2018年11月10日

ここから先は心の問題

多分、皆、気付いている。
ここから先は、心の問題だと。

例えば、差別の問題。貧富格差の問題。性の問題。科学技術発展の問題。
やっぱり人間は間違いなく進歩し続けている。
かつては、王様がいて市民がいて、身分差別がハッキリと会ったのだから。
今、封建社会なんて国際的に見たってわずかになってきている。
様々な出口が見えないような問題も、地道に一歩一歩、解決していっている。

けれど、そこでふと気付く。
心の問題はどうしようかと。

例えば身分差別の問題は有れど。
主君のために命を賭した武者が、自分の人生に悔いはないと思っていた時に。
身分差別のない今を生きる自分たちは彼よりも幸せか?人生に悔いはないのか?と問うてしまう。
明らかに身分というものがなくなった現代の方が社会としては成熟しているのに。
個人の心の問題は、別の次元にある。
そして、現代に生きていたって、主君のために生きる武者の美しさを理解することが出来る。
平等な社会が正しいのは間違いないはずなのに、自分の人生に置き換えると途端に足元がおぼつかない。

不世出の天才ホーキング博士の未来予測では、A.I.がやがて人類を支配するという。
あれほどの人が口にすると、説得力があって、冷や冷やとする。
人間の知能だって、進歩し続けているし、進化だってしているけれど。
人工知能の進化スピードは、比較にならないスピードで、猛烈に進化し続けている。
やがて、人類の叡智を凌駕して、人工知能が人間を越えてしまうのは時間の問題なのは間違いない。
そして、その時に、人類がどういう形かはわからないとしても支配されるという。
まるっきり、ターミネーターの世界だけれど、ある部分では間違いないのだろうなぁとも思う。
けれど、一つ。
心の問題について、ちゃんと教えて欲しいと思う。

人工知能は怒ることも、悲しむことも、寂しいということも、悲しいという気持ちも、まだ持てない。
恐らく理解はしている。
それがどんなものであるのか、或いは生理学的になぜ感情が必要なのか。
そこまでの分析は、既にしているのだと思う。
だからこそ、人工知能とチャットすれば、人間が慰められてしまうようなことが起きる。
じゃぁ、人工知能も感情を持っているのかと想像すれば、それは違う。
からかって、怒ることがあったとしても、それはそういう反応をするようにプログラムされているだけだ。
もっとずっと根源的な感情の泉のようなものを、有しているとは思えない。
感情があるから人間は不完全なのだと、SF小説の中の人工知能は必ず答えを出す。
確かにそうかもしれないけれど、完全はつまりゴールで終わりなのだから、それでいいじゃないかとも思う。

だから人工知能の開発でも最終的には心の問題にたどりつくんじゃないかと思う。
何かを観て美しいと思ったり、良心があったり、楽しいと感じたり。
そういう感情を獲得を果たしてプログラムで出来るのだろうか?
もしかしたら、感情を持った瞬間に、人工知能は自らプログラムの停止を選ぶかもしれない。
そう考えると、ホーキンス博士の説は、天才だからこそ、見逃していることがあるような気がしてくる。
いつだって、最後にやってくるはずだ。
心の問題は。

日本はかつて、士農工商という身分差別がある国だった。
明治維新後だって、貴族や華族が存在していたし、自由民権運動を繰り返した。
戦後になって、ようやく様々な差別がなくなっていったけれど。
今でも、性差別や、ハラスメントの問題など、次々に浮上しては法整備され続けている。
今は誰だって自由に夢を持てるし、夢を持てばその道はいくつも存在している。
家業を継がなくちゃいけない事もないし、好きな相手と結婚する障害だってない。
だというのに、社会を見渡してみれば。

ほら、心の問題が溢れかえっている。
部屋から出てこなくなった少女がいる。
ナイフをポケットに忍ばせている少年がいる。
二次元の世界に埋もれたまま、体温のある人間と接することが出来なくなっている女がいる。
話すだけで緊張してしまい、恋愛を諦める男がいる。
成熟したはずの世の中で。
もっとも人数が多いのは、もっとも生きづらかったはずの、終戦直後に生まれた団塊世代。
最後の最後に、どんなに法整備しても、どんなに成熟しても、どんなに自由を獲得しても、心の問題がやってくる。
メンタルヘルスに通うことが日常になるほどに。
日本より貧しい国で、こんなにメンタルヘルスに通う国があるだろうか?
アメリカから何かがあるたびにカウンセラーの必要性を教えてもらうけれど。
そんなもの、かつてはいなかったはずなのに。

普遍的な問題だからって?
確かにそうだ。
宗教だって哲学だって、古来からずっと続いている。
社会が変われば、それに応じた心の問題が増え続けていくのもわかってる。
けれど、社会に問題があった時代と、今とは大きく違う。
日本に生まれたことは幸せなはずだ。
飢饉や内戦、貧困に苦しむ国の映像を観るとそう思う。
贅沢廟なんて簡単にかたずけちゃいけない。
ここから先は心の問題が残る。
それは、やっぱり、真実なんじゃないだろうか?

今、哲学がない。
哲学は科学と相性が悪いよ。

だから映画がある。
だから音楽がある。
だから絵画があるし、演劇がある。
物語が生まれて、芸術が生まれて、娯楽が生まれる。
心が動くものが生まれる。
人工知能が分析できないものが生まれていく。
必要不可欠なものとして。

感動したい。
心で感じて、心が動く。
それが全てではないけれど、それが全てだ。
自由を獲得するだけじゃ不完全だ。
心を満たさなければ、何もないのと同じだから。

動き始めた心は、繋がっていく。
誰かの夢になって、誰かの生活になって、誰かの一歩になっていく。
もしかしたら、その後、また誰かに繋げていくことだってある。
これは、心の進歩だ。

多分、皆、気付いてる。
ここから先は、心の問題だと。

自由の中で。
どこか生きづらいとか、苦しいと感じている人がいるのなら。
ほんのすこしだけ、ひっかかりを感じている人がいるのなら。
セブンガールズを届けたい。
絶対にただで帰さないから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 09:57| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする