法事に向かう。
お墓を掃除してお経を頂く。
卒塔婆を供える。
そうやって少しずつ生者は亡き人への思いを儀式として刻んでいく。
褪せない思い出もある。消えていく記憶もある。
不思議なほど、法事という儀式はそれを整理してくれる。
法事でしか会わないような親戚と食事を摂る。
少年はいつの間にか大人になりつつあった。
時間を捕まえることは出来ない。
今は、いつだって、さっきになってしまう。
明日には、いつまでも辿り着けない。
日々過ごしていれば気付かないのに、久々に会うと少年の声が太くなっている。
思い出をたどれば、いつの間にか、過去の中にいる。
今、この瞬間、それを実感することなんて、ごく稀にしかない。
映画「セブンガールズ」の企画を立てて今日まで。
様々なことがあった。
たくさんの人に出会って、たくさんのことを学んだ。
それまで知らなかったことも、いつの間にか知っている。
そのたびごとに、落ち込んだり、驚いたり、感動したりしたのだけれど。
時間は全てを押し流してきた。
あの瞬間も、この瞬間も、もしなかったら、この映画は完成していなかった。
自分が映画完成に奔走している時。
何も手伝うことが出来なかった出演者たちが、公開が決定してからとっても頑張ってくれている。
自分たちに出来ることが出来た瞬間から今までずっと。
今、編集してるよ!今、音をやってるよ!今、字幕を付けているよ!
その時その時、報告して、内容を伝えて。
自分がやりながら、これは皆の映画だからと伝えて。
そういう時間も、なんというか、あっという間に過去になったような気がする。
今は、皆でこの作品を一人でも多くの人に伝えようとしてくれている。
かつて、ぼんやりとしていた夢の話は、やがて形になって、いつの間にか輪郭がはっきりしている。
どういう時間を過ごして、この映画が完成して、公開に向かっているのか。
考えれば考えるほど、これだけの時間が必要だったのだなぁと改めて思っている。
映画「セブンガールズ」を公開する9月に入った。
今月だ。
今月末、いよいよ公開だ。
公式のInstagramを覗いてみて欲しい。
公式のTwitterを覗いてみて欲しい。
恐らく、今、ある全ての映画の公式のアカウントとも違うから。
公式なのに、こんなにコメントに返信したり、相互のコミュニケーションを大事にしているアカウントなんかない。
それはきっと、大抵の映画のSNSは宣伝部が主導になっているし、返信一つでも、書いていいのかな?という判断が必要だから。
けれど、セブンガールズは、皆の作品だから。
出演者何人かで管理したり、返信もしてみたり。
出てくる言葉が、宣伝からくる言葉じゃないのがすぐにわかると思う。
もちろん、それはほんの一端で、ネット上だけじゃなくて、実際のお店周りだってやっている。
舞台に向かっても、必死になってる。
法事に向かう車の中で。
一年か・・・と考えていた。
たったの一年なのか、長い長い一年なのか。
時間は捕まえることが出来ない。
捕まえることは出来ないけれど、刻むことが出来る。
写真はそうやって生まれた。
そして写真は、進化を重ねて、動画になった。
スクリーンに映るのは時間だ。
濃厚な時間そのものだ。
時間とは、たくさんの思いと、情熱と、動いた心と、その全てが含まれたものだ。