なんでそうなったのかまでちゃんと考えるべきなのだろうけれど。
現代の日本人はなんというか、とても許容範囲の広さを持っていると思っている。
例えば、W杯では他国や対戦国の選手にも良いプレーには拍手を送る国民性を持っている。
これは他の国のサッカー選手が感動してしまうようなことなのだから世界では標準ではないという事。
それを例えば、熱くならない人種と否定的な見解をする人も中にはいるけれど。
自分の中では、とても誇るべき文化だよなぁと思う。
なぜそれを現代というかと言えば、それが起き始めたのが多分自分たちが10代ぐらいの頃からだったと記憶しているから。
その頃の大人たちがそうだったのか、その頃の若者たちが新人類としてそうなったのかもわからないけど。
ただそれ以前と、それ以降では、まったく変わってしまったんじゃないかと思うぐらいの変化だ。
例えば、自分が子供の頃は、巨人ファンと阪神ファンが飲み屋で同席することなんかあり得なかった。
新日本プロレスファンと全日本プロレスファンはお互いを敵対視していた。
まるでイデオロギー闘争のような、思想的な見解に違いがあったとさえ思える。
何かを肯定するために別の何かを否定するというやり方は、ある意味では普通だった。
聖子ファンと明菜ファンが交錯するなんてことはありえなかった。
一つは強固な小さなコミュニティの解体が影響しているのだと思う。
私設応援団的なものを最近はあまり見なくなった。
もちろん一部では残っているし、思想や宗教の世界ではまだまだあるのだろうけれど。
昔は野球観戦に行っても某球団の○○会には近づくな!なんて言われたものだけれど。
そういうことをほとんど耳にすることがなくなった。
あったとしてもクラブや部活に近くて、横の連携や繋がりも出来るぐらいのグループになっている。
地下アイドルのファンとかはどうなのだろう?
自分の応援するアイドル以外では盛り上がっちゃいけないとかそんなルールがあるのだろうか?
少なくても、自分が観た映像でそういう雰囲気を感じたことがない。
バンカラな伝統を残している団体は、ことごとく消えていっているんじゃないだろうか?
嬉しいなぁと思うのは、映画「セブンガールズ」や劇団前方公演墳を応援してくださる方々もそうだという事だ。
他の映画も観てみようとか、他の舞台も観てみようとか、特別こだわったりしない。
他の映画をより高く評価していても、別に誰もそんなことは気にしない。
セブンガールズも好きなのであれば同じだねぇというスタンス。
それはこれから新しく映画を観たい人にとっての敷居がとても低くなるし、開けているイメージがある。
もちろん、昔の私設応援団的な集団の方がパワーがあったという意見もあるだろうけれど。
そのパワーはアンチを産み出す側面も持っているし、入りづらさを持っているのは確かだと思う。
色々な映画の中でセブンガールズを選んでくださっている皆様がいらっしゃって。
セブンガールズだけを愛してくれなんて言うのは、やっぱり、面白いことじゃない。
ただ一つ、はっきりと感じているのは、映画ファンと呼ばれる人たちが観ている場所で大事なことがあるという事。
それは、作品愛なんだなという事を最近は深く感じ始めた。
その作品の面白さ、斬新さ、テーマ、様々な映画の楽しみ方がある中で。
映画ファンたちが最終的に本当に評価している場所は、作品愛があるのかどうかだという事だ。
どんな作品だって、監督は作品愛を込めているものだけれど。
まぁ、そうじゃなくては、とてもじゃないけれど、映画監督なんて大変なことは出来ないのだけれど。
それでも、映画ファンは、その作品愛の深さを敏感に感じ取っている。
映画産業の中で、商業とは別の匂いとして、どれだけの思いが込められているのかを図っている。
好みのレベルももちろんあるとは思うけれど、嫌いな作品でなければ、重要な要素として作品愛は必ず大事なポイント。
もしかしたら、それ以上に大事なものなんかないんじゃないかと思うほどだ。
愛情を込められた作品だからこそ、愛せるわけで。
出演者や監督が作品をどのぐらい愛しているのかは常にみられているのだと思う。
幸い、セブンガールズは、自分たちの手作りの映画なわけで。
ただ出演した映画というよりも20年間の思いが込められている。
応援してくださる方は、その作品愛を信じてくださっている。
他の映画を応援している方々のコメントをみても、同じことを感じる。
映画の中の細かい拘りであるとか、映画愛であるとか、他作品からの影響であるとか。
そんな箇所をより愛しているんだなぁと、感じたりする。
ありがたいことに、他の映画を応援している方がセブンガールズも観てみようと思ってくださる。
この映画以外は応援しないよというような閉鎖的な空気がない。
そういう中で、セブンガールズの中に、作品愛を感じてくださった方が喜んでくださっている。
それは忘れてはいけない事なのだって自分の中で大事にしている。
もしかしたら、閉鎖的なファンがいる映画もあるかもしれないけれど、そういう方には出会わない。
出会う方々は、皆様、特別な一本をお持ちで、その一本と同じように作品愛があるのかはしっかりと観ている。
それをひしひしと感じる。
そう考えれば、かつての私設応援団的な団体はなくなったのだけれど。
もっともっと大枠の、大きな大きな意味での、枠があるのかもしれないなぁと気付く。
作品単独についたファンよりも、映画文化そのものを愛している方々がいて。
その方々には、実は明確なこういう部分は持っていてくれよというルールが存在するかもしれない。
もちろん、それは団体じゃないから明文化されているようなルールではないのだけれど。
それでも恐らく、ふざけんなよ!というラインはあるんじゃないだろうか?
今、社会的には映像コンテンツが足りないと言われている。
モバイルのインフラが4G、wifiが流通したことで、オンラインの映像配信が増えた。
地上波、BS、CSに加えて、YoutubeなどのSNS、そしてオンライン放送。
東京五輪がやってくれば、信じられないようなスピードの5Gが始まる。
圧倒的に必要な映像ソフトの数が増えている中で、それを創ることが出来る人は求められている。
ミニシアターや自主制作の映画監督たちは、どんな未来、どんなヴィジョンを描いているだろう?
職業監督になるのか、例えばバラエティ的な作品を依頼されて創るようになるのか、映像作家になるのか。
意外に、あの映画の監督が、どこそこで監督をしたなんて話も増えているように思う。
映画監督として大成したいなんて意外に誰も拘っていないのかもしれない。
こんな映像を撮影できる監督がいるよと噂になれば、仕事に繋がっていくはずで。
映像の仕事をして生きていけたらいいな・・・ぐらい拘っていない方だって多いんじゃないだろうか。
デビッド・宮原という監督は、そういう中で、様々なことに対応出来ると思う。
低予算で会話劇を創ることも出来るし、バラエティ色の強いコメディだって創れる。
恋愛ものだって、アクションものだって、不良少年だって行ける。
スターが大勢出てくるような大作映画だって作れる。その原作だって持ってる。
セブンガールズという作品はどんな可能性だってあると思う。
色々な話がこれから来るんじゃないかなぁと勝手に想像しているし、そうなれば良いと思う。
ただ。この人はきっと今応援してくださっている方々を裏切ることはしないんだろうなぁと感じている。
背に腹は代えられないような場面があったとしても、自分の世界を、自分の劇団を持っている。
胸を張れる場所を常に持ち続けてきたからこそ、初の長編監督作品でも、作品愛という最低限のルールを大事にしていた。
そんなことを思った。
役者という職業は因果なもので。
いただいた仕事はありがたく引き受けるのが常識と言われている。
本当に幾つも仕事を頂いていて、年に1~2本出演するだけで済むような方は別として。
自分だって、役者として仕事が来たら、どんな仕事だってありがたいなぁと思う。
そんな時に、自分も同じようにありたいなぁと思う。
それが例えどんな役であれ、それが例えどんな作品であれ。
自分の出演する作品を愛し、自分の演じる役を愛する。
それだけは忘れちゃいけないんだぜって、そんなことを思った。
当たり前のようで、当たり前に出来ないことだから。
売れたいからとか、有名になりたいからとか、欲が勝った仕事でもだ。
それは、今、セブンガールズを応援してくださる方を裏切ることだから。
それは、今、他の映画を応援していて、セブンガールズを観に来てくださる方を裏切ることだから。
いい歳こいて、そういうことだけは大事にしたいと願ってしまう。
別に何か他の仕事が来てるから言っているわけじゃない。
自分のスタンスだ。
その時、セブンガールズと同じぐらい愛することって出来るのだろうか?
そんなこと、考えても、仕方がないけれど。