ったころ、映画監督をやるなんて思っていませんでした。
監督は名古屋シネマテークご担当に、そっと伝えた。

全員で合流して時間がやってきたから場内に入る。
驚くほど、場内が埋まっていた。
そして、熱い熱い拍手で迎え入れてくださった。
ちょっと信じられないほどだった。
大阪のシアターセブンのころよりも確実に映画ファンに浸透してきていることがわかった。
客席を見れば、長く名古屋から舞台に足を運んでくださるお客様もそこにいた。

本当に驚いたのはその後だった。
その熱気は舞台挨拶にとどまらなかった。
異例とも言える一時間を越えるサイン会。
自分たちの前には長蛇の列が出来上がった。
一人ひとりに、三人で話をする。
後ろに並んでいる方を思えば、一言二言で終わらせるのが正解なのだろうか?
まったくド素人だからさ、自分は。
結局、どんどんどんな話にも答えて言ってしまう。

東海地方の映画ファン、東海地方からいつも来てくださった劇団ファン、そして遠征してくださったお客様。
皆様の言葉がすべて熱かった。
大阪のときも思ったことだけれど、都内の何倍も熱いリアクションが帰ってくる。
映画のすべてが詰まっている作品だ!と激励されて、急に恥ずかしくなったり。
かつて名古屋に住む両親の家の地下から焼夷弾が出てきた話が出てきたり。
映画を見て涙を流すことが初めてだったんだ!と強く手を握ってくださった。

終わってから、初めての映画館での取材を受けた。
終わりを中心に得んため情報を掲載しているWEBメディアだ。
深夜になってから早速記事を更新したと連絡が届く。
舞台挨拶からロビーの様子、記者さんの作品への実感と、インタビュー。
全てがまとまっていたから、今日はレポを書くことをやめにした。
こんなに詳細な記事が書かれると思っていなくて嬉しくて飛び上がった。

名古屋に来てよかった。

そしてこの映画の持つポテンシャルは、まだまだ広がっていくことができると確信した。

自分が足りないんだ。
自分の努力が。
もっともっと届けなくちゃいけない。
そう固く自分に誓った。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 10:02| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする