2019年01月17日

熱い男なのか

自分は熱い人だと言われることが多い。
実は自分では全然そんな風に思っていなくて。
むしろ、頭ばかり使って、もっと感覚的な瞬発力があるべきだと反省してしまうぐらいだ。
自分の大抵の行動は一度頭の中で考えて、組み立てているような気がして仕方がない。
もちろん、腹の底に大事なものを抱えているからなのだけれど。
それを熱いと言われているのかなぁとか、考える。

熱くなるな!
そう言われることもあまりない。
長く一緒にいるメンバーには、最後まで怒らないと言われる。
怒ったら面倒だし、怒ったら最後だけどという言葉が付くのだけれど。
人が怒る場面でも我慢しているとよく言われる。
ってことは、腹の底じゃ怒ってるのがバレバレだってことなのだけれど。
それでも表面上は、まぁいいよ。と受け流すことが殆どだ。
皆が怒っていることを笑ったりもする。
受け流しきれなくなったら怒る。
あとは例えば監督が怒るような場面になれば、先に怒る。
そのぐらいだ。

とは言え穏やかな人と言われることもあまりない。
この辺がちぐはぐなんだろうなぁ。
言わなくちゃいけない事は言うのだけれど、それを怒ってると取る人もいるし。
ニコニコいつでも笑っているわけでもないんだもんな。
おためごかしなんか嫌いだし、つまらなくなるから。

セブンガールズを映画にする。
それはもう大事業に匹敵していたなぁと思っている。
なんせ、誰に聞いたって出来るわけがないと言われていたのだから。
とにかくアイデア1つで乗り切れるようなものではなくて。
ありとあらゆることに手を伸ばさなければできなかった。
どうしても難しい場面になれば自分が勉強して、自分がやるしかなかった。
そんな時ただ熱いだけでは、やっぱり無理なのだと思う。
映画の編集なんて、映像編集の最高峰の一つなわけで。
冷静に編集の基礎から勉強しないと出来るわけがない。
だから、自分はいつだって冷静だし、常に次を見越して動いてきたつもりなのだけれど。

まぁ、熱いのか。結局。
そうなんとなく思った。

どこか青臭くて恥ずかしくもある。
熱い男という響き。
自分なりに大人に成長してきているから、若い日のそれをすでに持っていない。
だからこそ、今の自分にはどこか照れくさいなぁと思える。
子供っぽいって意味にも聞こえたりする。

冷静に色々な角度から、色々なことを考えて、アイデアを思い起こして。
そういう事の全てが、自分としては大人だなぁと思っていた。
随分、自分は大人な考えが出来るようになったなぁと思っていた。
そのアイデアが実現になった時に、喜んでいる仲間を観て、それを考えて実行する冷静さを自分は持っていた。
でも、そうか。
それはどうやら同居するものなのか。
セブンガールズをこうしたい!という強い思いがあるから、そんな風に頭も使っているわけで。
その強い思いはいつだって熱いのか。
やっぱりそうなってしまうのか。

メールボックスに並ぶメールを観てクラクラする。
自分はいったい誰と連絡を取っているんだ?
こんなことあっていいのだろうか?

心に熱いものを持って、冷静に頭脳を働かせる。
そのイメージは、青い炎だ。
けれど、どうやら、自分は、真っ赤な炎なのだそうだ。
真っ赤な炎の中で、じいっと何かを考えている。

まぁ、なんでそんなことを今日考えていたのかと言えば。
ここからセブンガールズをどんどん進めていく中での立ち位置を考えていたからだ。
昨日監督と一日二人で行動していて。
やっぱり監督という看板があって、その看板の色があって。
セブンガールズという作品には、作家性だってあって、精神性だってあって。
きっと監督が担う作品性に対して、自分は精神性なのだなぁとつくづく思ったからだ。
その二つが両立しなければ作品は作品たりえなかった。
もちろん、自分だけじゃなくて、メンバーそれぞれの思いがあったからこそなのだけれど。
それでも、監督と二人という場面はこれからも間違いなくあるわけで。
だとしたら、自分は自覚するべきだ。
はっきりと自覚しておくべきだ。
そうあることが、監督の作家性をもっともっと引き立てる事にもなる。
自分の熱意が、監督の感覚と並べばいい。

まぁ、何もかも計画通りにはいかない。
何もかも計算通りになったためしがない。
なんだって柔軟に対応できないのであれば、どこにも進めなくなる。
自分の立ち位置なんて、どれだけ考えたって、実際には場面場面で変わっていく。

まぁ、何も考えなくたって、熱い男と言われているのだとしたら考える必要もないことなのか。

今日もまた熱意を伝える方法について考え続けていた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:25| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする