稽古場に行く。
監督とは明日以降のことを少し話す。
あくまでも事務レベルの話だけれど。
事務の話をしてその後別の事をやり始めてからつくづく思った。
監督もだし、自分もだけれど。
結局本質はクリエイターなのだろうなぁという事。
どんなに事務的なことを考えたって、結局、優先されるのは創造的なこと。
考えて、挑戦して、何かを作り上げていく作業。
これ、どうしましょうか?という疑問に、答えを見つけていく。
稽古場は常に実践の場であり、実践はそのまま創造につながる。
もちろん、プレイヤーの側面もあるのだけれど。
プレイヤーというのは多分、クリエイターの一側面なのかもしれない。
創造していく中で、自分の肉体を使ってクリエイトする、実践する、そういう瞬間。
それまでの客観性と、主観が融合する瞬間。
ある意味ではクリエイターにとって一番の最高潮かもしれない。
ここ、こうしようよ。
ここ、この方が良いんじゃないの?
これって、こっちのほうがかっこよいですよねぇ?
ばか、いんだよ、そのままで。
アイデアが飛び交って、都度、納得点が見つかる。
多分、そういうのって、実は簡単なことじゃない。
え?なんでこうなの?と疑問を持ったまま続けることが殆どかもしれない。
そこですぐに、じゃあそれで!と、納得できるかできないかは長い年月が生み出した連携。
大体が自分が創造したことを監督にそうじゃねぇだろ!と言われて直す。
でも、直さない部分やそれなら・・・と展開する部分もある。
そこでクリエイトが始めれば自分は大抵のことを納得する。
おれ、こっちのが好きだなぁ的な一言を聞いたら、そっちにあっさり変える。
本当はそういうやり取りというのは少人数の方が早い。
それこそ監督と二人で編集をしている時は早かった。
自分が提示した編集点を監督があっさりと却下するなんてよくあったことで。
或いはどうしようか?と言われて試しにこうはどうですか?と言ってあっさり採用もあるわけで。
そこでなんでだよ?とか、こうじゃねぇだろ?には一度もならなかった。
あ、なるほど、わかりました。
もうそれだけでどんどん進行していった。
バンドリハなんかもそうだ。
バンドメンバーだけで曲を良くしていこうと思えば早い。
フロントがこうしたいと伝えて、リズム隊がこのほうがいいんじゃない?と来て。
お!確かに!とか、意外にあっさりと進んでいく。
えええ!やだよ!それ!となることももちろんあるのだけれど。
とりあえずやってみてからじゃない?に収まりやすいのが少人数の良さで。
なんというか、そういう軽やかさが、創造的場面では必要なのだと思う。
吉田トオルさんは、常にクリエイトしている中で。
プレイヤーになる場面もあって、プレイヤーとしての練習やリハーサルもある。
自分だけの時と、人と交錯する時と、人前に立つとき、きっとそれぞれ使う神経は違うはず。
けれど、創造的な作業という意味では常に同じで、そこに刺激もいつだって求めているはずで。
きっとそれが、何かの音源だったり、誰かの一言だったりする。
一方で、監督は、やる範囲が多いし、一人のことも多いし、プレイする場面が少ないから。
どうしてもクリエイターとしての場面じゃない時間帯も多いはずだよなぁなんて思う。
自分だって、どうしても事務レベルの話もしなくちゃいけないし、しない日はないのだから。
だから、稽古場で監督と創造的な作業に入った時は、違うスイッチが入る。
そのスイッチが入れば、もう、その後は笑顔しかない。
少なくても監督が口にするアイデアや意見は、最大限生かすし、面白がる。
客観性なんてものは、創造的な作業をした後に、一度冷静になれば十分だ。
演出家の時、動いているのは役者なのに。
ひどく監督がつかれている時がある。
それは、劇を創造していく中で、いかに脳を使っているかの証拠だ。
走り回った役者と同じぐらい疲れているように見える時だってある。
多分、帰宅してから監督は疲れたはずだ。
いつもよりも、笑ったり、考えたり、使った脳も違ったりしていたから。
演出後に似ている、稽古場を後にする時の顔をしていた。
まぁ疲れると言っちゃいけないけれど、実は一番疲れるのは、感情が動いた時。
赤ん坊が泣きじゃくった後に熟睡するように。
人は心を動かしたときが一番体力を使う。
肉体を駆使するのと同等かそれ以上にだ。
むしろ、ランナーズハイのように肉体だけを駆使すれば、感情がハイになった時に近い状態に脳は切り替える。
感情とは肉体と直結しているんだと気付く瞬間でもある。
セブンガールズで監督は常にそんな創造的な場所に立っていた。
そこに集中できている時間だったはずだ。
あれはハッピーだったのだろうなぁと思う。
常に感情が動いているような時間帯だったのだから。
とは言え。
事務レベルや、きちんと冷静に考えることも、多いだろう。
それはそれ。
ここからが大事で。
自分の出来ることはそこでどこまでのサポートが出来るのかだ。
まぁ、そういう自分が結局創造的な作業をすることで、ひとつだけ上のテンションに上がったことで救われた。
うん、救われたっていう言葉が正しい。
これおしておくことで、次の活力になるのであればなおのことだ。
さあ、出かけよう。