先日アップした主題歌「星がいっぱいでも」MVの各SNSヴァージョンの編集。
実は、マウスの電池が切れていて、効率が悪すぎて今日になってしまった。
SNSによって、それぞれ別のファイルを用意する。
まずSNSそれぞれで規格が違う。
例えばTwitterは最大2分20秒だし、Instagramは60秒だ。
表示される画角も違うし、Twitterは強制的に圧縮がかかり、かなり画質低下される。
それはやはりモバイル環境での使用を想定しているから、通信量に気を使っている。
最近ではアプリ側で、動画の画質をある程度コントロールできるらしいけれど・・・。
それにしても、Twitterの画質や、Instagramの秒数制限は厳しい。
元のMVが2分40秒のフルHDなだけに、出来ればYoutube版を観て欲しいけれど。
とは言え、SNSで気軽に観れて、気軽に拡散していくというのもまた魅力であることは間違いない。
大手の映画プロモーションで、各SNSでも予告を流していたりするけれど。
やはり、それぞれ別のものにしているのがわかる。
Twitterの予告なんて15秒にしていたりする。
ただ、やっぱり外注だから足回りはそれほど良くないんだろうなというのは感じる。
何種類も用意してあるのは稀だし、アレンジ版みたいなものは皆無に等しい。
足回りよく、どんどん別のものを製作していくというのは難しいのだろうなぁと思う。
昨日、シアターセブンの担当者さんとの話を書いたけれど。
その話の中で、もう一つ興味深い話があった。
それは、問い合わせのことだ。
セブンガールズの上映が決まってから、問い合わせがいくつかあったというのだけれど。
その問い合わせの範囲が、セブンガールズはとっても広かったという。
九州、四国に至るまで、問い合わせがあったのだそうだ。
実際に、遠くから足を運んでくださった方もいらっしゃった。
恐らく、それは、SNSでの宣伝と、上映館の少なさの二つから来ている。
でも、それだけじゃないんだなという気がしてきた。
パンパン・・・。
終戦直後の娼婦。
その中の街娼を揶揄した言葉だ。
そのパンパンそのものに興味を持っていらっしゃる層も確かにいる。
実際、パンパンについては、余り映画の題材になっていると思えない。
映画の中に登場することがあっても、パンパンを描いた作品というのは非常に少ない。
肉体の門以外に、思い浮かべると、実は赤線の娼婦の話だったり、パンパンとは違っている。
どちらかと言えば青線だし、基本的に娼館を持たなかったり、男に管理されていない街娼のことだから。
例えば、パンパンという存在が超政治的な存在だというならわからなくもない。
実際に、沖縄や小笠原の返還までは、その地にパンパンが存在していたわけで・・・。
そうとる人もいなくもないのだろうとも思うのだけれど。
よくよく調べてみると、右も左も、思想団体にとってパンパンはあまり触れたくない問題のようだ。
右の人にとっては、パンパンは占領されたという歴史の象徴であり、国策の汚点でもある。
左の人にとっては、戦争加害者の日本としたい中で、戦争被害・・・それも女性被害という側面が強い。
それぞれが主張している問題点に抵触していて、同時にその問題点がぶれてしまうような立ち位置にいる。
だから、政治的な主張を重ねる場面では、ほとんどパンパンについて浮上してこなかった。
相反する思想のはずの右と左が、どちらにも黒歴史のように扱かうのは、皮肉だなぁと思うけれど。
ただ現実にパンパンは存在していたし、詳しい資料がどんどんなくなっていっている。
米兵による暴力事件の資料だってもうわずかしかないし、国策として国営の娼館があった事実も見えづらくなってきた。
主張する人がいなければ、民間の研究者の風俗研究に頼るしかないけれど。
それは、やはり、それほど大きく扱われるわけではない。
そう思うと、映画や小説、テレビドラマによるピックアップというのは、本当に力が強いなぁと思う。
何年か前の大河ドラマの「篤姫」なんて、放映以前は誰も名前も知らなかったのだから。
戦前戦中戦後の風俗研究という意味でも。
パンパンに興味を持たれる方は思っているよりもいらっしゃる。
特に、終戦直後のパンパンというのは、いつの間にか霞のような、伝説のような存在になっている。
数年後の娼館が出来たり、男たちが管理する娼婦ではなく、純粋な街娼。
実際に活動していたのは、ほんの数年であり、その大半は口をつぐんで一般女性に戻っていった。
プロの娼婦ではなく、一時的な娼婦だったことを思えば当たり前なのだけれど。
多くの人は、終戦直後に男たちがいないのにどうやって生きていたのか尋ねれば、
「今日を生きることに精いっぱいだった」とか「あの頃はごたごたして記憶もあいまいだ」とか。
当たり前だけれど、そうやって、本人たちもなかったことにし続けたわけで。
終戦後70年を超えた今、生き証人だっていたとしてもわずかで、そして口を開くことはないはずで。
だからこそ、パンパンという存在について、作品で触れることが出来る機会というのは貴重なのだと思う。
実際に夫が戦地から帰ってきたからパンパンをやめるというケースも多かったようだ。
戦地から帰った夫に、そんなことを言えるわけもない。
潜在的に、日本各地にパンパンについて興味を持っている方がいらっしゃるようだと最近気付いてきた。
SNSにおけるコメントでも、興味を持っているポイントみたいなものの傾向があって見えてくる。
もちろん劇団が作った!とか低予算!とか、他にもポイントはあるのだけれど。
自分が想像していた以上に、「終戦直後の娼婦」に興味を持たれている方がいらっしゃる。
だとすれば、やはりもっともっと全国のそんな皆様に、この映画を知らせなくちゃいけない。
SNSは、世界中に開かれたものなのだから、どこでどうやって繋がっていくかもわからない。
そう思えば、動画をフレキシブルに、SNSごとに用意したり、数種類用意したりできる足回りの良さは強みだと思う。
あれ?これ、もしかしてパンパンの映画なのかな?って思う人が出てくるのかもしれない。
今、自分たちが考えなくてはいけないのは、きっと、数十万人という規模の不特定多数に向かう事で。
その中から、興味を持ってくださる方を探すという事をしていかなくちゃいけないのだから。
人から人へ繋がっていくSNSは無限の可能性を持っているし、動画も一つのツールになっていく。
もちろん、SNS以外のものや、ネットもスマフォもやらない人たちにも届けていかなくちゃいけない。
さあ。
どうやら、自分には、まだまだやることがあるようだ。