夏の甲子園が終わった。
なんというドラマか!
物語をいとも簡単にスポーツは越えていく。
今、作り手は、常にドキュメンタリーを意識しなくてはいけない時代なのかもしれない。
ドキュメンタリー映画が世界的にブームになりつつあることを言っているわけじゃない。
もちろん、社会派ドキュメンタリーとは、全然違う話だ。
そうじゃなくて、「素」の部分をエンターテイメントに昇華出来るかどうかが、才能と言われたりするようになってることだ。
落ち着いて様々なものを観ていけば分かる。
例えば、バラエティ番組にだって台本はあるけれど、台本からはみ出るものを中心に編集している。
ドッキリなんていうのは、まさにドキュメンタリーそのもので、だまして素の反応を引っ張り出す。
その場その場のアドリブでの対応力こそ求められているものになりつつある。
トーク番組だって、スポーツ中継だって、ドキュメンタリーと言っても間違ってないはずだ。
生で起きたことをクローズアップしていく。
そして、それは、創り込まれた作品であるはずの映画にまで侵食している。
例えば、シナリオにない休憩中もカメラを回して、編集で使ったなんてコメントが出る。
あ!それ言わなくてもいいのに!と、思わず焦ってしまう。
本番中のトラブルをそのまま使用したなんて言葉も意外にあっけらかんと話してしまう。
もちろん、それは悪いことでもなんでもない。
かつての映画の世界では多分ありえなかったんじゃない?というだけの話だ。
偶然、猫が通りかかって、最高の絵になったんだ・・・というような話は、昔からあるけれど。
例えば五社英雄監督とか、偶然の要素があったとしても絶対に口にしなかったと思う。
もしくは、逆に編集で排除していったんじゃないだろうか。
創られたものの中にリアルが入り込む余地なんてないのだから。
けれど、実際に視聴する人の目が、それを求めている。そしてそれが素晴らしいという評価になっている。
監督は、編集という加工の中で、リアルと、リアリズムとの往復が出来るから。
それはそれで、創作なのだと言えるのかもしれない。
ただ役者はそうじゃないんじゃないだろうか?
演技をしていない場所を繋ぎ合わせたのは役者ではなくてドキュメンタリー。
もちろん、そんなことを言いつつも、役者だってフレッシュな反応を求めている。
例えば、アドリブを言うことで、芝居の空気を循環させていくテクニックだってある。
ただ単純にそのアドリブも実は稽古して身につけた技術の一つであって。
隠し撮りや、ドッキリとはやっぱり違うんじゃないだろうか?
そんなことを想像してしまうのだけれど。
意外に、役者は誰もそのことに触れないでいたりもする。
そのぐらいドキュメンタリーというのは既に、全ての表現に入り込んでいる。
伝統芸能はそういうものを排除している。
なにせ、立ち方歩き方振り向き方、セリフの抑揚まで、最初から型が決まっている。
そして、それを繰り返すことで、同じことを常にできる状態まで高めている。
そこにドキュメンタリー的要素なんて欠片もない。
そうなると、今の感覚だと、全てが作り物だと思われてしまうけれど、そうじゃない。
繰り返していけば、その先に、繰り返しの中から生まれてくるリアルを越えたリアリティが出る。
例えば伝統芸能じゃなくても、フィギュアスケートを見ればわかる。
毎回同じ曲、同じ振り付けなのに、ああ!何かがにじみでている!という時が必ずある。
例えば、ピアノのコンクールでもいい。
全員が同じ譜面で同じ課題曲を弾いても、個性がにじみでてくる。
「セブンガールズ」には、実際、偶然の要素はほとんどないんじゃないだろうか?
あったとしても、編集であえてそれを選ぶようなことはしていない。
全てのシーンが何度も繰り返し稽古を重ねて、演じている。
でもね、でもね。
とあるシーンでね。
少なくても自分は相手役の目をずっと見れなくてね。
で、意を決して視線を合わせた瞬間に、泣きだしそうになって。
でも、泣くのをこらえながら芝居を続けたんだよ。
何度も繰り返し稽古をしてきたシーンだよ。
どうなるのかだって、その前もその後も、全部知っているのにだよ。
ぶわっと、感情が揺さぶられて、リアルを越えたリアリティが湧きだした。
そういうのって、絶対にドキュメンタリー的な要素では出てこない表現なんだと思う。
そして、撮影された映像を観て、ちゃんとそれが映ってた。
それは、やっぱり、偶然の要素なんか欠片もない表現なのだと思う。
多分、監督はドキュメンタリー的な要素が、現代において非常に大事なことを、すごく知っている。
実際、普段話していても、稽古場でも、舞台本番でも、大好物だし、あえてそういう要素を足したりもする。
舞台では、お客様を舞台に上げちゃったりすることまで台本に書くしさ。
なのに、この映画ではその手法はまるで禁じているかのように使わなかった。
徹底的に創り込もう!と長い稽古の段階から口にしていた。
面白ければいいよ!といつも口にしている監督がだ。
セブンガールズを観て欲しい。
女優たちの心に浮かぶ、湧き出る思いを感じて欲しい。
その涙に一切の嘘はない。
その笑顔に一切の嘘はない。
創って、なんだったら飽きてしまうほど稽古して、それでもなお湧き出てくるものはリアルを越える。
目の前に生きている。
セブンガールズは、そういう作品だ。