2018年11月15日

実体のないものと向き合う

バラエティ番組でやらせがあったと話題になっているらしい。
海外に行って現地の祭りに参加するというような内容で。
実は、そんな祭は、そもそも存在していなくて、全て番組側で準備していたのだそうだ。
さも、地元の祭りがあって、そこに参加したというような番組構成。
そして、それが、やらせだと言う。

自分には、それがさっぱりわからない。
それの何がやらせなんだろう?とさえ、思っている。
バラエティ番組が、番組を面白くするために脚色、演出するのなんか当たり前のことだ。
子供の頃は、手品ショーを平然とマジックだ、ハンドパワーだとやっていたし、心霊番組もUFOも作り物だった。
お化け屋敷に行って、このお化けは人形じゃないか!と怒る人なんかいるのだろうか?
そりゃ、ドキュメンタリーや報道番組だったら、問題があると思うのだけれど。
番組内容に線引きなんかできない。
ここからはやらせで、こここからは脚色演出ですなんて線は引きようがない。
その土地を侮辱するような内容なら問題だけれど、基本的にそういうことをする番組でもない。

線引きをするのだとすれば、それがバラエティなのか報道なのかだけなんじゃないかって思う。
正直、ドキュメンタリーですら、やらせ的な部分はゼロじゃない。
作り手側から見れば、それが自然な姿ではなく、被写体が撮影を意識して、撮影側が編集で見え方を限定して・・
なんていうのは、普通にわかるし、むしろよくあることで。
ドキュメンタリーが糾弾されないのに、バラエティがなんで、こんなことで?と不思議でしょうがなかった。
映画、演劇と同じ。バラエティは作り物だという認識だった。自分は。

あんまり自分には不思議で、なんなのだろう?と思って、ちょっと色々と見てみたら、なんとなくわかった。
どうやら、目くじらを立てている人なんか、どこにもいやしない。
誰も、これがやらせだ!なんて、怒ってない。
それどころか、報道された次の放送も、視聴率が落ちているわけじゃない。
要するに、一般市民は誰一人、そんなことを気にもしていないし、どうでもいいって思っている。
じゃあ、なんでこんなに問題だ!って騒がれているように見えるのかって思ったら、簡単なことだった。
一部マスコミがエキセントリックに、やらせだ!と騒ぎ始めて。
SNSで、それに乗っかって、そうだそうだ!と言っている人たちがいるというだけだ。
マスコミがあおって、それに乗っかる。たったそれだけのこと。
乗っかっている人は、じゃあ、そのことに怒っているのかと思ったら、実は全然怒ってすらいない。
なんだよ、がっかりだな・・・みたいなつぶやきを思わずしていたり、面白がったりしているだけ。
あおられて、それにコメントして、さもそれが一般市民の意見のように補強されて。
それを観て、番組側が慌ててコメントを出すみたいな状況。
問題じゃないのに、問題っぽく見えるように仕組まれている。
結果的に誰も怒ってないのに、社会全体が怒っているような、意味の解らない報道がされている。

なんなんだ、これは?
冗談じゃねぇぞ。
勝手に一般市民の意見を作り上げている奴らがいるのか?
まったく、これだから、ニセモノは大嫌いだ。
これを、やらせ報道なんて言うけれど、報道じゃないよ。こんなの。
ただの、あおり商法だ。
吉本隆明さんが生きていらっしゃったら、これを何と呼ぶのだろう?
とてもじゃないけれど、共同幻想ですらない。

・・・とは言え、これをちゃんと考えておかなくちゃいけない。
実体のない怒りが、テキスト情報だけで飛び交うことがあるのだという事を知っていなくちゃいけない。
そして中には、意図的なネガティブキャンペーンもあるし、或いは、プロモーションもあるのだという事。
それは年々巧妙になっていて、場合によっては無意識的に刷り込まれるようなものもあるという事。
そこまで、きちんと意識して、理解した上で、進んでいないといけない。
何故なら、今、自分たちはまさにそのSNSを主戦場にしてセブンガールズのプロモーションをしているのだから。

間違ってはいけないのは、宣伝やプロモーションは、まるっきり悪い事ではないという事だ。
宣伝というのはある意味でコミュニケーションでもあるわけで。
セブンガールズの上映が決まって、それをお知らせしなければ、かえって怒られることもある。
こういうことをやりますよ!というお知らせは、そこから生まれるものもあるし、ポジティブなことでもある。
SNSはコミュニケーションツールなわけで、宣伝ツールではない。
宣伝ばかりしているのはやっぱり、友人としては疎ましく感じる。
けれど、だから宣伝はしないというのはやっぱり間違っていて、宣伝もして問題ない。
もし、問題があるとしたら、その宣伝方法であったり、意図にあるんじゃないだろうか?
例えば、結局金儲けのためだったり、誰かが損をしてしまうような誇大広告だったりは、駄目だ。
でも、セブンガールズという映画を観て欲しいという純粋な気持ちなら、何の問題もない。そういうことになる。

一時問題になったステルスマーケティングも、そのスタンスで大きく変わる。
本当は全然オススメじゃないのに、お金を渡して、BLOGで勧めてもらうというのはやはり嘘が入っている。
そういうのは、やっぱり気付いたが最後、騙されたような気持ちになる。
何故なら、そこにも「実態がない」からだ。
けれども、好きなブランドの服があって、その服を着て写真を載せ続けるのは、問題ないんじゃないだろうか?
だって、本当にその服が好きで、その写真が良いと思っているのだから。
ある意味で広告だけれど、広告の形をしていない。それもステルスマーケティングと言えば確かにそうなのだけれど。
そこには実態がある。
つまりは、宣伝を個人がするのであれば、そのスタンスで大きく変わるんじゃないかって思う。
宣伝のための宣伝は、やっぱり、スタンスとしてあまり美しいと思えない。

それと、その宣伝でもあるものが魅力的なコンテンツかどうかというのも大きく作用すると思う。
かっぱえびせんのCMソングや、文明堂のCMが、河童黄桜うんぱっぱ。CMだけど大好きだった。
それは、CMソング自体が魅力的だし、面白かったし、好きだったからだ。
例え宣伝のために始めたものだとしても、魅力的だったり楽しいコンテンツというのは確実にある。
娯楽性でも芸術性でも良いのだけれど、魅力的なコンテンツを産み出せるかどうかはセンスになってくるけれど。
発信する責任とはそういう所にあるんじゃないだろうか?
見てくださる人が、喜んでくれる要素をきちんと用意できるかどうかじゃないだろうか。

そういうことを考えたうえで。
実体のないものが突如襲い掛かってくることもあり得る世界なのだとどれだけ認識できるかだ。
セブンガールズにあるかもしれないし、個人にあるかもしれない。
もっとずっと大きく、ミニシアターとか、演劇界とかに、ネガティブな嵐が吹くかもしれない。
誰も怒っていないのに、世の中が怒っているような雰囲気を創れる場所なのだから。
自分のような人間であれば、柳に風かもしれないけれど、耐えられない人だってたくさんいるはずだ。

そう思うと、ミニシアターという世界には、メディアが足りない気もする。
「映画」というジャンルには、紙媒体もWEB媒体も、数多くの媒体がある。
けれど、ミニシアターを愛している人たちが楽しめるような媒体が見当たらない。
芸能人の舞台挨拶の写真なんかどうでもいいんだよ!って層が確実にいるはずなのに。
もちろん、アート系の媒体であるとか、取り上げている媒体はあるのだけれど。
特化したものはない。
「金にならない」ってことなんだろうか?どんなものだって、続けられる為のバランスは必要だから。
今、SNSで自分たちでプロモーションを考える中で。
セブンガールズがまず目指す場所というのは、ここかなぁというのは、意外に高い場所にある。
わかりやすくミニシアターに特化した媒体がなければ、商業映画も取り扱っている媒体の掲載を考えるしかない。
まぁ、そこに行けば行ったで、順風と同じ強さで逆風が吹くことを覚悟するべきなのだけれど。
それでも、その高い場所を常に意識していかなくちゃいけない。

意外にシンプルなのかもしれないな。
結局、嘘をつかなければいいのだから。
いや、そんなことはないか。
全ての本音や本質が美しいわけじゃない。
人間は汚い部分だって、やっぱり持っているのだから。
美学を持って取り組めるかどうか。
そのスタンスが全てなんだろう。
かっこつけずに、正直に、自分たちのセブンガールズを紹介していく。
美学を持って。観てくださる方が楽しんで頂けるように!!

PVを再度、Youtubeにアップロードした。
今までの本予告は、K'sシネマのロゴが最後に出るものだったから。
Youtubeは、再生数が注目されるから、あまり更新しちゃいけないかなぁとも思ったけれど。
情報の速報性が高いインターネットで、公開時の情報がいつまでも掲載されているのもどうかと思った。
予告編を公開した翌日に、朗報がいくつか入った。
そして、名古屋シネマテークでの上映日程の発表が出来た。
動けば動いただけ、きっと、帰ってくる。

進むのだ。
周到に計画をして。
考えて、考えて。
誰よりも、応援してくださる皆様に喜んでいただけるように。
一人でも多くの人たちに届けることが出来るように。

posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:51| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月14日

マッチレース

TOHOが運営しているドリパスというサービスが昨日から急速に盛り上がり始めた。
実は告白すると、ドリパスの存在には舞台が終わった頃に気付いていた。
あ、こういうのがあるんだ!と思って、人に言おうか考えたのだけれど、その時は躊躇した。
なぜなら、それは、上映する会場がないからという意味だからだ。
それも、お客様に投票してね!みたいになって、上映を勝ち取ってもらう形になってしまうと思ったから。
システムを読んだら、毎日、投票できるというような形で、なんだかそれを自分から公表しちゃいけないと思った。
それ以降、別の作品で投票される方のツイートなんかを観るたびに、そっと覗いていたりした。
そのたびに、こういうのもありますよ!という人ことは考えたうえで出せずにいた。
だって、やっぱり、ここで上映しますよ!という情報こそ待ってくださっているのだから。

お客様がそれを見つけて、昨日から今日にかけて、たくさんの投票が集まっていた。
主にSNSをやっている方々だけなのに。
クラウドファンディングの時だって、ネットが出来ない方がたくさんいらっしゃった。
色々なサイトに登録するのが厭だという方も多かった。
それなのに、たくさんの投票だった。
すごいなぁ、嬉しいなぁ。

まだまだ投票が集まっていくのだろうか・・・。
わからないけれど、同時に、そこに期待してしまう自分を、自制した。
それじゃいけない。
それを待っているなんて、絶対にだめだ。
映画を製作した側は、やっぱり上映できる可能性を一つでも探していくことが大事だと思いなおす。
本当は期待してくださっているのはお客様なのだから。
関係者側が期待するなんて、本末転倒になってしまう。
ただただ、嬉しい。ただただ、ありがたい。
そこで、自分を自制しなくちゃなと思った。
応援は期待するものではない。
応援してもらえる姿勢であり続けることが大事だ。
もしその姿勢を失って、期待してしまったら、それは甘えていることになる。

くそお!!がっかりさせたくない。
素晴らしい報告を、皆様に届けたい!!

本当は今こそ、皆で一つになるべき時なのかもしれない。
それぞれに考えて、それぞれに活動するのも大事なこと。
だとしても、もちろん、足並みはそろってなくちゃいけない。
人数がいるから、どうしても揃わない部分も出てくるのだけれど。
そこをきちんと踏ん張って、足並みを揃えていかないとだ。
わかっているのは、名古屋の直前になったり、次の上映が決まったりすれば、皆で・・・ってなること。
それは何もしないでもいつものように、そうなっていくだろう。
もう癖のようなもので、舞台をやって来た自分たちは、本番が近づくと一つになっていく。
けれど、その上で、今、皆で一つになっていかなくちゃいけないんじゃないかって思ったりする。
思い描いている絵が、同じかどうか。
そこに向かっていけるのかどうかは、本当は何よりも大事なことなのだから。
監督やプロデューサーや自分が思い描いている絵に向かうためのことばかり考えているけれど。
それを皆で持てたら、もっといいのかもしれない。
そんなことを考えつつも、そのためにどうしたらいいのか?という部分はまだ霧の中だ。
どうしたって、きっと、いつものように今は準備期間という意識があるだろうから。

自分の中で、今こそ勝負だぞという意識がずっと働いている。
今、名古屋の上映まで時間があり、他の上映館が決まっていない今こそだ。
何が出来て、何が出来ないのか。
何が強みで、何が弱みなのか。
どんなスケールを持って、考えるべきなのか。

たくさんの人が応援してくださっている。
その全ての人に報いることが出来るとしたら、答えは一つしかない。
その人ごとに喜んでもらう事はきっと、色々出来るけれど。
それじゃあ、あまりにもだ。
全ての人に報いることって言うのは、たった一つだ。
そこに、向かって、ひた走るしかないのだ。

目先だけを見るな。
先の先の先まで見るんだ。
その上で、今こそ、勝負するんだ。
ここが自分の人生の岐路なんだぐらいに、思わないとだめだ。
真剣勝負だ。

見ろ!また投票が伸びている。
これはお客様とのマッチレースだ。
応援してもらえる自分であるために。
このレースに勝ちに行くしかないんだ。

信じられないようなことを起こしたい。

頭がぐるぐる回ってる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:28| Comment(1) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月13日

人は荷物の中身がわからないままでは歩けない

映画「セブンガールズ」は二度目の方が泣ける。

そんな言葉を初めて目にしたのは、公開初日だった。
クラウドファンディングのリターンで試写会に来てくださった方が初日に口にしたのが最初だった。
その時は、ああ、そうなんだなぁと思うぐらいだった。
そのお客様はそうなんだと思っただけだった。

でも、どんどんそうじゃないらしいということがわかっていった。
二度目の人が必ず、二度目の方が泣けると感想を残していった。
余りにも、たくさんの人がそれを口にするから、理由があるはずだと思った。
だって、二度目のお客様は、その後どうなるか知っているんだから。
終わりを知った上で観てくださっているのだから。
それなのに、二度目の方が泣けるという事はどういうことなのか。
そこは、やっぱり、ちゃんとちゃんと考えなくちゃなと思った。

正直に言えば、一度観てくだされば、もうそれだけで大感謝だ。
もう一度観てください!なんて、おこがましいと、前にも書いたと思う。
現代の映画のヒットの条件はリピーターだなんていう記事を目にした時に書いたと思う。
だから、ここに書くことは二回目来てね!とかそういう意味ではない。

理由の一つははっきりしている。
それは群像劇だからだ。
監督と編集している時からそれは意識していた事。
登場人物を把握して、誰が誰だかわかってくるのは、このシーンぐらいだろう。
そういう想定をして編集をしている。
ここまでは丁寧なテンポで、ここからたたみかけるように・・・。
そういう編集の流れを考えるときに、ある程度想定しなくちゃできない。
前半の登場人物を把握できない場所では、あまりテンポアップするわけにもいかない。
それは、事前にはっきりとわかっていたことだ。
だから、二度目に観た人は、まったく違う作品に生まれ変わる。
それは、登場人物を把握している状態で最初から観るからだ。
ただ怒鳴っているあの男が、別の姿に見えるはずだし。
ただおどけているようなあの娼婦が、別の姿に見えてくるはずだし。
細かく積み上げていく伏線が、線になって見えるはずだし。
そうやって、全ての役を把握してから見れば、感情移入が深くなるという事なんだと思う。
新しい発見だってたくさんあるはずだ。

あとは余韻なのかもしれない。
心情風景のような映像を、いさぎよく全てなくしている。
だから、シーンごとの余韻を楽しむ隙は無い。
全て、観終わってから一気に全体の余韻がやってくる。
そういうカタルシスを目指している。
二度目だと、一度目の余韻が残っていて、カタルシスがもう一度やってくる。
その上、二度目の最後には、より前のシーンをはっきり覚えているのだから強烈な余韻が残る。
これは、実はそこまで想定していなかったことだ。
でも、落ち着いて考えれば、スターウォーズだって、ETだって、なんだって皆そうだ。
ETが自転車で空を飛ぶシーンなんか一瞬で終わるし、余韻を楽しむ心情風景なんて殆どない。
ただ体験して、映画が終わってから、フラッシュバックしてくるのを楽しむ。
もう一度観るときは、自転車のシーンが来るのを待ってしまう。
そして、フラッシュバックする記憶はより多く補完されている。
そりゃあ、そうなんだなぁって思う。
自分が大好きな映画も、確かに二回目からの方が、泣いたのだけれど、きっとそういうことだ。

ただ、手前みそになるけれど、もう一つ理由を加えたいなぁって思う。
それは、芝居なんじゃないだろうか。
二度観ても、物語に入っていけるという事は、物語の登場人物がそこに生きている証拠だ。
ここうまいなぁ・・・なんて考える暇もないってことだ。
もちろん、製作側としては、色々と思う所はある。ないわけがない。
役者自身だって、自分の芝居を観れば、ああ、あそこはこうだったかなぁとか考えてしまうだろう。
編集で呼吸のタイミングまで合わせていったのは、そういう違和感を排除するためだった。
物語に没入できない限りは、二度目なんかなかなか観れないと思う。
そして、きっと、二度目になれば、登場人物がどんなことを思っているかまで見えてくる。
だとしたら、二度目の方が泣ける。
それは間違いない。
笑顔の裏側も、涙の裏側も、全部見えてくるのだとしたら。
うん、それは芝居だなぁって思う。
名曲が何度も聞けるように、芝居なら何度でも観ることが出来る。

実は都内のお客様で大阪まで遠征して観に来てくださったお客様がいらっしゃって。
そのお客様は、更に、舞台のイメージ、余韻を加味した上で、映画を楽しんでくださった。
また、更にグッとくるんだという言葉を頂いた。
わあ!これはすごいことなんじゃないか!と、背筋に電流が走った。

そういえば、セブンガールズは、未だに映画評論家には観ていただいていない。
一体、評論家と呼ばれる方々はこの映画をどのように評価するのだろう?
映画を紹介するライターとは、まったく違う角度から映画を観る仕事の人たちだ。
この映画に流れているものをどうやって見抜くのだろう?

今は、SNSやレビューサイトがあるから、一億総評論家時代ともいわれている。
でもやっぱり評論家って言うのは、それを仕事にしている人だから、少し違ったりする。
一度しか観ないのだろうけれど、どこまでこの作品の構造を見抜けるのだろうか。
いつか、誰かに観ていただけるのだろうか?
複数回、観てくださっているお客様の感じているところまで見抜くことって出来るのだろうか?

二度目の方が泣ける。

もちろん、お客様の心の中で起きていることだから。
実際には分析なんかできない。
一人一人きっと、違うものがある。
ツボだって違う。
それでも、やっぱり冷静に分析はしていかなくちゃいけない。
この作品の持っている力を可能な限り把握しなくちゃいけない。
それが出来なければ、プロモーションだって出来なくなってしまう。
ピントがずれてしまう。

試写会で、面白かった!良かった!と言っていたお客様が。
映画館で号泣して、立てないほど感動してしまったという。
この正体はきっと、この映画の持つ大きな力の一つだ。

それをもっともっとわかりやすくたくさんの人に伝えられたらいいのに。
そしたら、上映館だってどんどん増えていくかもしれないじゃないか。
賛否があっていいのだし、画一的にするつもりもないけれど。
伝えられることは伝えていかないといけない。

とってもとっても大事なことだ。
自分が背負っているものがわからないまま、人は歩けないんだってさ。
でも、子供をおんぶしたり、リュックを背負ったりだったら、かなり歩けるんだって。
なんとなくわかる。なんとなくだけれど。

未だにセブンガールズという作品を完全に把握できていない。
お客様の方がよっぽど、この作品を知っている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:48| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする