自分は熱い人だと言われることが多い。
実は自分では全然そんな風に思っていなくて。
むしろ、頭ばかり使って、もっと感覚的な瞬発力があるべきだと反省してしまうぐらいだ。
自分の大抵の行動は一度頭の中で考えて、組み立てているような気がして仕方がない。
もちろん、腹の底に大事なものを抱えているからなのだけれど。
それを熱いと言われているのかなぁとか、考える。
熱くなるな!
そう言われることもあまりない。
長く一緒にいるメンバーには、最後まで怒らないと言われる。
怒ったら面倒だし、怒ったら最後だけどという言葉が付くのだけれど。
人が怒る場面でも我慢しているとよく言われる。
ってことは、腹の底じゃ怒ってるのがバレバレだってことなのだけれど。
それでも表面上は、まぁいいよ。と受け流すことが殆どだ。
皆が怒っていることを笑ったりもする。
受け流しきれなくなったら怒る。
あとは例えば監督が怒るような場面になれば、先に怒る。
そのぐらいだ。
とは言え穏やかな人と言われることもあまりない。
この辺がちぐはぐなんだろうなぁ。
言わなくちゃいけない事は言うのだけれど、それを怒ってると取る人もいるし。
ニコニコいつでも笑っているわけでもないんだもんな。
おためごかしなんか嫌いだし、つまらなくなるから。
セブンガールズを映画にする。
それはもう大事業に匹敵していたなぁと思っている。
なんせ、誰に聞いたって出来るわけがないと言われていたのだから。
とにかくアイデア1つで乗り切れるようなものではなくて。
ありとあらゆることに手を伸ばさなければできなかった。
どうしても難しい場面になれば自分が勉強して、自分がやるしかなかった。
そんな時ただ熱いだけでは、やっぱり無理なのだと思う。
映画の編集なんて、映像編集の最高峰の一つなわけで。
冷静に編集の基礎から勉強しないと出来るわけがない。
だから、自分はいつだって冷静だし、常に次を見越して動いてきたつもりなのだけれど。
まぁ、熱いのか。結局。
そうなんとなく思った。
どこか青臭くて恥ずかしくもある。
熱い男という響き。
自分なりに大人に成長してきているから、若い日のそれをすでに持っていない。
だからこそ、今の自分にはどこか照れくさいなぁと思える。
子供っぽいって意味にも聞こえたりする。
冷静に色々な角度から、色々なことを考えて、アイデアを思い起こして。
そういう事の全てが、自分としては大人だなぁと思っていた。
随分、自分は大人な考えが出来るようになったなぁと思っていた。
そのアイデアが実現になった時に、喜んでいる仲間を観て、それを考えて実行する冷静さを自分は持っていた。
でも、そうか。
それはどうやら同居するものなのか。
セブンガールズをこうしたい!という強い思いがあるから、そんな風に頭も使っているわけで。
その強い思いはいつだって熱いのか。
やっぱりそうなってしまうのか。
メールボックスに並ぶメールを観てクラクラする。
自分はいったい誰と連絡を取っているんだ?
こんなことあっていいのだろうか?
心に熱いものを持って、冷静に頭脳を働かせる。
そのイメージは、青い炎だ。
けれど、どうやら、自分は、真っ赤な炎なのだそうだ。
真っ赤な炎の中で、じいっと何かを考えている。
まぁ、なんでそんなことを今日考えていたのかと言えば。
ここからセブンガールズをどんどん進めていく中での立ち位置を考えていたからだ。
昨日監督と一日二人で行動していて。
やっぱり監督という看板があって、その看板の色があって。
セブンガールズという作品には、作家性だってあって、精神性だってあって。
きっと監督が担う作品性に対して、自分は精神性なのだなぁとつくづく思ったからだ。
その二つが両立しなければ作品は作品たりえなかった。
もちろん、自分だけじゃなくて、メンバーそれぞれの思いがあったからこそなのだけれど。
それでも、監督と二人という場面はこれからも間違いなくあるわけで。
だとしたら、自分は自覚するべきだ。
はっきりと自覚しておくべきだ。
そうあることが、監督の作家性をもっともっと引き立てる事にもなる。
自分の熱意が、監督の感覚と並べばいい。
まぁ、何もかも計画通りにはいかない。
何もかも計算通りになったためしがない。
なんだって柔軟に対応できないのであれば、どこにも進めなくなる。
自分の立ち位置なんて、どれだけ考えたって、実際には場面場面で変わっていく。
まぁ、何も考えなくたって、熱い男と言われているのだとしたら考える必要もないことなのか。
今日もまた熱意を伝える方法について考え続けていた。