2018年11月04日

大阪を体に残す日

このBLOGもついに4年目が始まった。
「夢の始まり」というタイトルから始まったこのBLOG。
すでに、映画公開中という項目で進んでいる。
なんとダイナミックな展開なのだろう。
自分でも、毎日書いてきたことに、少なくない感動を覚える。

今、帰宅した。
帰宅してすぐに旅の荷物をほどく。
シャワーで旅の垢を落としてから、コーヒーメーカーをセットした。
コポコポとコーヒーサーバーにコーヒーが落ちていく。
部屋の中がコーヒーの匂いで充満していく。

大阪での最終上映が終わって、目覚めれば自分は十三の街の漫画喫茶にいた。
すぐに十三の街を後にして、梅田に向かう。
夜に出発するバスの集合場所を事前に確認しておくためだ。
遅れてしまえば、東京に帰ってこれなくなるのだから。
終わりの時刻が決まっているたびなんて面白くもなんともない。
自分の中で3時間ぐらい余裕をもって、スケジュールを組みたいなぁと思った。

考えていたのは3つ。
この際京都まで足を延ばして、坂本龍馬に会いに行くか。
思い切って瀬戸内海を渡って本場の讃岐うどんを食べに行くか。
もしくは、のんびりと大阪を歩き回るかだ。
そのどれでも良かったのだけれど、セブンガールズという作品を思うのは大阪かと考え直す。
京都は何度か足を運んでいるし、うどんはいつかの機会にとっておけばいい。
近くの人に尋ねて、御堂筋を南下していくことに決める。
大阪の主要幹線道路であり、阪神タイガースがパレードをした道路。
大阪から南下していけば、難波や、ミナミまで行ける。
GoogleMapで確認すると、心斎橋まで徒歩で1時間。
ゆっくりと歩いていけば、昼食の頃、心斎橋に到着するだろう。

大阪のイメージが御堂筋を歩いていて、まるっきり変わっていく。
太い幹線道路、幅の広い歩道、その歩道にはアート作品が並んでいる。
綺麗な銀杏並木が続いていて、高級ブランド品のショップなどもある。
恐らくは明治期に建てられた洋館は、日本銀行の関西支店。
大阪は商人の街で、常にごった返しているというイメージだったけれど。
人通りもそれほどなく、ハイソな街の顔も持っていた。
当たり前だ。この街は日本第二の都市。
東京から都市機能がなくなる非常事態があれば、ここが機能する。
そういう風に出来ている。
日本銀行も造幣局もある街なのだ。
大阪にも永田町のような一帯があるに決まっている。
その巨大な、少しゆったりとしたビル群の中を、11月とは思えない陽気の中歩いて行った。
喫茶店でアイスコーヒーを買ってみたり、オシャレなイタリア料理店の看板に感心したり。
それは、もうゆったりとゆっくりと歩いた。

御堂筋沿いに歩くと、地名が変わるたびに「橋」の字が出てくる。
大阪が古くから発展したのは水路のおかげだ。
京の都から、淀川が流れ込み、細かい支流が大阪市内を何本も流れている。
エンジンがなかった時代、水路による輸送こそ、最重要だった。
大阪もまた水の街。何本もの川を渡る橋が、そのまま地名になっている。
京橋、淀川橋、心斎橋、日本橋、川と橋で区切られた街だ。
日本中から運ばれてくる荷を下ろす港があって、それを運ぶ水路がある。
大阪はやはり商業の中心地だ。
空路も陸路も、大きな荷物が運べなかった時代は、なおのことだろう。

途中、本願寺があった。通称、北御堂。
御堂筋とは、ここが由来だったのか。
圧倒的な大きさの門構えにたじろぐ。
大阪の本願寺と言えば、戦国時代の松永弾正だろうか?
記憶が曖昧だけれど、だとしたら、松永弾正のイメージがまるっきり変わる。
ステレオタイプの、大阪商人のようなキャラクターで歴史小説には登場するけれど。
こんな門構えの大きな建物の中心にいる人物がそんな人物であるはずがない。
実際に目にしないとわからないことがたくさんある。

心斎橋に近づいてから御堂筋からアーケードに移る。
まさに終戦直後の闇市の名残を残す巨大なマーケットだった。
関東の人が想像する大阪そのもの。
いくつもの飲食店が軒を連ねて、人々は大声で話している。
東京大空襲は良く知られているけれど、大阪も大空襲で焼け野原になった。
逞しい大阪市民は闇市をあっという間に建てたという。
占領軍はなんども闇市を取り潰したようだけれど、何度も何度も復活したらしい。
今は、楽しい観光地のような場所になっているけれど。
ここは、まさに戦争の名残そのものだ。
市民が通う市場というものとはまるで違う。

道頓堀に出ると圧巻だった。
週末の道頓堀は、外国人観光客が溢れかえっていた。
どの店も長蛇の列が並んでいて、観光ガイドに乗っている店はひどい状態だった。
たこ焼き、お好み焼き、イカ焼き、モダン焼き、キャベツ焼き、うどん、肉まん。やきそば。
大阪は粉もんや!なんて言うけれど、本当に粉もんばかりだ。
セブンガールズを学んだ自分には違う景色だった。
世界を食べ物で二つに分けるとしたら、米文化と麦文化なのだという。
広大な中国では北は米で、南は麦だ。
日本には北からの文化の影響が強く、米文化になった。
日本では米が最も重要なものとなって、例えば加賀百万石なんていうように米の単位が、力の大きさになった。
それは当然大阪だって変わらない。米文化の国なのだから。
じゃあ、なんでこれほどまでに、粉もん文化が花開いたのかと言えば、それこそ闇市時代になる。
圧倒的な米不足の中、占領軍は大量の小麦粉を輸入して配給し、更には洋食を広めようとした。
キッチンカーなんてもので、アメリカの食文化を根付かせるようなことも大阪からやったらしい。
手に入る小麦粉を、大阪や横浜で、メリケン粉と呼んで、それをいかに美味く食べるかアレンジをした。
一銭焼きと呼ばれた戦前からあった料理は、お好み焼きに進化していった。
メリケン粉を水で溶いて焼くだけの料理が、これほどの種類があるのは、闇市でのアレンジの賜物なのだ。
まだ70年ぐらいしか、大阪は粉もん!の歴史はないのだ。
セブンガールズを上映した後に、そんなことを思いながら、人波をかき分けていった。
江戸時代から残る大阪伝統の味はむしろ魚や蟹のはずだ。北前船が寄港していたのだから。
そんなこと、外国人観光客は考えもしないかもしれないけれど。

午後になって、並ぶのも嫌だからスタンドで簡単にイカ焼きだけ買って大阪城に移動する。
ゆったりと過ごすと決めた以上は、徹底的にゆったりと、贅沢な時間を過ごそうと決めた。
大阪城公演に寝そべって、昼寝をする。
関西国際空港から飛び立つ飛行機と、秋の陽射、大阪城の天守閣、堀の照り返し。色づき始めた木々。
こんな贅沢な時間は、そうそうやってくるもんじゃない。
そう思ったのだが、なんだかやけに騒がしい。
音の方向に歩いて観ると、年に一度のだんじりをやっていた。
たくさんの地車が並んで、それぞれは鉦に太鼓を叩いてのお囃子。
ついているのか、いないのか。さっぱりわからなかった。
どの地車も意匠が凝っていて美しく、子供たちの祭り衣装は可愛かった。
諦めて、木陰に移動して、旅のために用意した小説を開いた。
何度かうとうとしながら、小説を読み進めた。
多少賑やかだったけれど、これはこれで、貴重で贅沢な時間の使い方だ。

涼しくなって夕方を過ぎてから、梅田に戻って食事を摂る。
呑むことも考えたけれど、小説の続きが気になって、喫茶店に長居することに決めた。
スマフォの充電もいい加減にしておかないと、バスの集合時間も場所もわからなくなってしまう。
高速バスの集合時間に余裕をもっておくなら、それが一番だ。
家族への土産物を探すのにだけ苦労したけれど、その後は、小説に集中した。
それこそ、携帯は充電して置いておくだけで、LINEやメールも時々しかチェックしなかった。
そして、大阪を後にした。

気付けば、父の命日だった。
このBLOGは3年前の父の命日に始めたのだ。

大阪上映が終わって、4年目のBLOGが始まる。
無事帰宅の報告のメールをこれからプロデューサーや配給担当さんにも送らないと。
何かが終わるけれど、同時に何かが始まることはとても良いことだ。
そこにインターバルなんか、いらない。
今、始まった。
次に向けてはじまったし、はじめなければいけない。

今日は稽古だ。
ダンスの稽古をするらしい。
本当だろうか?
実は、足が棒のようになっているのだけれど。

さて。我が家のコーヒーを飲もう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 09:27| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする