自分の思いつく範囲で、色々と考えていく。
今日、興行収入の報告があって、それをじっくりと自分なりに分析していく。
分析と言っても、3週で、それも全て映画館も時間帯も地域も違う。
だから、分析するにしてはデータ量があまりにも低い。
ただはっきりしているのは、都心部ではまだまだ動員できる余力があるなとはっきりとわかったこと。
次に都内で上映する機会があれば、そこはまだある程度の見込みが立ちそうだぞとデータだけでわかる。
もちろん、実際は天候であったり時間や場所でも変わってくるだろうし、逆の方向もある。
お客様が増えていく可能性だってあるのだから、所詮は分析してもただの数字でしかないのだけれど。
ただ全国に向かうのだとすれば、絶対に必要なことがある。
それは、きっかけだ。
明確なキッカケが、どこかで必要になってくるはずだ。
それまで、地道にいくつのことを積み上げていけるのかだ。
人に薦めたくなったり、人を誘いたくなるのかどうか。
セブンガールズにそういう要素があるのかどうか。
それをきちんと自分の中で整理していく。
今の時代の中で、この作品がどこに求められているのか。
考えていく。
どんなに考えたところで無駄になるのかもしれない。
ハッキリ言えば、想定して想定通りになることなんて今まで一つもなかったんだから。
それでも、出来る範囲でどんどん想定していく。
この作品は絶対に届く。
そう信じてきた。
信じて来たのに、現状を観て、やっぱり感動してしまうのは何故だろう?
日々、SNSで検索をすると、セブンガールズについて誰かが何かを発信してくださっている。
心を込めて創ったものなのだから、絶対に誰かの心には響くと思っていたはずなのに。
想定したいたはずなのに、それで、感動してしまう。
うん、そうなるよな!なんていうふうに思えない。
これでは、いけないのかもしれないけれど、そうなのだから仕方ないと開き直っている。
キッカケがどういうものかはわからない。
それこそ、想像したって、想定したって、まるで無駄かもしれない。
ただ、自分の中では、出来ることを淡々と探し続けるしかないのだから。
そういう意味では今日は、無駄かもしれない作業に没頭するような日だった。
数字を睨み、ワードを探し、必要なことを頭の中で整理していく。
まるっきりすべて無駄になる可能性の方が高いのだろう。
それでも、これはきっと、必要なこと。
そして、その無駄が重なっていけば、何かが生まれることも知っている。
無駄なような欠片が集まっていくと、それはそれで、力になることを知っている。
明日から何が起きるだろう?
そんなことを思えば、ワクワクしてくる。
もちろん、不安だって大きい。いや、不安の方が大きい。
このまま名古屋で上映した後、どこの映画館からも声がかからなかったら・・・なんて考えたりもする。
それでも、そんな風に思ってもなんの進歩もないし、結局、何も生みださない。
悪い想像なんか、結局は、幻想でしかない。
悪い結果になった時の自分を、少しでも今から慰めようとしている自分でしかない。
だから、最高の結果から、良い結果を考える。
その上で、良い結果になるには何が必要なのかを想像していく。
その後は、ただただ具体的な作業を積み重ねていくだけになっている。
明日、キッカケが落ちてくるかもしれないよ。
そう思わなきゃ、なんにも出来やしないさ。
あんたは楽観的だよと、何度も母親に言われたけれど。
まったくやれやれだ。
でも。
不思議だなぁ。
悪い想像だってするのに。
不安だってあるのに。
大丈夫だと確信している自分も同時に存在している。
多分、それは一人だからじゃない。
たくさんの応援してくださる方々のコメントが勇気をくださっているからだ。
終戦直後の焼野原。
今日を生きるために必死だった女たちは夜の街に立った。
焼野原だから電気もないし、ガス灯もつかない。
見上げれば、夜空の星は満天だったそうだ。
彼女たちにとって、星がいっぱいなことは、悲しい事でもあった。
電気がない、暗い東京が、その星空を産み出しているのだから。
街娼は、星を見上げて、歌を歌った。
「星の流れに」という曲は、そんな夜空の下で歌われた曲だった。
でもさ。
星空は綺麗じゃんね。
どん底だとしても、星を見上げられるなら。
そこが井戸の底だとしても、見上げたら星があったなら。
それはもう、希望なんじゃないかって思う。
だったら、見上げよう。
どん底で、地面を観ているなんて馬鹿げている。
ほら、星が流れている。
星がいっぱいでも
どうってこたあないさ。