業務試写が終わってその準備作業はなくなった。
印刷物はまだまだ残っているけれど。
それでも、猛スピードで進んでいる。
なあに、まだまだ行けるさ!
感覚的にどうしてもわかっていないことがある。
それは、いわゆるミニシアターが、普段、どんな形で集客していくのだろう?ということだ。
もちろん、やっていることはつぶさに観ている。
過去に公開していた作品や、現在公開している作品、これから公開する作品。
それぞれの作品がどうやって宣伝しているのか、どんな風に感想が集まっているのか。
そういうものは確認して、知識としては貯蓄している。
自分も、まだミニシアターなんて言葉がなかった時代に、色々な映画を観た経験もある。
それでも、なんというか、感覚的なものがどうしてもつかめない。
例えば、平日の昼間でも映画は当然のように日々公開されている。
小劇場でも、なくはないけれど、そんなに毎日は考えられない。
それは、間違いなく自分の想像している観客層とは別のお客様たちなのだと思う。
確かに自分も、ガラガラの映画館に行ったこともあって。
逆に、なんで、こんなにお客様が入っているんだろう?という映画も幾つもあった。
話題作とは、一般的な話題作とはまた別の話題作がある。
そういうものっていうのは、例えばどんな映画を観ても、結局、公開しないとわかってない雰囲気がある。
現代はSNSが発展しているから、過去の作品の公開日前後の履歴も観ることが出来る。
なんて言えばいいのかなぁ。
例えば、自分は何を買うか決めないで本屋に入ることがある。
本の表紙を見て、作家を観て、推薦文を観て、出会いを求めている。
あれは特に誰かに勧められてというわけじゃない。
飛び込みで、例えば平置きになっていなくても、出会う時は出会うというようなものだ。
どうも、映画にはあれに近い部分もあるようだ。
映画館のチラシを何枚か手にして、インスピレーションで観るものを決める。
そういう出会いが、映画の世界でも息づいている。
ミニシアター同士での横の繋がりもあるから、公開作品のチラシをお互いに置き合ってる。
結果的に大抵の映画のチラシを手にすることが出来る。
そしてきっと、その中から出会いを求める。
でも、そういうのって、結果的に、お!ちょっと話題になってるぞとか。
お!これはひょっとすると気にかけてくださる方が結構いるぞ!とか。
そういうことが事前にはわからないんだろうなぁって思う。
蓋を開けないと実際に、足を運んでくださる方がいるのかどうかも見えないんじゃないだろうか。
もちろん、ある一定層のお客様がいて、例えば名画系なら最低このぐらいはいつも来場があるとかのラインはあると思う。
例えば、昔のヤクザモノだと、このぐらいは入るなど、計算が立ってくると思う。
でも、そこからのプラスアルファは、どうやって予測したり、感覚的にとらえているのだろう?
ケイズシネマの支配人さんが打ち合わせで、予想は結局出来ないというような言葉を口にしていて。
ああ、そういうものなんだなぁと感じたのだけれど。
だけどさ。
そんな風にのんびりしたくないんだ。
いっぱい入ってくれるといいなぁ・・・っていうのが一番良くない。
それは多分、小劇場というフィールドにずっといた精神性からも来ていると思う。
舞台の再演は非常に難しいし、1~2週間という公演期間しかないから、必死でお客様を呼び集める。
チラシを置かせてもらって、折り込みに行って、配って、と、それを繰り返す。
でも、映画は少し違うように思う。
もちろん、必死に宣伝している映画もたくさんあるし、監督や役者がチラシを配っているケースもある。
それでも、少しだけ毛色が違うし、なんだったらチラシをまくだけで、すごい!なんて言われていたりしていた。
あまりにも自分たちがいつもやってることなのに、映画の世界ではそうでもなかった。
郷に入っては郷に従えとも言う。
もちろん、通常の映画の宣伝部と変わらないぐらいの宣伝はしたとしても、映画のやり方でいいのかもとも思う。
でも、そんな風にのんびりしてはいられない。
一週間の限定上映だけれど。
それが可能な限り伸びたら最高だなぁって思っている。
全国ロードショーになったらいいなぁって思っている。
・・・というか、当初から、一人でも多くの人にこの作品を届けると宣言している。
それには、自分の中で二つの方法しか残されていない。
一つは、なんらかの評判になること。
もう一つは、もうシンプルに一週間、たくさんの人たちが集まること。
或いは、その両方だ。
だから、のんびりと、徐々に評判が良くなって・・・というのは考えないようにしている。
そういう方法があるのは知っているし、そういう作品もたくさんあったけれど。
ミニシアターのファンの中には、当然、観たい映画の優先順位がある。
もし見逃しても、面白ければ、またどこかで上映されるんじゃないかという楽観もある。
そういう中で、優先順位が上がって、少しでも早く観たいと思ってもらえないようじゃいけないのだと思う。
当然、他のミニシアター系の作品よりも有利な部分だってある。
そもそも劇団というベースがあって、そのお客様が観たいと思ってくれる可能性がある。
クラウドファンディングで200人を超える支援が集まっているから、応援してくださる方がいる。
けれど、それだけではきっと、大入り満員にならないんじゃないかって思ってる。
例え、限定の前売券が完全に売り切れたのだとしても、当日券の枠があるのだから。
その枠に、どれだけ映画を好きな人や、興味を持ってくださる人が、足を運んでくださるかが最後の決め手になる。
だから、やれることは全部やって。
映画を好きな人が、気にかけてくれるようにチラシを手にしやすいようにして。
或いは、SNSで興味を持ってくださった人が、「興味」から「行く」に変わるようにして。
それをやれるだけやり続けていかないと、きっと、そういう目に見えるような結果にはならない。
だというのに。
本当に感覚的なものがない。
ああ、これはとても良い流れだぞ・・・とか、そういうセンサーがまったく働かない。
海のものとも山のものとも見当が付かない。
蓋を開けてみないとわからないという感覚がやっぱり残っている。
これはこれで、とても苦しい。
日々やれることを重ねていくけれど。
自分のセンサーのようなものが、何かを受信するまではきっと苦しい日が続く。
まず観ていただかないと。
何も起きないのだ。
この作品を観てもらわないと。
残念ながら、自分という俳優はその宣伝にならない。
自分が出るから観て欲しいとかいくら叫んでも、自分の知り合いにしか届かない。
小野寺が出てるから観に行こう!なんて、お客様がそんなにいると思えない。
少なくても、作品以上の宣伝力を持っていない自分だ。
まったく、無名俳優とかそういう言葉は好きじゃないけれど、そのまま無名俳優なのだ。
かっこつけちゃだめだ。
この映画は、そもそもそういう映画ではない。
かっこつけずに、そのまま、こんな映画創っちゃったぞと、言い続けるしかない。
何も起きないと思っていたら、その先は見えている。
何か起こすと思い続けることこそが、きっと答えになる。
だって、そういう力が「セブンガールズ」にはあるのだから。