アンコール上映が決定して、初の稽古。
前日にチラシを撒くのであったメンバーもいたけれど。
再上映について、少し話す。
発表してから時間が経過しているから、感触まではわからなかったけれど。
アンコールでの上映がどれだけ素晴らしい事か、そして、これがどれだけ大きな挑戦になるのか。
淡々と話していった。
監督からも話をもらう。
セブンガールズは、様々な愛で出来上がった映画だ。
映画化に支援してくださった、応援してきた皆様がいて始まったことだし。
何人ものスタッフさんから、たくさんの提案を受けて準備していった映画だ。
廃業する旅館から、ご厚意で、たくさんの家具や建具を頂いて。
大企業の閉鎖されたロケ地を、ご厚意でお借りした。
撮影は、全員で協力し合いながら、セットを創り、準備をして、撮影をした。
手が空いている人間は、常に誰かのサポートに回った。
思いと思いが繋がって、今、公開している中でもたくさんの皆様の愛を頂いている。
ただ勘違いしちゃいけない。
今、世の中にある映画の全ては、愛で出来上がっている。
もちろん、映画という巨大な産業の中にいれば、それは仕事じゃないかと思う人もいるかもしれない。
でも、映画産業の中で、ただ仕事として割り切ってなんて出来ないと、よおく分かった。
全ての映画に関わる人は、作品に、機材に、自分の仕事に、愛や誇りをもって挑んでいる。
デスクワークや営業に至るまで、映画に関わるという事はそういう事だ。
映画館運営だって、配給だって、全てに愛がある。
セブンガールズは別に特別じゃない。
ただ一つ特別だとしたら、その愛のベクトルが、同じ方向を観ているかもしれない。
出演者でビラを撒きに行き、今、再上映に向けて、何をしようか相談し合っている。
俳優部が、上映の成功に向かっているというのは、つまり、そういう事なのだと思う。
そして、それは、思っているよりもずっとずっとストレートだ。
まっすぐにそこに向かっている。
そして、それは確実に届き始めていると実感している。
多分、そういう事なのだと思う。
全ての映画は愛で出来上がっているのは間違いない。
でも、その愛が見えやすい映画と、見えづらい映画がある。
あるけれど、あるように見えるかどうかは別だから。
ちょっと格好をつけただけで、曇ったり霞んだりだってする。
シンプルに頑張っている姿を映像で見せてしまう作品もあるけれど。
頑張ってるっていう姿は見せたくない哲学を持った監督だっている。
それをみせないとしても、伝わる作品があって、伝わらない作品がある。
監督は大体どんな作品でも、その作品を深く愛している。
それは当たり前と言えば当たり前なのだけれど。
自分の子供のようなものなのだから。
じゃぁ、俳優は?となると、意外にぶれるかもしれない。
作品を愛しているのか、役を愛しているのか、シーンやセリフを愛している場合もあって。
まちがいなく、その作品に関わった以上、愛を注いでいるはずだけれど。
少しずつ、差異が出てくる。
それでも、伝わったり、伝わらなかったりする。
これは、勝手な思い込みだけれど。
勝手すぎる自分のエゴと言ってもいいけれど。
自分は、この精神性というか、作品に対する情熱の象徴だと思っている。
監督や出演者、たくさんのスタッフさんが関わっている中で。
自分こそ、この作品の持つストレートに伝えていくメッセージそのものであろうとしている。
お前なんか、誰も観てないよと言われてしまうかもしれないけれど。
自分が下を向かなければ、この映画は永遠に前を向き続ける。そう思っている。
そのぐらいに思わなければ、出来ない。
再上映に向けて、ぐんぐん前に進んできたのはそういう意味もあった。
だから、この映画の持つそんな空気が。
どんな映画にだってあるであろう愛が。
もし見えづらくなったら、それは自分の責任だ。
自分の意志が弱くなった証拠だ。
話をしながら。
そんなことをぼんやりと考えていた。
いくつかの映像を撮影して。
呑みに行ってから帰りに、メッセンジャーで監督からこれをアップロードしようと提案があった。
自分は、いつだって、即対応を心掛けている。
レスポンスこそ、今、もっとも大事なことだからだ。
帰宅すると、印刷物が一つ到着していた。
こんな時間だけれど、簡単な編集をして映像を一本アップロードした。
さて、明日も、今日よりも前に進もう。
休みなんかない。