映画「セブンガールズ」は二度目の方が泣ける。
そんな言葉を初めて目にしたのは、公開初日だった。
クラウドファンディングのリターンで試写会に来てくださった方が初日に口にしたのが最初だった。
その時は、ああ、そうなんだなぁと思うぐらいだった。
そのお客様はそうなんだと思っただけだった。
でも、どんどんそうじゃないらしいということがわかっていった。
二度目の人が必ず、二度目の方が泣けると感想を残していった。
余りにも、たくさんの人がそれを口にするから、理由があるはずだと思った。
だって、二度目のお客様は、その後どうなるか知っているんだから。
終わりを知った上で観てくださっているのだから。
それなのに、二度目の方が泣けるという事はどういうことなのか。
そこは、やっぱり、ちゃんとちゃんと考えなくちゃなと思った。
正直に言えば、一度観てくだされば、もうそれだけで大感謝だ。
もう一度観てください!なんて、おこがましいと、前にも書いたと思う。
現代の映画のヒットの条件はリピーターだなんていう記事を目にした時に書いたと思う。
だから、ここに書くことは二回目来てね!とかそういう意味ではない。
理由の一つははっきりしている。
それは群像劇だからだ。
監督と編集している時からそれは意識していた事。
登場人物を把握して、誰が誰だかわかってくるのは、このシーンぐらいだろう。
そういう想定をして編集をしている。
ここまでは丁寧なテンポで、ここからたたみかけるように・・・。
そういう編集の流れを考えるときに、ある程度想定しなくちゃできない。
前半の登場人物を把握できない場所では、あまりテンポアップするわけにもいかない。
それは、事前にはっきりとわかっていたことだ。
だから、二度目に観た人は、まったく違う作品に生まれ変わる。
それは、登場人物を把握している状態で最初から観るからだ。
ただ怒鳴っているあの男が、別の姿に見えるはずだし。
ただおどけているようなあの娼婦が、別の姿に見えてくるはずだし。
細かく積み上げていく伏線が、線になって見えるはずだし。
そうやって、全ての役を把握してから見れば、感情移入が深くなるという事なんだと思う。
新しい発見だってたくさんあるはずだ。
あとは余韻なのかもしれない。
心情風景のような映像を、いさぎよく全てなくしている。
だから、シーンごとの余韻を楽しむ隙は無い。
全て、観終わってから一気に全体の余韻がやってくる。
そういうカタルシスを目指している。
二度目だと、一度目の余韻が残っていて、カタルシスがもう一度やってくる。
その上、二度目の最後には、より前のシーンをはっきり覚えているのだから強烈な余韻が残る。
これは、実はそこまで想定していなかったことだ。
でも、落ち着いて考えれば、スターウォーズだって、ETだって、なんだって皆そうだ。
ETが自転車で空を飛ぶシーンなんか一瞬で終わるし、余韻を楽しむ心情風景なんて殆どない。
ただ体験して、映画が終わってから、フラッシュバックしてくるのを楽しむ。
もう一度観るときは、自転車のシーンが来るのを待ってしまう。
そして、フラッシュバックする記憶はより多く補完されている。
そりゃあ、そうなんだなぁって思う。
自分が大好きな映画も、確かに二回目からの方が、泣いたのだけれど、きっとそういうことだ。
ただ、手前みそになるけれど、もう一つ理由を加えたいなぁって思う。
それは、芝居なんじゃないだろうか。
二度観ても、物語に入っていけるという事は、物語の登場人物がそこに生きている証拠だ。
ここうまいなぁ・・・なんて考える暇もないってことだ。
もちろん、製作側としては、色々と思う所はある。ないわけがない。
役者自身だって、自分の芝居を観れば、ああ、あそこはこうだったかなぁとか考えてしまうだろう。
編集で呼吸のタイミングまで合わせていったのは、そういう違和感を排除するためだった。
物語に没入できない限りは、二度目なんかなかなか観れないと思う。
そして、きっと、二度目になれば、登場人物がどんなことを思っているかまで見えてくる。
だとしたら、二度目の方が泣ける。
それは間違いない。
笑顔の裏側も、涙の裏側も、全部見えてくるのだとしたら。
うん、それは芝居だなぁって思う。
名曲が何度も聞けるように、芝居なら何度でも観ることが出来る。
実は都内のお客様で大阪まで遠征して観に来てくださったお客様がいらっしゃって。
そのお客様は、更に、舞台のイメージ、余韻を加味した上で、映画を楽しんでくださった。
また、更にグッとくるんだという言葉を頂いた。
わあ!これはすごいことなんじゃないか!と、背筋に電流が走った。
そういえば、セブンガールズは、未だに映画評論家には観ていただいていない。
一体、評論家と呼ばれる方々はこの映画をどのように評価するのだろう?
映画を紹介するライターとは、まったく違う角度から映画を観る仕事の人たちだ。
この映画に流れているものをどうやって見抜くのだろう?
今は、SNSやレビューサイトがあるから、一億総評論家時代ともいわれている。
でもやっぱり評論家って言うのは、それを仕事にしている人だから、少し違ったりする。
一度しか観ないのだろうけれど、どこまでこの作品の構造を見抜けるのだろうか。
いつか、誰かに観ていただけるのだろうか?
複数回、観てくださっているお客様の感じているところまで見抜くことって出来るのだろうか?
二度目の方が泣ける。
もちろん、お客様の心の中で起きていることだから。
実際には分析なんかできない。
一人一人きっと、違うものがある。
ツボだって違う。
それでも、やっぱり冷静に分析はしていかなくちゃいけない。
この作品の持っている力を可能な限り把握しなくちゃいけない。
それが出来なければ、プロモーションだって出来なくなってしまう。
ピントがずれてしまう。
試写会で、面白かった!良かった!と言っていたお客様が。
映画館で号泣して、立てないほど感動してしまったという。
この正体はきっと、この映画の持つ大きな力の一つだ。
それをもっともっとわかりやすくたくさんの人に伝えられたらいいのに。
そしたら、上映館だってどんどん増えていくかもしれないじゃないか。
賛否があっていいのだし、画一的にするつもりもないけれど。
伝えられることは伝えていかないといけない。
とってもとっても大事なことだ。
自分が背負っているものがわからないまま、人は歩けないんだってさ。
でも、子供をおんぶしたり、リュックを背負ったりだったら、かなり歩けるんだって。
なんとなくわかる。なんとなくだけれど。
未だにセブンガールズという作品を完全に把握できていない。
お客様の方がよっぽど、この作品を知っている。