2018年11月09日

あの流星がきっかけになるかもしれない

自分の思いつく範囲で、色々と考えていく。
今日、興行収入の報告があって、それをじっくりと自分なりに分析していく。
分析と言っても、3週で、それも全て映画館も時間帯も地域も違う。
だから、分析するにしてはデータ量があまりにも低い。
ただはっきりしているのは、都心部ではまだまだ動員できる余力があるなとはっきりとわかったこと。
次に都内で上映する機会があれば、そこはまだある程度の見込みが立ちそうだぞとデータだけでわかる。
もちろん、実際は天候であったり時間や場所でも変わってくるだろうし、逆の方向もある。
お客様が増えていく可能性だってあるのだから、所詮は分析してもただの数字でしかないのだけれど。

ただ全国に向かうのだとすれば、絶対に必要なことがある。
それは、きっかけだ。
明確なキッカケが、どこかで必要になってくるはずだ。
それまで、地道にいくつのことを積み上げていけるのかだ。

人に薦めたくなったり、人を誘いたくなるのかどうか。
セブンガールズにそういう要素があるのかどうか。
それをきちんと自分の中で整理していく。
今の時代の中で、この作品がどこに求められているのか。
考えていく。
どんなに考えたところで無駄になるのかもしれない。
ハッキリ言えば、想定して想定通りになることなんて今まで一つもなかったんだから。
それでも、出来る範囲でどんどん想定していく。

この作品は絶対に届く。
そう信じてきた。
信じて来たのに、現状を観て、やっぱり感動してしまうのは何故だろう?

日々、SNSで検索をすると、セブンガールズについて誰かが何かを発信してくださっている。
心を込めて創ったものなのだから、絶対に誰かの心には響くと思っていたはずなのに。
想定したいたはずなのに、それで、感動してしまう。
うん、そうなるよな!なんていうふうに思えない。
これでは、いけないのかもしれないけれど、そうなのだから仕方ないと開き直っている。

キッカケがどういうものかはわからない。
それこそ、想像したって、想定したって、まるで無駄かもしれない。
ただ、自分の中では、出来ることを淡々と探し続けるしかないのだから。

そういう意味では今日は、無駄かもしれない作業に没頭するような日だった。
数字を睨み、ワードを探し、必要なことを頭の中で整理していく。
まるっきりすべて無駄になる可能性の方が高いのだろう。
それでも、これはきっと、必要なこと。
そして、その無駄が重なっていけば、何かが生まれることも知っている。
無駄なような欠片が集まっていくと、それはそれで、力になることを知っている。

明日から何が起きるだろう?

そんなことを思えば、ワクワクしてくる。
もちろん、不安だって大きい。いや、不安の方が大きい。
このまま名古屋で上映した後、どこの映画館からも声がかからなかったら・・・なんて考えたりもする。
それでも、そんな風に思ってもなんの進歩もないし、結局、何も生みださない。
悪い想像なんか、結局は、幻想でしかない。
悪い結果になった時の自分を、少しでも今から慰めようとしている自分でしかない。
だから、最高の結果から、良い結果を考える。
その上で、良い結果になるには何が必要なのかを想像していく。
その後は、ただただ具体的な作業を積み重ねていくだけになっている。

明日、キッカケが落ちてくるかもしれないよ。
そう思わなきゃ、なんにも出来やしないさ。
あんたは楽観的だよと、何度も母親に言われたけれど。
まったくやれやれだ。

でも。
不思議だなぁ。
悪い想像だってするのに。
不安だってあるのに。
大丈夫だと確信している自分も同時に存在している。

多分、それは一人だからじゃない。
たくさんの応援してくださる方々のコメントが勇気をくださっているからだ。

終戦直後の焼野原。
今日を生きるために必死だった女たちは夜の街に立った。
焼野原だから電気もないし、ガス灯もつかない。
見上げれば、夜空の星は満天だったそうだ。
彼女たちにとって、星がいっぱいなことは、悲しい事でもあった。
電気がない、暗い東京が、その星空を産み出しているのだから。
街娼は、星を見上げて、歌を歌った。
「星の流れに」という曲は、そんな夜空の下で歌われた曲だった。

でもさ。
星空は綺麗じゃんね。

どん底だとしても、星を見上げられるなら。
そこが井戸の底だとしても、見上げたら星があったなら。
それはもう、希望なんじゃないかって思う。

だったら、見上げよう。
どん底で、地面を観ているなんて馬鹿げている。

ほら、星が流れている。
星がいっぱいでも
どうってこたあないさ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:14| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月08日

目に見えない勢いのようなものを纏うまで

さて、今、腰を据えてしっかりと考えていかなくちゃいけない。
まず大事なことは名古屋に向けて、自分たちのできるプロモーションを考えていくこと。
東京、大阪での上映を経験して、自分たちに蓄積されたものだってある。
何が出来て、何が出来ないのか。何をするべきか。
そういうことをきちんと考えていかなくちゃいけない。

それともう一つあるとすれば、関東での再上映だ。
本気で全国での上映を目指すのであれば、関東の、出来れば都内近郊での再上映は必要不可欠になってくる。

ただ上映をしようと思えば出来ないわけじゃない。
つまり、上映会だ。
場所を借りて自分たちでチケットを手配して・・・。
それは、劇団運営をしてきたノウハウもあるから実はそこまで難しい事ではないかもしれない。
けれど、公開したばかりの今、それをやることはセブンガールズの未来にとっては余り良いことじゃないと思う。
自主上映会は、当然映画館の興行成績にも乗らないし、媒体にも上映予定が掲載されることはない。
そして、限られた日程しか恐らくは出来ない。
ファンサービスとしてイベント的にやるのであれば、もっともっとセブンガールズが育ってからだ。
今、それをやることは、通常の映画館での興行に影を落とすだけになってしまう。

かと言って、じゃあ、都心部ではない場所から・・・というのもかなり厳しい条件になる。
例えば有名人が出演しているとか、出身俳優がいるとか、ロケ地であるとかがあれば別だけれど。
出演している俳優が全て無名で、出身地でもなく、ロケ地でもない映画を、地方部で上映してもらうのはハードルが高すぎる。
動員をしないと、映画館だって経営が成り立たなくなる。
ここで撮影しましたよ!とか、この人が出てますよ!という看板もないまま簡単に上映してもらえるわけがない。
配給の仕組みの全てを知っているわけではないけれど、知る限り2つの方法があるはずだ。
一つは映画館主催で、チケット代の数割が興行主である映画館の売上になる方法。
もう一つが、上映権の購入で、この場合は配給側は売値以上は満員でも入らないし、映画館は売値以上にチケットを売らなくては赤字になる。
名画などで、時間が経って上映権が安くなってから地方で上映するというようなことは可能だとしても。
今すぐ、上映権を・・・というのは、かなり厳しいはずで。
だとすれば、やはり上映権じゃない方法しか選びようがないだろうと思う。
名画の上映権を格安で買うよりも利益率の高い動員を目指せなければ、中々難しいという事になる。
当然、例外はあるとしてもだ。

じゃあ、本当に日本全国を目指すのであれば、何が必要なんだ?と考える。
じっくりと、考えていく。
やはり、話題性と実績以外には、全国に行くことなんか夢のまた夢なのだ。
数年後、ほとぼりが冷めてからなら不可能じゃないかもしれないけれど。
今、全国を目指すとすれば、それ以外に方法はない。
もちろん例外として地方からの誘致というのもありえる。
その場合は、誘致団体が動員を保証出来るような規模が必要なはずだ。
だから、普通に考えれば、話題性と実績になる。
そして、その話題性と実績を創るのだとすれば、人口の多い都市部になってくる。
例えば興行成績という実績を積み上げるのであれば都市部になってくる。
話題性も、一人でも多くの人が話題にしたり、媒体に取り上げられたりが必要になる。
そういう意味ではより都心部の方が媒体の数が圧倒的に多い。
当然、夢は今まで通りみていくけれど、現実だってちゃんと見据えないと、結局なんにもならなくなる。

最近は、その実績にインターネットが加わっている。
例えばInstagramのフォロワーの数が数十万もある!とかであれば、それは実績になるはずだ。
Twitterに感想が1000件以上も上がっているとか、レビューサイトで高評価とか。
恐らくは、これまでにはなかったような実績というもの確実にある。

ミニシアターの中では高い興行成績、ネットでの評判、そして媒体での宣伝。
あとは、目に見えないなんというか、勢いのようなもの、匂い。
その4つが生まれやすい場所で、生まれるように頑張るのが結局は一番の近道になるはずだ。
実は個人的に、東北部で上映したいなぁという思いがある。
東北部だけじゃなくて、いくつかの地域で、ここでやりたいなぁというのがあるのだけれど。
その中でも東北部では、やらなくちゃいけないと思っている。
戦後復興の中、強く生きた娼婦たちの姿を、届けなくちゃいけない場所だという思いがある。
けれど、やっぱり東北部に持っていくには、まず東名阪の都市部なんじゃないだろうか。
真面目に考えれば考えるほど、それがまずやるべきことなんだという答えに辿り着く。
逆を言えば、この映画は上映したい!と思って問い合わせが入る状況にするのが一番早いという事だ。

嬉しいことに、上映を観てくださった方の中で、様々な映画館にアンコールや上映希望を出してくださっている方がいるそうだ。
そういう声がどれぐらい届くのかどうかもわからない。
それぞれどんなやり方でやってくださっているかも細かくはわからないのだけれど。
映画館によってはリクエストカードがあって、そこに書いてくださっている方もいるとか。
出演者たちや製作側が、配給会社の頭を飛び越えて営業してしまうわけにもいかない今、すごく嬉しい話だ。
きっと、そういう声が一つずつ集まっていくことだって実績になっていく。
そして、目に見えない勢いというものになっていく。

多分、ここからの上映計画や、進んでいく道については、もう一度打ち合わせなくちゃいけないのだと思う。
明確に目指す場所は一つだとしても、次に足を出す道を決めるぐらいの具体性だって必要なはずだから。

ただ一つ言えることがあるとすれば。
どれだけ周到に計画を練ったとしても。
どれだけ考えに考えて、進んだとしても。
作品に力がなければ、それは実現しない。
そしてやっぱり、なんとなく過ごしていては、実現しない。
自分たちでそこに辿り着くために、何かをつかみ取るような思いがなければ、何も起こらない。

おいらは。
この作品にはその力があると思っている。
そして、自分は、例えその壁がどれだけ高かろうが、手を伸ばし続ける。
そういう思いが途切れることだけは絶対にない。
だって、そうじゃなければ、この映画は完成しなかった。
一瞬でも思いが途切れて、ネガティブになっていたら、きっと公開すらできなかった。
信じて、どれだけ足が重くても、一歩前に進んだから今がある。
夢を見て、現実もみて、それがどんなに困難に思えた時も、乗り越えてきた。
それこそ、誰も吸いたがらない泥水だってすすってきたんだから。

映画が出来るまでに比べたら、大したこともねぇさ。
だって、あの頃は、監督しかいなかった。
監督と自分だけが、もくもくと映画製作に取り組んでいた。
信じることしか裏付けがなかった。

今は違う。
試写会を終えて、出演者たちが、仲間が立ち上がった。
皆で、何かしなくちゃって考えて動き始めた。
そして、今、公開後に、お客様たちが立ち上がってくれている。
こんなに勇気をもらえるのかよ!
最高じゃないか!

ぐいぐい背中を押してくれる。

だから、もっと考えるんだ。
何をするのが一番いいのか。
もっともっと。

何をすれば、皆が喜んでくれるのか。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:02| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月07日

繋がっていけば辿り着くから

先日アップした主題歌「星がいっぱいでも」MVの各SNSヴァージョンの編集。
実は、マウスの電池が切れていて、効率が悪すぎて今日になってしまった。
SNSによって、それぞれ別のファイルを用意する。

まずSNSそれぞれで規格が違う。
例えばTwitterは最大2分20秒だし、Instagramは60秒だ。
表示される画角も違うし、Twitterは強制的に圧縮がかかり、かなり画質低下される。
それはやはりモバイル環境での使用を想定しているから、通信量に気を使っている。
最近ではアプリ側で、動画の画質をある程度コントロールできるらしいけれど・・・。
それにしても、Twitterの画質や、Instagramの秒数制限は厳しい。
元のMVが2分40秒のフルHDなだけに、出来ればYoutube版を観て欲しいけれど。
とは言え、SNSで気軽に観れて、気軽に拡散していくというのもまた魅力であることは間違いない。

大手の映画プロモーションで、各SNSでも予告を流していたりするけれど。
やはり、それぞれ別のものにしているのがわかる。
Twitterの予告なんて15秒にしていたりする。
ただ、やっぱり外注だから足回りはそれほど良くないんだろうなというのは感じる。
何種類も用意してあるのは稀だし、アレンジ版みたいなものは皆無に等しい。
足回りよく、どんどん別のものを製作していくというのは難しいのだろうなぁと思う。

昨日、シアターセブンの担当者さんとの話を書いたけれど。
その話の中で、もう一つ興味深い話があった。
それは、問い合わせのことだ。
セブンガールズの上映が決まってから、問い合わせがいくつかあったというのだけれど。
その問い合わせの範囲が、セブンガールズはとっても広かったという。
九州、四国に至るまで、問い合わせがあったのだそうだ。
実際に、遠くから足を運んでくださった方もいらっしゃった。
恐らく、それは、SNSでの宣伝と、上映館の少なさの二つから来ている。
でも、それだけじゃないんだなという気がしてきた。

パンパン・・・。
終戦直後の娼婦。
その中の街娼を揶揄した言葉だ。
そのパンパンそのものに興味を持っていらっしゃる層も確かにいる。
実際、パンパンについては、余り映画の題材になっていると思えない。
映画の中に登場することがあっても、パンパンを描いた作品というのは非常に少ない。
肉体の門以外に、思い浮かべると、実は赤線の娼婦の話だったり、パンパンとは違っている。
どちらかと言えば青線だし、基本的に娼館を持たなかったり、男に管理されていない街娼のことだから。

例えば、パンパンという存在が超政治的な存在だというならわからなくもない。
実際に、沖縄や小笠原の返還までは、その地にパンパンが存在していたわけで・・・。
そうとる人もいなくもないのだろうとも思うのだけれど。
よくよく調べてみると、右も左も、思想団体にとってパンパンはあまり触れたくない問題のようだ。
右の人にとっては、パンパンは占領されたという歴史の象徴であり、国策の汚点でもある。
左の人にとっては、戦争加害者の日本としたい中で、戦争被害・・・それも女性被害という側面が強い。
それぞれが主張している問題点に抵触していて、同時にその問題点がぶれてしまうような立ち位置にいる。
だから、政治的な主張を重ねる場面では、ほとんどパンパンについて浮上してこなかった。
相反する思想のはずの右と左が、どちらにも黒歴史のように扱かうのは、皮肉だなぁと思うけれど。
ただ現実にパンパンは存在していたし、詳しい資料がどんどんなくなっていっている。
米兵による暴力事件の資料だってもうわずかしかないし、国策として国営の娼館があった事実も見えづらくなってきた。
主張する人がいなければ、民間の研究者の風俗研究に頼るしかないけれど。
それは、やはり、それほど大きく扱われるわけではない。
そう思うと、映画や小説、テレビドラマによるピックアップというのは、本当に力が強いなぁと思う。
何年か前の大河ドラマの「篤姫」なんて、放映以前は誰も名前も知らなかったのだから。

戦前戦中戦後の風俗研究という意味でも。
パンパンに興味を持たれる方は思っているよりもいらっしゃる。
特に、終戦直後のパンパンというのは、いつの間にか霞のような、伝説のような存在になっている。
数年後の娼館が出来たり、男たちが管理する娼婦ではなく、純粋な街娼。
実際に活動していたのは、ほんの数年であり、その大半は口をつぐんで一般女性に戻っていった。
プロの娼婦ではなく、一時的な娼婦だったことを思えば当たり前なのだけれど。
多くの人は、終戦直後に男たちがいないのにどうやって生きていたのか尋ねれば、
「今日を生きることに精いっぱいだった」とか「あの頃はごたごたして記憶もあいまいだ」とか。
当たり前だけれど、そうやって、本人たちもなかったことにし続けたわけで。
終戦後70年を超えた今、生き証人だっていたとしてもわずかで、そして口を開くことはないはずで。
だからこそ、パンパンという存在について、作品で触れることが出来る機会というのは貴重なのだと思う。
実際に夫が戦地から帰ってきたからパンパンをやめるというケースも多かったようだ。
戦地から帰った夫に、そんなことを言えるわけもない。

潜在的に、日本各地にパンパンについて興味を持っている方がいらっしゃるようだと最近気付いてきた。
SNSにおけるコメントでも、興味を持っているポイントみたいなものの傾向があって見えてくる。
もちろん劇団が作った!とか低予算!とか、他にもポイントはあるのだけれど。
自分が想像していた以上に、「終戦直後の娼婦」に興味を持たれている方がいらっしゃる。

だとすれば、やはりもっともっと全国のそんな皆様に、この映画を知らせなくちゃいけない。
SNSは、世界中に開かれたものなのだから、どこでどうやって繋がっていくかもわからない。
そう思えば、動画をフレキシブルに、SNSごとに用意したり、数種類用意したりできる足回りの良さは強みだと思う。
あれ?これ、もしかしてパンパンの映画なのかな?って思う人が出てくるのかもしれない。
今、自分たちが考えなくてはいけないのは、きっと、数十万人という規模の不特定多数に向かう事で。
その中から、興味を持ってくださる方を探すという事をしていかなくちゃいけないのだから。
人から人へ繋がっていくSNSは無限の可能性を持っているし、動画も一つのツールになっていく。
もちろん、SNS以外のものや、ネットもスマフォもやらない人たちにも届けていかなくちゃいけない。

さあ。
どうやら、自分には、まだまだやることがあるようだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:15| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする