かっこつけているなぁと感じると厭になる癖がある。
なんというか、取り澄まして、体裁を整えているように感じるからだ。
それはそんなに面白くはないぜって思っている。
つっぱらかるのは良い。
というか、男の子はつっぱらかってないとだめだ。
かっこつけているのと、つっぱらかっているの、違いが分からなかったら芝居なんかしない方が良い。
なんでもかんでも平等にするべきだ。とか。
なんでもかんでもそこにある差を考える・・・みたいな優等生な意見が多い世の中だ。
はみだしているものは認めないか、もしくは、はみだしているものをも平等に扱う世の中であるべきだか。
そんな優等生発言はたくさんある。
そして、そのどれもが正論で、付け入る隙がないぐらい正しい。
確かに行政であるとか、制度であるとか、法整備は必要だ。
全てが平等になることは難しいけれど、いつだって公平を目指すべきなのは確かだ。
けれど、そんなわかりきったことを声高々に、表現するというのは何か違和感がある。
嫌いな奴がいるのが人間ぽいじゃないか。
好きな奴と同じぐらい、むかついたっていいじゃないか。
そういう凸凹があるのが当たり前で、そこに権利の差別があるかないかは、制度の問題で。
個人的な感覚は、感覚として、あるものなのだから。
どれだけそういう正しい場所を創ろうとしたって、それだけじゃ対応できない。
これから本当に大事になってくるのは、そういう意識だよ!なんて、堂々と言うなんて赤面してしまう。
そんなメッセージのある演劇も腐るほど見てきたけれど、何も生みださない。
お客様が、すごく考えました!なんて感想を書いて、それを読んで満足して。
それで、おしまいだ。
皆がそういう意識になったら世の中が変わるなんて、そんなことを口にする。
違うんじゃねぇかなぁ。
そういうもんじゃねぇんじゃねぇかなぁ?
色々な奴がいるから、面白いんだから。
全員がお前の作品を観るわけじゃないぜ?
今、例えば高齢化社会にしたって。
本当に大事なことは、そんなことじゃない。
小さなコミュニティ内における相互互助だと思うよ。
隣にいる人が手を取り合って助け合っていく世の中。
そこには善意とかだけじゃなくて、生き方みたいなものも含まれてる。
高齢化社会に向けて、今、急速に法整備が整っていって、様々な老健であったり、介護施設が増えている。
それはそれ、これはこれ。
そういう法整備や制度だけでは、実は対応なんか出来っこない。
個人個人が意識を高く持つ?そんなことでは、何百年経っても、解決しないことがある。
どの距離感で喋ってるんだろう?と思う。生活感がないような主張ばかり。
そうじゃなくて、例えば介護施設の中における小さなコミュニティ内の人間関係。
それこそ、生活に根差した、今、考えることなんじゃないだろうか?
だってさ、老人ホームの中で友達がいる老人と、そうじゃない老人と。
どれだけ施設が整備されていたって、幸せなのはどっちなのか、すぐにわかるじゃない。
そして、それを善意で皆が・・なんて優等生的な話をしちゃうのは、駄目なんだと思う。
もっと、自分の人生で考えれば・・・っていう生き方に根差した相互関係を創っていかないと。
貧富の差にしたって、性差別にしたって、LGBTにしたって、なんだって良いけれど。
大きすぎる話じゃなくて、隣にいる人間が、隣にいる人間に、自分の生き方としてどう手を繋げるのか?
たったそれだけが、大事なことなんじゃないのかって思う。
そして、多分、映画だとか演劇だとか、小説だとか。
物語は、問題意識を起こさせることよりも、お前はどうやって生きていく?という問いだけあればいいと思っている。
プロパガンダみたいな物語は懲り懲りだ。
結局、自分のリテラシーみたいなものを、かっこつけて、見せているだけなんじゃないかって思ってしまう。
昔、自分が住んでいたアパートのそばの中華料理屋の老夫婦は、いつ行っても喧嘩していた。
まぁ、聞くに堪えないような罵詈雑言を平然とお互いが口にしていた。
人が見たら仲が悪いし、心配してしまうような関係かもしれないけれど。
その店に通ううちに、いや、この二人はどの夫婦よりも仲が良いんだなぁと解った。
この二人に、そういう言葉遣いは良くないよ!なんていうような野暮はない。
何故なら、二人には二人だけのルールがきっとあって、お互いがお互いを心で支えているからだ。
多分、いきなり店に入ってもわからないけれど。
それをわかりやすい愛の形として、見せることが出来るのが物語なのだと思うよ。
セブンガールズは、娼婦たちの物語だ。
世間から白い目で見られて、パンパンと蔑称で呼ばれた女たちだ。
その女たちが、小さなバラックの中で、手に手を取り合って生きている。
まぁ、喧嘩もするし、なれなれしいのを嫌っている女もいるし、甘えん坊もいる。
でも、血も繋がっていないし、一生一緒にいるわけじゃないし、仕事仲間なだけだ。
でもさ。助け合う。お互いをどこかで思っている。
それは、なんかルールでじゃないと思う。
一人一人の登場人物の生き方として、自分に恥じない選択をしているだけなのだと思う。
良心とは別の部分で、でも、お互いを心配している。
「やさしい」ってこういうことじゃないかなぁ。って何度も思う。
かっこわるいから、かっこつけようがない。
全員が、つっぱらかって、生きてる。
たった、それだけの映画なのかもしれない。
でも。
きっと。
これからの時代を生きていく自分たちにとって。
大事な宝物にだってなるぜって思っている。
かっちょいい市民意識なんかの何千倍もの宝物だ。
不平等な社会の中でも、人は人と繋がってきたんだ。
制度ばっか整備したって、絶対にそれだけじゃ、何も解決しないんだぜ。
セブンガールズに描かれている女たちは、現代における天使たちだ。
生きることに必死なだけなのに、なぜこんなに美しいのか。
多分、現代が抱えている病理の半分は、天使たちが解決してくれるとさえ思っている。
「俺はさあ」とか「私はさあ」とか。
自分のことを口にする時の、その俺や私とは誰なんだろうか?
人から見た自分像のこと?
自分の中で思っている理想的な自分像のこと?
それとも、もっと本質的で、本能的な、自分ではコントロールできない自分のこと?
女たちはその答えを持っている。
たくさんの悲しい事、戦争、全てを乗り越えて、今を生きている女たちは知っている。
やっぱりセブンガールズは現代の物語だ。
終戦直後を舞台にした、現代の物語。
今、現在、誰だって問われている。
お前はどうやって生きていくんだよ?と。
現代を生きる全ての人に送る物語だ。
心が震えるのは、そういう理由だとしか思えない。
頭で観ることが出来ない。脳味噌で理解しようとすることは野暮。
ただただ、心を動かすだけ。
そういう作品なのだと思っている。
「やさしい」ってそういうことなんじゃないだろうか?