予告編の中で出てくる言葉がある。
これは、完成披露試写会後に受付にいた自分が直接聞いたいくつかの言葉の中で一番グッと来た言葉だ。
「ドブネズミの美しさだよね」
ニヤリと笑って言われた瞬間、ああ、あの娼婦たちの美しさが伝わっていたと痺れた。
通常、予告編にコメントが掲載されるとすれば、著名な人の言葉なのかもしれない。
もちろん、著名な人からコメントをもし頂けることが出来たのなら、HPでもここでも記載する。
けれど、一般の、試写会を観た普通のお客様からの言葉を掲載することこそ、この映画らしいと思っていた。
それでも、このコメントをPVに組み込んだ時、恐らく別のキャッチに組み替えることになると思ってもいた。
自分はこの映画らしいと思うけれど、プロデューサーや配給担当さんは、それをプロモーションと思えないかもしれない。
もっと具体的に映画ファンが興味を持つようなワードがあるかもしれない。
ただ、客観的なワードを一つ組み込むべきだと思って、配置だけしておいただけだった。
打ち合わせの席で、やはり、この部分についての話し合いがあった。
ここ、どうしましょうか?と。
今から著名な方のコメントをいただくのはやっぱり難しいんじゃないかという意見とか。
あるいは、誰かの言葉だと・・・例えば、(一般男性)とつけてみるとか。
もしくは、もうまったく別のものに変えてしまおうかという意見もあった。
どうしても残したいという希望はそもそもなくて、変わるだろうと思っていたから、なるほどなぁと聞いていた。
とても自分一人では思いつかない視点の意見は刺激的で、納得のいくものばかりだった。
けれど、最後に、配給担当さんが、このままじゃいけないでしょうか?と一言。
一瞬で、話が止まって、このワードが良いという評価が始まって。
少し驚く自分がいた。
ああ、自分が聞いた瞬間にしびれたあの感覚。
それは嘘じゃなかったんだと、少し別の角度で感動していた。
なぜなら、この言葉は、自分の世代にしかわからない言葉なのかもしれないと思っていたからだ。
今の10代、20代、いや30代だって、この言葉をリアルタイムでは知らないんじゃないだろうか。
試写会のあの時、この言葉を口にした人は40代以上で、自分が共感するワードとして口にしたはずだ。
小野寺さんなら、この表現でわかるよね?という部分もどこかにあったはずで。
だからこそ、このワードでは、映画のPVにそのまま乗せるのは厳しいかなぁと思っていた。
特定の年代にしか理解できないワードは、宣伝に向いていない。
いや、宣伝に向いていても、それはニッチな層に対する宣伝になってしまう。
明確に、マーケティングという意味で、狙っている層が40代男性なら理解できる。
けれど、そういうわけでもなく、様々な年代、性別差なく観て欲しいのだから、変わると思っていたのだ。
「このままじゃいけないでしょうか?」
そう口にした配給担当さんは、完全にリアルタイムの世代ではない。
どこかで聴いたことがあるかもしれないけれど、知らない人だって多い。
そういう人にも、響いた。
映画を観た人が、このワードは合っていると口にした。
これは、実はすごいことなんじゃないかって思った。
最近、とある映画評論家さんの文章を読んだ。
映画に必要なものは「写真には写らない美しさ」ですよ。と回答していた。
ああ!なんてこった!と思った。
そうだ。
映画は動画で、写真じゃない。
動くからこそ、時を刻めるからこそ、写真では収まらない美しさが見えてくる。
ドブネズミの美しさを表現できる。
今日までに何とかと思っていた作業が、仮とは言え、出来た。
一時は厳しいかもなぁと思っていたけれど、どうにかこうにかだ。
まぁ、何かやってれば、あ!あれもあった!と他のことを始めてしまいそうだけれど。
とにかく、自分の中でなんとか今日までにこれは・・という場所までは。
気付けばやけに涼しい夜じゃないか。
明日は夏らしい快晴だという。
ふらりと、どこに出かけよう。
誰よりも優しい 何よりも暖かく
そんな何かを探しに。