2018年11月21日

知ることは、尊敬すること

昨日に引き続き緊急作業続行。
昨日終わらせた作業は実った。
だから今日は印刷物関連。
まぁ、地道にやっつけていくしかないのだ。

でもここから。
ここから始まる。
そう思ってやっていく。

もう一つやりたいところだけれど、今日はここまでにする。
明日はさらに重要な一日になるだろうから。

セブンガールズを通じて知ったことがたくさんあるけれど。
一番よくわかったことは、想像以上に人は人に限界を設定しているという事だ。
自分で自分の限界を無意識に設定している。
最近、特に思うけれど、そういう自分を見つけたら即座にその無意識を取り除くようにしている。
映画製作の段階で、最終的なロケ地をお借りする時もそうだったかもしれない。

誰だって口にする。
自分に出来ることがないんだよね・・・とか。
自分が出来ることは、これぐらいかなぁ・・・とか。
そう思った瞬間に、それをかき消す。
いや、ちょっと待て。
自分で自分の限界をいつの間にか設定していないか?
考えてみれば、その限界になんの裏付けもない。
なんとなく、空気だとか、わからないってだけで、限界と思っている。
取っ払って、足を一歩踏み出してみれば、意外にやれることはたくさんある。

監督に、これこれは無理だよなぁ?と聞かれることがある。
出来ますよ。と答える。
まぁ、流石にその時は根拠がある状況だけれど。
普通に考えたら出来そうもないことも、知っていればできる。
単純に稽古場でカメラを回す時に。
顔が暗いけど、照明ないから無理だよなぁ?って聞かれても。
いや、出来ますよ。と答えて、それこそトイレの電球外して、ソケット回してきたりする。
出来ないからじゃ、思いつかないけれど、それをとっぱらえば思いつく。

気付いていないことも多いのだろうなぁと思ってる。
無理だよ・・・っていつの間にか限定している場面があるのだろうなぁ。
気付けば自分で打ち消すのに。

ここを進む。
一本太い道を持つ。
そのためには何が足りないのか見えてくる。
そこで、ああ無理かぁと思う自分を打ち消す。
足りないならどう補うか考える。
もっともっと足りないならアイデアを探す。
たったそれだけのことだ。
それが意外に出来ない。
それでも、自分は「どうやったんだよ?」と言われることをやってきた。
このセブンガールズを通じて、とてもただの個人がやったとは思えないこともやって来たはずだ。
その上、自分には仲間もいるし、応援してくださる方々もいるのだ。
全然、個人じゃない。
そして、そのために、準備だってしてきた。勉強だって。

出演者だ。
役者だ。
確かにね。
まあ、かつて、ここまで色々なことをした役者なんていない。
前代未聞だ。
ロケ地探すわ、道具集めるわ、セット創るわ、編集するわ、宣伝するわ。
おかげで、色々なことを覚えた。

おかげで、たくさんの人たちを尊敬している。
映画製作に関わってくださったスタッフさんたち。
今、たくさん考えて、たくさん教えてくださる加藤プロデューサー。
色々な意見を聞いてくださる配給担当さん。
やればやるほど、その仕事の大変さ、その抱えているプレッシャー、抱えきれないストレス。
そういうものを理解していく。
役者やるなら、本来は知っているべきなんじゃないかなぁ。とさえ思ってる。
映画のために生きているんだぜ。すげぇよ。本当に。
心から尊敬する。
だから、自分も必死になって食らいついていく。
出来ることを探していきます。

皆様に出会うために。
やれること、全部、やってやる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:37| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月20日

タンクは満タンさ

出来ることは全部やる。
それがこの映画を創り上げた。
そして、それは今も続いている。
今日やるべきことは、やってしまえとなんとか、ここまで。
うん、これで良い。

プレゼントなのだから。
心で動くしかないのだ。
たくさんのガソリンは頂いている。

自分の出来ることは、まだある。
今日出来ることはさすがにもうないけれど。
明日になれば、まだまだある。
それをどんどんやっていく。
それが自分なら出来るのだと信じている。
信じているというか、疑わないようにする。
そうでなければ、足が止まっちまうぜ。

「止まる」と書いて、普通は、トマルと読む。
でも、実は、トドマルとも読む。
最近の映画に、「止まる」というワードが入ってきているのはきっと時代に停滞感を感じている人がいる証拠だ。
転がる石のようにと、かつてフォークシンガーが歌った。
いつだって、音楽も、映画も、時代に反映されている。
自分の足は、まぁ、止まらない。
こんな急な坂道にいたんじゃ、そもそも転がる以外に出来ないからさ。
次のワードは「転がる」かもしれないなぁ。
「駆ける」かもしれない。

良い映画の定義ってなんですか?と考えた。
まぁ、答えなんか、人それぞれ、千万通りもあるだろう。
自分の中の答えだって、日によって違うかもしれない。
今の自分の答えは「反芻」出来ることだ。
夢中になってのめり込んでもいいし、静かな映画を考えながら観てもいい。
どちらにしても、それをより反芻できるのが、良い映画なんじゃないだろうか?
例えば、恋人と映画館に行った帰りに、喫茶店や居酒屋で、その映画のことを延々と話すことが出来るとか。
一人で映画に行った帰りの電車の中で、一つのシーンについてなんども思い出したり、考えたりするとか。
とにかく、どれだけ反芻できるのかが、良い映画の鍵なんじゃないかって思う。
つまらない映画は恋人の会話を止めるし、次の日には大半を忘れちゃう。
面白い映画は、何十年経っても、やっぱり覚えている。

10年前の舞台でも、覚えていてくださる人がいる。
それはきっと良い作品だったんだなぁって思える。
例え一度みただけでも、きっと、頭の中では何度も何度も楽しんでいる。
そうじゃなければ、人間の記憶力なんて簡単に吹き消してしまうのだから。
思い出したり、考えたり、反芻したからこそ、覚えているはずだ。
人間の脳みそはそう出来ていると聞いている。
子供の頃に、ホラー映画を観てショックを受けて、今でも思い出す大人がいる。
そういう人はきっと、ショックを受けて、何度も思い出しては震えあがったんだってさ。
自分も、ホラーじゃないけれど、エレファントマンは怖かったなぁって今も思う。

反芻してくださる人がいる。
セブンガールズには。
それが、何よりもうれしい。
今も、SNSではコメントが止まることがない。
そんな人が一人でも増えるように頑張らなくっちゃ。
皆様が止まることがないのだから。
自分の足が止まるはずもないさ。

だから。
やれることを全てやるのだ。

駆けるには、充分なガソリンをもらってる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:18| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月19日

偶然でも奇跡でもないとしたら、必ず伏線があるのだという事

稽古場に行く。
今週連絡したロードマップについて再度説明。
なんというか、不思議な感覚。
言葉が届いているのか、わかりづらいのか、何とも言えない感触。
漠然としすぎているのかもしれない。
現実感が持ちづらいのかもしれない。
今、出来る一番具体的な方向性ではあるはずだけれど。
公開して、次の公開を待つ今こそが一丸となるべきタイミングという事を地道に説明していく。

監督とも話をしておく。
大事な話のはずだ。
今、今なのだという話。

助走というべきか。
ぐぐぐっと、ゴムを引いているような。
そういう時間こそ一番大事なのだと思う。
イメージを持たないといけない。
様々なアイデアをプールしておかなくてはならない。
例え、無駄になったとしても、例え、実際に行動できるアイデアが全てではないとしても。
必ずその時はやってくるのだから。
その時に、自分に何が出来るのか?それをきちんと。

多分、個人が出来ることの一番のことはきちんと分析していくことなのだと思う。
成功事例を探しては、どうして成功したのか分析していく。
そう、考えることが一番、今、個人で出来る大事なことだ。
もちろん、自分なりに情報を出していったり、拡がっていくことも大事。
それもしていけばいいのだけれど。
必ずきちんと考えていけば、いくほど、アイデアは溢れてくる。
その時が来た時に、じゃあどうしようか?では遅いのだ。
その瞬間が来た時に、すぐに次の一歩を出せるだけの準備をしておかなくてはいけないのだ。
だから分析していく。そして足りないもの、必要なもの、やるべきことを整理していく。
思い付きで進むわけにはいかないのだから。

今週は特に大事になってくると思っている。
セブンガールズという作品の持つ力を信じている。
その力をより発揮していくのであれば。
きっと、今週がターニングポイントになる。

すでに奇跡は起きている。

そもそも映画化なんて出来る作品じゃないと言われ続けた。
この予算で映画に出来るわけがないと何度も何度も。
それを映画化して、そして公開まで行った。
公開して、K'sシネマで満員御礼を続けた。
もう、これは奇跡なのだと思う。
でも3年間、毎日毎日セブンガールズという作品に立ち向かってきて思うのは。
こんなもんじゃないぜってことだ。
本当の奇跡はこれからさらに起きるぜって、起こすぜって思っている。

皆で考えるのだ。
今日ではない明日を。
そんなことミラクルだぜって思えたとしても。
そのミラクルを起こせばいい。
決して不可能じゃない。
宣伝の予算が少ないとか、有名人が出ていないとか。
そんなことはもう関係ない。
むしろ、他の映画ではなかなかできないような宣伝だって出来る。
有名人が出ていないことが、逆に宣伝にだってなる。
物事にはいつだって裏側があって、逆もまた真なりとはよく言ったものなのだ。

ふと、芝居の師匠を思い出した。
11月は自分にとって大事な人の命日が続く。
師匠は、アングラと呼ばれる演劇をしていた人だ。
思えば映画の話をよくしていたなぁ。
なぜ、あんなに優しい映画を好きだった人が、あんなに激しい演劇をしていたのだろう?
アングラの中でも、コンパネ板に体当たりを繰り返すような激しい舞台をしていた。
目指している場所は、最終的にどこにあったのかな。
晩年の作品は、どれも映画になってもおかしくないような作品ばかりだった。
どこかで、映画に行きたいと思っていたんじゃないかと思う。
シニアに向けた対話劇を構築し始めてから、病気になってしまった。
あの作品群は、思えば映画だったんじゃないだろうか。

激しすぎるほどの演劇を創りながら、たくさんの映画も観ていた。
外から観たら、まったく別物に見えたはずだけれど。
本人の話を聞いていると、目指しているものは案外同じものだったような気がしている。
舞台表現が尖っていって、一つのスタイルを見つけただけで、それを全てと判断されるのはきっと違っていただろう。

亡くなる直前に、自分が持っている映画のシナリオを貸した。
飲み屋で、この映画のシナリオ、すごく面白いという話をした時に、貸せと言われた。
亡くなった後にご家族から返してもらったら、びっしりとメモが挟まっていた。
どうやら、その映画を自分なりに解釈した舞台を構想していたのだという。
きっと、最後に考えていた舞台だ。
そのシナリオを返してもらった時に、自分は一つ、夢を託されていたのかもしれない。
そんなことを思った。

今、セブンガールズを映画公開していることは、点のようで、実は線だ。
長く長く続いた線を、ぽんと受け渡されて。
その線が細いながらも、まだ続いているんだ。

考えろ。
ここを起点に。
縦にも、横にも、奥行きにも、時間軸でも、哲学的にも。
ありとあらゆる広さをもって考えるんだ。
そして、学ぶのだ。
学んで、考えて、きっと何かと何かが、線で繋がる日が来る。
その時に起きる。必ず。
展開する。

さあ。
大事な週がやってくる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:05| Comment(0) | 映画公開中 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする