稽古から帰宅して珍しくシャットダウンするように動きが止まった。
色々やっていたらこんな時間になってしまった。
稽古場に着くとまず打ち合わせ内容の共有。
ざっくりとイベントや映画の取り扱い、予告編の放送など。
皆、とっても気合が入っている。
前日、下北沢を回ったメンバーもいるのだから当然だ。
それにしても、これは強みなんだよなぁと感じる。
だって、通常の映画であれば撮影が終われば、そこでチームは解散する。
公開に近くになって宣伝部から、連絡が来て初めて役者が久々に顔を合わせる。
それが、自分たちはいつも集まっているメンバーで映画を創ったのだから。
撮影後も、毎週稽古のたびに顔を合わせている。
こんなことをしよう、こんなことが出来る、それぞれに持ち寄ることが出来る。
もちろん、話し合いだけではなくて稽古が始まる。
新しい台本の稽古が終わるといきなり自分の稽古だった。
持ち寄った芝居を見せる。いきなりと思っていなかったからそこは、不意を突かれたけれど。
台本を書いていた時とは違う演出を今思いついたからと、演出があった。
これは役者としてはとってもとっても嬉しい事。
書かれた文字より、そこに役者が立つことで、より意味が強く深くなる。
そこで、予定していた物とは違う演出が生まれるというのは、持ち寄ったものに奥行きがあるからだ。
これからの台本にもフィードバックされていくという事だ。
それを繰り返していくことが、作品をふくよかにしていくことを経験上知っている。
稽古が終わり呑みに行く。
いつもいないメンバーも参加している。
稽古の話をして、セブンガールズの話をしているうちに。
いつの間にか、映画の話になっていった。
スターウォーズを最初に観たのはいつだった。とか。
ベスト・キッドは・・・あれ?ゴッドファーザーっていつの映画なんだ?とか。
それこそ、大昔のアイドル映画だとか。東映まんがまつりとか。
レンタルビデオ屋の人気作品は、VHSテープが伸びていたとか。
一度始まると、止まらなくなっていった。
皆の人生に映画がある。
親と一緒に行った映画。デートで行った映画。一人で行った映画。テレビにで観た映画。
よく行っていた映画館、必ず買ったパンフレット。
カンフー、キョンシー、ヤクザに、グレムリン。太郎二郎。
泣いた映画、笑った映画、その時の記憶。
子供だった自分、学生だった自分、街に出ることにドキドキしていた頃の自分。
それは、人との思い出だったり、その時の自分の悩みであったり。
そういうものを内包している。
しかも、例え小劇場にいるとは言え、全員が役者をやっているのだから。
映画に出るというのは、つまりそういう自分の人生の中の映画の歴史に、自分をスクリーンで観るという新しい歴史を生むことだ。
完成披露試写会で、スクリーンに映った自分を観たことは、一生忘れられない記憶になる。
だって、子供の頃に観た映画の記憶すら、ありありと思い出せるのだから。
いずれ「セブンガールズ」も誰かの歴史になる。
どこかの誰かの、最初に観た映画になるかもしれない。
どこかの誰かが、初デートにセブンガールズを観るかもしれない。
泣くかもしれない。笑うかもしれない。
いつか、何年も経ってから、居酒屋で酒のつまみになるのかもしれない。
だからこそ、一人でも多くの人に届けないとと、思った。
まずは目の前の新宿の一週間が満員御礼となるように。
色々な人に、この映画を知ってもらわないとと思った。
誠実に、嘘がなく、かっこつける必要すらない。
こんな映画、そのまま埋もれてしまえば、そのまま進んでしまうのはわかってる。
劇団が創って、有名人もいなくて、監督だって初の長編で。
誰も知らないまま終わってしまうことが、普通なのだから。
雑草映画なんだから。
雑草なら雑草らしく、例え、泥臭くても、頑張っていくしかないんだから。
観てもらえれば、きっと何かが届く、伝わる。
そういう確信を皆が持っている。
そして、その何かが、きっと誰かの映画の歴史の一部になる。
寂しい気持ちをそっと心の中にしまっている誰かの心をノックする。
その日が来るまで。
やれることを全てやって行こう。