稽古前に少し仮眠をとる。
狭いバスの席でも熟睡出来ていたわけじゃない。
実際につかれていたようであっという間に我が家のベッドに沈み込む。
起きて稽古場に行く。
すぐに大阪の話を交換する。
ああだった、こうだった。
それぞれが登壇した日にそれぞれの体験を重ねていた。
自分が登壇した日は、吉田トオルさんと自分だけは、一人での登壇。
客席に出演者がいたけれど、まあ、どんなだったか知ってるのは見ていた人だけ。
説明のしようもないし、なんとなくでしか話せない。
だから基本的には聞き役なのだけれど、それぞれ、大阪での上映を記憶に深く刻んだのはわかった。
自分にとっての記憶は大阪そのもの、歴史観、生活感の全てと共にパッケージされていた。
今思えば、湊川公園のベンチで、青空将棋をしている老人たちの姿が強く残っていたりする。
そこに生きている人の姿以上に説得力があるものなんてないから。
稽古場ではいくつかのミーティングと、いくつかの稽古。
ミーティングを重ねても、浸透しないようなら考えなくちゃいけない。
全体で次の名古屋に向けて、どうやって進んでいくのか。
今まで以上に皆で取り組んでいけるのかどうか。
孟子の言葉がある。
「至誠を尽くして動かざる者は未だこれなし」
心から誠を尽くして、それに応えない人物などこれまでにいないんだよという言葉。
この言葉を吉田松陰が愛して、幕末の志士たちに浸透していった。
自分たちは、この世の中にある経済の枠、資本の枠、芸能の枠、あらゆる枠の外にいる。
宣伝費も信じられないほど少なくて、宣伝に動く人員だって驚くほど少ない。
これは、通常の社会では、絶対に勝てないということになる。
けれど、持っていないものばかり考えても仕方がない。
それよりも、枠の外にいるからこそ持っているもの、大事にしてきたもの。
それこそが、最大の武器なんだよなっていう話。
作品に対する愛情であったり、皆で取り組んできたことであったり、至誠だ。
それが、誠になった時、社会だって動くんだという話。
いや、希望かもしれない。
けれど、自分たちはそれを経験してきている。
あの家具や建具を譲ってもらったことも。
あのロケ地を貸していただいたことも。
多くのスタッフさんも。
そして、上映公開に至る過程においても。
自分たちの思いを受け止めてくれた方がいたからこそ、奇跡のような実現が出来たのだから。
そう思えば、高杉晋作の奇兵隊にも似ているのかもしれない。
武士ではない身分の私兵にも近い軍が、当時最大の幕府軍に勝利する。
それが実現したのは多くのアイデアやリーダーシップがあったからだけれど。
確かに、孟子の言葉、至誠がそこにあったからこそだと多くの歴史が語っている。
統率の取れていない幕府軍は、最初からなめてかかり。
奇兵隊は、自分たちは日本を変えるという強い意志の中で戦った。
圧倒的な兵隊の数の差も、覆してしまった。
奇跡と言われた勝利も、実は奇跡なんかじゃなかった。
作品に対する思い。
自分が演じた役に対する思い。
仲間への思い。
助けてくださった全ての方々への感謝。
作品を愛してくださったお客様への思い。
そして、作品を自分の一部としてくださった皆様が、自分から宣伝してくださっていること。
そういう気持ちの全てが、経済の枠組みでは考えられないような奇跡を産み出すかもしれない。
そしてその全てに、誠があるかどうかだ。
名古屋での上映に向かって、まだ一歩だけ踏み出したばかりだ。
もちろん、同時に、名古屋以外の上映も目指すのだけれど。
遠く離れた地方での上映に自分たちが今、何を出来るのか。
それぞれが考え始めるしかない。
そして、必要なツールを用意していく。
急ぎすぎるな。
けれど、ゆっくりもしていられない。
いつものように。
頭を使え。足を前に出せ!
誠に辿り着くのは簡単なことじゃない。
全てを出し尽くしてもなお残っている残滓こそ至誠だ。
取り繕っているうちは、まだ足りていない。
全てを出し尽くして何も残っていないのであれば、思いがなかっただけだ。
明確に、前が見えている。