バラエティ番組でやらせがあったと話題になっているらしい。
海外に行って現地の祭りに参加するというような内容で。
実は、そんな祭は、そもそも存在していなくて、全て番組側で準備していたのだそうだ。
さも、地元の祭りがあって、そこに参加したというような番組構成。
そして、それが、やらせだと言う。
自分には、それがさっぱりわからない。
それの何がやらせなんだろう?とさえ、思っている。
バラエティ番組が、番組を面白くするために脚色、演出するのなんか当たり前のことだ。
子供の頃は、手品ショーを平然とマジックだ、ハンドパワーだとやっていたし、心霊番組もUFOも作り物だった。
お化け屋敷に行って、このお化けは人形じゃないか!と怒る人なんかいるのだろうか?
そりゃ、ドキュメンタリーや報道番組だったら、問題があると思うのだけれど。
番組内容に線引きなんかできない。
ここからはやらせで、こここからは脚色演出ですなんて線は引きようがない。
その土地を侮辱するような内容なら問題だけれど、基本的にそういうことをする番組でもない。
線引きをするのだとすれば、それがバラエティなのか報道なのかだけなんじゃないかって思う。
正直、ドキュメンタリーですら、やらせ的な部分はゼロじゃない。
作り手側から見れば、それが自然な姿ではなく、被写体が撮影を意識して、撮影側が編集で見え方を限定して・・
なんていうのは、普通にわかるし、むしろよくあることで。
ドキュメンタリーが糾弾されないのに、バラエティがなんで、こんなことで?と不思議でしょうがなかった。
映画、演劇と同じ。バラエティは作り物だという認識だった。自分は。
あんまり自分には不思議で、なんなのだろう?と思って、ちょっと色々と見てみたら、なんとなくわかった。
どうやら、目くじらを立てている人なんか、どこにもいやしない。
誰も、これがやらせだ!なんて、怒ってない。
それどころか、報道された次の放送も、視聴率が落ちているわけじゃない。
要するに、一般市民は誰一人、そんなことを気にもしていないし、どうでもいいって思っている。
じゃあ、なんでこんなに問題だ!って騒がれているように見えるのかって思ったら、簡単なことだった。
一部マスコミがエキセントリックに、やらせだ!と騒ぎ始めて。
SNSで、それに乗っかって、そうだそうだ!と言っている人たちがいるというだけだ。
マスコミがあおって、それに乗っかる。たったそれだけのこと。
乗っかっている人は、じゃあ、そのことに怒っているのかと思ったら、実は全然怒ってすらいない。
なんだよ、がっかりだな・・・みたいなつぶやきを思わずしていたり、面白がったりしているだけ。
あおられて、それにコメントして、さもそれが一般市民の意見のように補強されて。
それを観て、番組側が慌ててコメントを出すみたいな状況。
問題じゃないのに、問題っぽく見えるように仕組まれている。
結果的に誰も怒ってないのに、社会全体が怒っているような、意味の解らない報道がされている。
なんなんだ、これは?
冗談じゃねぇぞ。
勝手に一般市民の意見を作り上げている奴らがいるのか?
まったく、これだから、ニセモノは大嫌いだ。
これを、やらせ報道なんて言うけれど、報道じゃないよ。こんなの。
ただの、あおり商法だ。
吉本隆明さんが生きていらっしゃったら、これを何と呼ぶのだろう?
とてもじゃないけれど、共同幻想ですらない。
・・・とは言え、これをちゃんと考えておかなくちゃいけない。
実体のない怒りが、テキスト情報だけで飛び交うことがあるのだという事を知っていなくちゃいけない。
そして中には、意図的なネガティブキャンペーンもあるし、或いは、プロモーションもあるのだという事。
それは年々巧妙になっていて、場合によっては無意識的に刷り込まれるようなものもあるという事。
そこまで、きちんと意識して、理解した上で、進んでいないといけない。
何故なら、今、自分たちはまさにそのSNSを主戦場にしてセブンガールズのプロモーションをしているのだから。
間違ってはいけないのは、宣伝やプロモーションは、まるっきり悪い事ではないという事だ。
宣伝というのはある意味でコミュニケーションでもあるわけで。
セブンガールズの上映が決まって、それをお知らせしなければ、かえって怒られることもある。
こういうことをやりますよ!というお知らせは、そこから生まれるものもあるし、ポジティブなことでもある。
SNSはコミュニケーションツールなわけで、宣伝ツールではない。
宣伝ばかりしているのはやっぱり、友人としては疎ましく感じる。
けれど、だから宣伝はしないというのはやっぱり間違っていて、宣伝もして問題ない。
もし、問題があるとしたら、その宣伝方法であったり、意図にあるんじゃないだろうか?
例えば、結局金儲けのためだったり、誰かが損をしてしまうような誇大広告だったりは、駄目だ。
でも、セブンガールズという映画を観て欲しいという純粋な気持ちなら、何の問題もない。そういうことになる。
一時問題になったステルスマーケティングも、そのスタンスで大きく変わる。
本当は全然オススメじゃないのに、お金を渡して、BLOGで勧めてもらうというのはやはり嘘が入っている。
そういうのは、やっぱり気付いたが最後、騙されたような気持ちになる。
何故なら、そこにも「実態がない」からだ。
けれども、好きなブランドの服があって、その服を着て写真を載せ続けるのは、問題ないんじゃないだろうか?
だって、本当にその服が好きで、その写真が良いと思っているのだから。
ある意味で広告だけれど、広告の形をしていない。それもステルスマーケティングと言えば確かにそうなのだけれど。
そこには実態がある。
つまりは、宣伝を個人がするのであれば、そのスタンスで大きく変わるんじゃないかって思う。
宣伝のための宣伝は、やっぱり、スタンスとしてあまり美しいと思えない。
それと、その宣伝でもあるものが魅力的なコンテンツかどうかというのも大きく作用すると思う。
かっぱえびせんのCMソングや、文明堂のCMが、河童黄桜うんぱっぱ。CMだけど大好きだった。
それは、CMソング自体が魅力的だし、面白かったし、好きだったからだ。
例え宣伝のために始めたものだとしても、魅力的だったり楽しいコンテンツというのは確実にある。
娯楽性でも芸術性でも良いのだけれど、魅力的なコンテンツを産み出せるかどうかはセンスになってくるけれど。
発信する責任とはそういう所にあるんじゃないだろうか?
見てくださる人が、喜んでくれる要素をきちんと用意できるかどうかじゃないだろうか。
そういうことを考えたうえで。
実体のないものが突如襲い掛かってくることもあり得る世界なのだとどれだけ認識できるかだ。
セブンガールズにあるかもしれないし、個人にあるかもしれない。
もっとずっと大きく、ミニシアターとか、演劇界とかに、ネガティブな嵐が吹くかもしれない。
誰も怒っていないのに、世の中が怒っているような雰囲気を創れる場所なのだから。
自分のような人間であれば、柳に風かもしれないけれど、耐えられない人だってたくさんいるはずだ。
そう思うと、ミニシアターという世界には、メディアが足りない気もする。
「映画」というジャンルには、紙媒体もWEB媒体も、数多くの媒体がある。
けれど、ミニシアターを愛している人たちが楽しめるような媒体が見当たらない。
芸能人の舞台挨拶の写真なんかどうでもいいんだよ!って層が確実にいるはずなのに。
もちろん、アート系の媒体であるとか、取り上げている媒体はあるのだけれど。
特化したものはない。
「金にならない」ってことなんだろうか?どんなものだって、続けられる為のバランスは必要だから。
今、SNSで自分たちでプロモーションを考える中で。
セブンガールズがまず目指す場所というのは、ここかなぁというのは、意外に高い場所にある。
わかりやすくミニシアターに特化した媒体がなければ、商業映画も取り扱っている媒体の掲載を考えるしかない。
まぁ、そこに行けば行ったで、順風と同じ強さで逆風が吹くことを覚悟するべきなのだけれど。
それでも、その高い場所を常に意識していかなくちゃいけない。
意外にシンプルなのかもしれないな。
結局、嘘をつかなければいいのだから。
いや、そんなことはないか。
全ての本音や本質が美しいわけじゃない。
人間は汚い部分だって、やっぱり持っているのだから。
美学を持って取り組めるかどうか。
そのスタンスが全てなんだろう。
かっこつけずに、正直に、自分たちのセブンガールズを紹介していく。
美学を持って。観てくださる方が楽しんで頂けるように!!
PVを再度、Youtubeにアップロードした。
今までの本予告は、K'sシネマのロゴが最後に出るものだったから。
Youtubeは、再生数が注目されるから、あまり更新しちゃいけないかなぁとも思ったけれど。
情報の速報性が高いインターネットで、公開時の情報がいつまでも掲載されているのもどうかと思った。
予告編を公開した翌日に、朗報がいくつか入った。
そして、名古屋シネマテークでの上映日程の発表が出来た。
動けば動いただけ、きっと、帰ってくる。
進むのだ。
周到に計画をして。
考えて、考えて。
誰よりも、応援してくださる皆様に喜んでいただけるように。
一人でも多くの人たちに届けることが出来るように。