2018年12月31日

2019年を迎える前に

20日間渋谷に通い続けたから、その間、外食の機会が増えた。
自分は外食の場合どんな店でも必ず「ごちそうさまでした」と伝えることにしている。
喫茶店やファミリーレストランでは難しいけれど、そこに厨房があれば必ずしている。
笑顔で「ありがとうございました!」と返ってくる場合もあるし、奥から「どうも!」だけ聞こえる場合もある。
ただ多くのチェーン店では、あまりちゃんとは返してくれないケースも多い。
「あしたー」と特に顔も見ないで、声が聞こえてくるなんてことはよくあることだ。
でも、別にお礼を言われたくて言っているわけじゃないから、怒ることもないし、気分が悪くなることもない。
むしろ、それが普通かもなと思っているし、多くのチェーン店ではアルバイトだったりするのもわかっている。
だから立ち食い蕎麦のおばちゃんから笑顔で挨拶してもらうだけで、やけに嬉しくなることもある。

自分が10代ぐらいの頃からだろうか?
世の中の核家族化や都市のドーナツ化が進んだ時期から都市における人と人とのコミュニケーションは希薄になった。
そういう現代を生きてきた自分にとって、それを悪いことだなんて思ったことは実はない。
例えば電車の中で窓の外を見ようと椅子に後ろ向きで自分が膝立ちになれば、昔は知らない人に注意された。
靴ぐらい脱ぎなさいと、きちんと大人から言われたし、子供が大人の足を踏めば、謝りなさいと言われた。
今は問題になるかもしれないから相手にもしないし、親だって放置しているケースが多い。
自分もそうしているし、恐らくはそれが現代なのだと思う。
他人に必要以上に干渉することも、されることも、自分の肉体も精神も想像以上に拒絶する。

つまり現代を生きている以上、人は自然に現代性を持った肉体・精神になっていく。
そして、現代を生きている以上、現代を描こうと思えば、そこから逃れることは出来ない。
今年の最終クールで「獣になれない私たち」というドラマが生まれたのは、当然のことだと思う。
そのドラマだけではないけれど、人と人との関係性は変容し続けていて、物語にはそのまま反映される。
現代において「金八先生」は成立しないし「男はつらいよ」も厳しいものがある。

ただし時々、そういうことをちゃんと意識していない人の言葉を読むとやれやれと思うことがある。
例えば昔のドラマはリアルじゃない!わざとらしい!なんて言葉を目にすると溜息が出る。
先述した「金八先生」も「男はつらいよ」も、ハッキリ言えば今の映画よりも実はずっとリアルだ。
リアルじゃなくなったのは時代性であって、その時代の役者はその時代のリアルをきちんと探している。
「仁義なき戦い」は撮影方法のリアルを評価されたりするけれど、演技のリアルもものすごいものがある。
あんなふうにかっこつける人というのが、実際に自分が少年の頃にはまだまだいたからよくわかる。
熱く叫ぶことにリアルがあった時代と、クールに突き放すことにリアルがある時代では芝居が変わるだけだ。
ツッパリを描くこと自体がコメディになった時代では、理解不能かもしれない。

逆を言えば時代劇がヘタクソな役者も、現代性を持っていると評価される。
現代劇ですごいリアルだから、存在感が際立っていく。
時代劇の中にいても、現代の人が観たらリアルを感じる場合だってある。
そういうところが演技の評価の難しさなのだと思う。
ただし、日常しか出来ないのであれば、自分は余り評価しないようにしている。
非日常にリアルを構築できないのであれば、そもそも物語を担う力がないと思うからだ。

低予算映画というのは、別にセブンガールズだけではなくてどんどん増えている。
一般的に低予算映画と呼ばれる映画よりもセブンガールズは圧倒的に低いけれど。
デジタル機材が増えたことで予算を抑えることが出来ているし、アウトプットする場もネットなど増えている。
大きな予算で大きな赤字を抱えるケースを思えば、足回りも良くなっている。
増えていけば、当然、低予算映画のメソッドみたいなものも出来てくる。
基本的に現代劇、基本的にメインとなるロケ地はセットではなくて、例えば一つの部屋にするなど。
とにかく今あるものを背景として映画を製作していく。
そして登場人物をなるべく絞ることで出演費もスケジュールも確保できるようにする。
地方都市や海外との協力を頂いて製作していく等々。
結果的に似たような作品になりやすいから、そこでアイデアを練る。
作品の角度であったり、テーマの斬新さであったり、出演者の妙味であったり。
エキセントリックにしたり、エロスであったり、私小説に近い作品にしたり。
現代劇でアパートの一室、男女の物語というのはとっても多いはずだ。
それだけの縛りの中でオリジナリティを維持するのだとすれば、それはすごい高いレベルの制作になってくる。
優秀な監督、独自色の強い監督が今日も生まれ続ける土壌になっている。

セブンガールズはその縛りそのものを最初から放棄している。
そんなことをしようとしたから、たくさん無理だという言葉を頂いたけれど。
それでも、その無理を承知で映画製作に挑んだ。
セットも製作するし登場人物も膨大だし、そもそも時代劇だ。
低予算映画の中では異例の作品になっているはずだ。
作品そのものが既にオリジナリティの宝庫になっている。
この予算でこんな映画を創ることが出来ることはもう奇跡に近い。
別のアプローチで、低予算という縛りに挑んでいる。
だから、そこをもっと注目されるだろうと思っていた。

けれど想像よりもずっと注目されている箇所はそこではなかった。
時代劇だけが持つ、時代性のある人間の距離感、関係性を口にする方が圧倒的に多い。
これは逆に低予算であることを意識させないレベルまで作り込めたということなのかもしれないけれど。
あの時代のリアルを成立させていることこそ、確かに一番大変なことなのかもしれない。
人と人との距離感が「ごちそうさまでした」一言でもここまで変わった現代において、雑魚寝の世界を見せている。
その時代に生きている人に見えるかどうかという事が実は一番大変なことだったはずで。
役者は現代性を持った肉体と精神を持っているから、そこを切り離せるかどうかは重要な課題だった。
ドライになってきた人間関係の現代を生きるお客様が、その時代を観ることがここまで評価の対象になった。

この現代性と、物語の持つ時代性が、これからの本当の鍵になると自分の中で思っている。
このギャップは見事に現代を照射している。
現代を生きる人にとって隣の人に感じる感覚、世界観さえ、セブンガールズは光を当てている。
人と人との距離感の近さに、戸惑うお客様だってきっと増えていく。

このBLOGは前日のことを0時過ぎてから書き続けているからこれは2018年最後のエントリーだ。
3年前の年末はクラウドファンディングの真っ最中だった。企画者だった。
2年前の年末は編集の真っ最中だった。編集者だった。
去年の年末は、海外に挑戦した後、公開に向かって動き始めた頃だった。
そして今、公開してこれからのプロモーションまで含めてこんなことを考えている。
まるでカメレオンのように、どんどん自分のやることを、自分の色を変化させながら進んでいる。
今は、「展開」について考える時だ。

最後のエントリーだから。
セブンガールズという作品が持つ最大の武器について、冷静に冷静に自分の中で整理した。
年が明ければ、それを今度はもっともっと強く展開していくことを考えなくちゃいけない。
今、吹いている風をどうキャッチして、どう乗っていくか。
いや、自分でもどんな風を産み出すことが出来るのか。

もちろん作品が持つ最大な武器なだけだ。
本当に心強い最大の力はそこにはない。
まるであの時代の人たちのごとく。
この映画を支えてくださる人達の愛情こそ、何よりも大事な力だ。
「自分のとってのセブンガールズ」という場所に立ってくださっている。
そして、その愛情が、拡がり続けている。

「ごちそうさまでした」という言葉が空振りする時代に。
映画「セブンガールズ」に拍手を送ってくださる方々がいる。
スクリーンの中にある体温を感じる時代を観て。
そこに、人間の持つ暖かさを見つけてくださる方々がいる。

きっとそれが根本だ。
映画の持つ力。
応援してくださる方の持つ暖かさ。
そして自分たちのこれから。

その奇跡を展開させるのが、新しい年の自分の目標だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:14| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月30日

セブンガールズとサクセスストーリー

実家に行ってのし餅を切る。
力仕事ではあって、毎年の自分の仕事になりつつある。
餅つき機だとしても、ついた餅と売っている餅は伸びが違う。
毎年正月は、餅ばかり食べても飽きない。

そうこうしながら稽古場までチラシとポスターを取りに行ってくれるメンバーと連絡。
手に入れたのならあとは下北沢トリウッドに納品なのだけれど、どうやって受け取るかなぁと考えていた。
そしたら、取りに行った足でそのまま納品までしてくれた。
とってもありがたい。
動けるから撮りに行くとは聞いていたけれど、納品までしてくれるとは。
納品希望が来てから数日で納品しているという事も良い。
ただ、これでストックのチラシがほぼなくなってしまった。
効率的に撒いているのか、再検討する必要がある。
チラシの印刷代金だって塵も積もれば山となる。
興味を持ってくださった方が手に出来なかったり、映画館で手に出来ないなんてことはあってはならない。
出演者が持っていたいという数が揃っていなかったりするのも良くない。
再印刷が必要なことは間違いないけれど、枚数を間違えるわけにもいかない。
公開したけれど、まだスタート地点なのだと思えば、そこまで考えなくちゃいけない。

知らなかったこと、わからなかったこと。
そういうことがたくさんあったけれど、だんだんとわかってきた。
演劇の世界とは違う事もたくさんあるし、勘違いしていたこともたくさんある。

チラシで言えば、大きな映画ほど、公開中にはすでにチラシがないという事も多いようだ。
公開日までの宣伝にとにかく力を入れる。
公開後は、チラシの持つ役割はほぼなくなっているのかもしれない。
ネット情報やネットニュース、レビュー、口コミ。テレビCM。
情報はあらゆる場所から手に入るし、映画館で映画のチラシを手にする人たちには情報が行き届いている。
そもそも知名度の少ないミニシアター系の映画とは大きく趣が違う。
ある程度まで情報が広まれば、コレクターズアイテム以上の意味がなくなるのかもしれない。
セブンガールズの知名度は残念ながらまだまだ低い。
一般層はおろか、映画ファンにだって、隅々まで届いていない。
例えば名古屋シネマテークでの上映に当たって、名古屋にいる映画ファンにまで浸透しているだろうか?
UPLINK渋谷での3週間で、どこまで噂が広がっているだろうか?
恐らくUPLINK前と今では比較にならないほど届いているはずだけれど、その浸透度までは計ることが出来ない。

反省点としては、自分たちがよく話していたことが余りにも盲目的だったことだ。
例えば、10代、20代の人たちに観て欲しいと自分たちはよく口にしていたけれど。
想像以上に、ミニシアター系の映画ファンに若い層が薄い。
他の映画を観ても、若いファンというのはもちろんゼロじゃないけれど、圧倒的に少ない。
そもそもの母数が、団塊世代と団塊ジュニア世代が厚いという部分があったとしてもだ。
シアターセブンの担当者さんと話した限りでは、ミニシアターの観客年齢層は高いですよという一言だった。
それはそうなのかもしれない。
もちろん10代20代以外のお客様にも観ていただきたいのだから関係ないとも言えるけれど。
若い世代に観て欲しいという思いがあるとしたら、それはもっとずっと先の話だと分かった。
(とは言え、サブカルの聖地下北沢は、他の地域よりも若い世代が多いかもしれない)
かつて単館系と呼ばれていた頃。
20代の自分たちはよく映画館に通っていたのだけれど。
どうしてもそのイメージが強かったのかもしれない。

反省ばかりしてもしょうがないのだけれど。
反省をきちんとしておかなくては、その先がなくなる。
自分がやろうと思っていることは残念ながらそんなに簡単なことではない。

UPLINK渋谷での最初の2週間のイベント名は全て〇〇ナイトという名前で。
この〇〇の後ろに「映画」とつけられるようにしてあった。
ラブストーリーであったり、アクションであったり、映画の側面としてだ。
その中で、サクセスストーリーだけちょっと無理があったというか、そぐわなかったなぁと反省している。
サクセスストーリーとは成功者にとってのその成功するまでの道程を物語にするものだ。
王様の誕生や、企業再生や、スター誕生であったりも全てサクセスストーリーになる。
セブンガールズにサクセスがあるか?と聞かれたら、自分はあると思っているのだけれど。
あんまり、そういうイメージはないのかもしれない。
それに、セブンガールズにもし本当の意味でサクセスストーリーが生まれるとしたら。
それは作品の外なのかもしれない。
「セブンガールズ映画化」こそサクセスストーリーであって、公開している今だって奇跡なのだけれど。
本当の意味でサクセスストーリーになるには、まだまだ足りないものがあるんだろうなぁと思った。
このサクセスストーリーをどれだけ具体的にイメージとして共有化できるのかはここからの鍵だ。
UPLINK渋谷の先までイメージを共有できていたのか、そこはもう一度考え直さなくちゃいけない。
目の前の上映に集中しなくちゃいけないのだから、ある程度は仕方がないとしても。

プレスリリースも想像以上に引っかかることはなかった。
上映中何度もマスコミ宛にリリースを出したけれど、ニュースにならなかった。
そのぐらいの規模だと判断されているのだろう。
ある程度は想像していたけれど、それにしてもだった。
相手にされていないなぁというのは、とってもよくわかった。
まぁ、それはそれで良いのかもしれない。
それならそれで、ひとつのアングルだから。
そして、そのアングルでしか生まれないサクセスだってあるのだから。
問題は、そのサクセスをどれだけ積み重ねることが出来るかだ。

ミニシアターを中心とする映画ファンの評価の総括もしなくてはいけない。
自分の中では、映画ファンの評価はフィフティフィフティかな?と想像していた。
けれど、それよりも少し良い成績だったように思っている。
想像よりもミニシアター系の映画ファンでも娯楽作品を受け入れる土壌が整っていた。
「舞台っぽい」という評価が出るのは実は予想通りだった。
けれど、予想したよりも、舞台観劇経験の少ないお客様ほど、そんな感想になっていた。
理由は監督が登壇した時に話したこともあるし、それ以外もあると思う。
何よりも舞台だけが持つはずのリアルを映画にも持ち込んでいる部分なのだと思う。
ドキュメンタリーやモキュメンタリー、撮影方法などのリアルとは明らかに違う演技的アプローチのリアル。
知っている人と知らない人では受け取り方が大きく変わってくるのかもしれない。
ここは、実はもっともっと拒否する人がいて、議論になっていい箇所だと思っている。
舞台を知っている人は、ぜんぜん舞台じゃないと口にすることが多いから、とても面白くなる。
いずれにしても、映画ファンの中からも高い評価が出てくるのは収穫だった。

そして対照的に、映画ファンではないお客様の評価がとっても自信になっている。
つまりは、年に数回、ハリウッド映画を観たり、ジブリを見たり、テレビで映画を観る層だ。
よくある話だけれど、映画ファンには評価が高い作品で、一般層には受け入れられない作品というものがある。
そして、その逆もある。
決して相反しているとは思わないのだけれど、現実的にそうなのだから仕方がない。
例えば2017年の邦画動員ランキング1位は「銀魂」なわけだけれど、映画ファンの評価は低かったりする。
自分の中でこれはあまりハッピーなことじゃないよなぁと思っているのだけれど。
セブンガールズは、とてもシンプルに「面白い」や「泣いた」という言葉をいただけた。
もちろん消費される文化としてだし、その中から作品のファンが生まれる率は映画ファンと比較して低いとしても。
それでも、誰が観ても楽しめるという事は、大きな大きな自信になる。
難解であったり、深度があったりしても、同時に、わかりやすさも内包しているという事だ。
楽しみ方が多層的に存在することは、重要なことだ。
自分の良く知っているデビッド・宮原という監督が持つ最大の特徴はここにあるとさえ思っている。

例えば九州で、例えば北海道で、東北で、四国で、上映するとするのであれば。
100席以下の映画館でも、最低限、週に300人ぐらい足を運ぶ人がいる作品にならないといけない。
もっと成績の低い映画もあるだろうし、50席以下の映画館だってあるだろうけれど。
それにしても、そのぐらいの数字が、或いは可能性が見込めるかどうかがラインだなぁと思う。
1日に2回以上の上映なら倍々にその数字が増えていく。
そのために必要なことを、一つ一つ準備して、一つ一つクリアしていかないといけない。
そのぐらい高い気持ちで進まないと、ただの夢見てるだけのやつらになりかねない。

いつか。
セブンガールズという映画の進んだ道をサクセスストーリーと言われるには。
まだまだ高いハードルがいくつも並んでいることだけは間違いがない。

ただこのサクセスストーリーはきっと、応援してくださる全ての人の胸を躍らせるはずだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 06:48| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月29日

抗えぬ睡魔と繰り返すイメージ

世間的には長くても今日が仕事納めだったんじゃないだろうか。
その前日の人も多かっただろう。
セブンガールズは27日で年内の上映を終えた。
自分も本日、様々な形で様々に納めてきた。
映画館も年末年始に休みになる場所も多いだろう。

と言いつつ、もう次に向けて動き始めている。
必要なデータの準備と送信、宣伝物の納品について。
セブンガールズについての準備はまだ続く。
キャッチコピーキャンペーンの動画の編集にも入らないとだ。

そう思いながらも、何度も襲ってくる睡魔に抗う事の出来ない日だった。
普段は睡魔も乗り越えて行動できるのに、上映がないというだけで緊張が一つ抜ける。
寝ては起きて、起きては考える。
その繰り返し。
さて、明日はどうするか。

ふと落ち着いて考えたのだけれど。
そういえば、UPLINK渋谷の打ち上げをしていない。
「これから」というテーマで登壇したから、余計にそういう気分じゃなかったのもある。
これからがあるとはいえ、自分の中でけじめとしてビールのいっぱいでも飲んで良かったかもしれない。
とは言え、年末年始の休みに入って、今、皆を呼び出すのもどうかとも思うしなぁ。
家の用事だってあるだろうし、自分にもある。
まぁ、打ち上げないまま、反省に入っても良いのだけれど。

まず絶対にしなくてはいけない「反省」が残っている。
3週間の上映中も反省の繰り返しだったけれど、ここで更に反省が必要だ。
全体的にどうだったのか、今後の上映はどうしていくべきなのか。
自分の中で確固としたものを持てなければ、来年を迎えることは出来ない。
一番怖いのは、この3週間だけで何か結論を出してしまって、小さく収まってしまう事。
あくまでも、どこに行くべきかのヴィジョンを持ったうえで、そこに向かえるだけの3週間だったかの反省じゃなくちゃいけない。
一番の反省点があるとすればそのヴィジョンがまだ具体的ではない分、皆としっかり共有できていないことかもしれない。
もちろん、どれだけ共有しようと思っても完全には無理なのだけれど。

自分が目指していた目標というものがあって、実はそれは全てクリアしている。
そういう意味では自分の設定した目標が低すぎたのかもしれないとも言える。
いや、そうじゃなくてよく頑張ったよとも思う。
過小評価も、過大評価も、良い結果を生むものじゃないので慎重に考えなくちゃと思う。
そして、仮に、小さく見積もったとしても、自信まで失ってはいけない。

自分には夢がある。
けれど、夢見がちでは何一つ進まない。
リアリストでなければ、次の一歩がわからなくなる。
じゃあ、リアリストであればいいのかと言えば、それだけでも何もならない。
夢があるから、良くやったよとそこで終わるような方向には向かない。
夢は推進力で、リアリストであることはその推進力を生かすハンドリングだ。

そこまで自分の中でしっかりとしたものを創ってから。
年が明けたら、皆とも話したいなぁと思っているけれど。
・・・恐らく皆は、上映回数の増加を喜ぶと同時に、今までの繰り返しを想像していると思う。
また同じことを繰り返すんだ!と。
K'sシネマでの公開時、そしてUPLINK渋谷でのアンコール上映時と。
恐らく自分たちの中でとても良く似たことを繰り返してきたという実感が残っていると思う。
当然、公開時からはアップデートしているからマイナーチェンジはしている。
良かったものを残して、悪かった部分を直して。その繰り返しだった。
その繰り返しの感覚をどこかで立ち切れたらなぁと思っている。
続けていくことはそれ自体がパワーだし、継続だけが持つ凄みというものを良く知っているけれど。
同時に継続の生み出すマンネリ感は一歩間違えれば士気を下げていく。
そして、外に外に広がっていくイメージと、内輪に見えかねない可能性も検討していく。
さあ次の段階に進もうという感覚だけでも共有していかないとだ。
イベント内容だって映画館に合わせて刷新しなくちゃいけない。

今日は映画の日だったという。
なんでも世界で初めて映画が上映された日だからだそうだ。
年末だしそういう空気だったのかもしれない。
娯楽の少なかった時代、年末年始は、まさに映画ウィークだったはずだ。
年始の挨拶をして、浅草まで初詣に出かけて、映画館で正月映画を観て、帰宅してからかくし芸を見る。
そんな正月はいつの間にかどこかに行ってしまっている。
「男はつらいよ」のような恒例の正月映画も今はない。
日本じゃ、映画のピークは夏休みになっている。
自分の中では、映画と言えば冬だから、なんだかちょっとそぐわないのだけれど。
炎天下、空調の利いた映画館は天国というイメージからか、ファミリー映画の動員で年間動員数が上がるからなのか。
映画という娯楽のポジションは時代とともに変化し続けている。
ミニシアターは単館映画と呼ばれる時代から、ある意味マニア層の娯楽になっている。
小劇場というフィールドにいた自分にはよくわかる、よく見える世界。
けれど、小劇場よりはミニシアターの方が、よりポピュラーの世界に近いというのもわかった。
映画の日にそんなことを考えるのも、良いじゃないか。

半分、覚醒しながら。
半分、夢の中のような状態で。
漠然と漠然と考えていた。

中身だ。
口ばかりでは駄目なのだ。
中身を持つのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 06:54| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする