少し涼しい感じがする。
前日までの厳しい猛暑に体が慣れているおかげなだけだ。
実際には気温も、湿度も高い。
今日は涼しいなぁなんて気を抜くとあっという間に脱水症状になったりもする。
実際には体が慣れてきているのではなくて、脳が慣れているだけ。
自律神経は働きまくっている。
自分の体調の変化だけは注意しないといけない。
今は、倒れるわけにはいかないから。
この一週間頭の中でずっと、組み立てている。
パズルのように。
答えを出そう。
出そうと思いながら、今日まで。
気付けば、7月も終わろうとしている。
夏休みも始まっている。
色々と時間がなくなっていくのはわかっているのに。
台風がやって来て、気圧の変化が激しい。
今、近づいているなんて本当だろうか?
まだ風もそんなに強くない。
時々、パラパラと雨が降るだけ。
進路予想が出来ないなんて言う報道もある。
火山が噴火したり、6月に梅雨が明けたり、大雨が降ったり、異常な気温だったり。
地球がおかしくなっているなんて聞くけれど、本当にそうなんだろうか?
どうしても人間の寿命の範囲で考えてしまうけれど。
地球の歴史からすれば、人間なんてまだ生まれて間もない。
1000年はおろか、10000年とか、10万年というスパンで、地球は回っている。
彼にとっては、ほんのまばたきぐらいの期間にちょっと暑くなったからって異常なんだろうか。
地球がおかしく・・・という言葉を耳にすると、ある意味人間のエゴだなぁと思う。
自然の厳しさを肌で感じることが出来なくなっているという方が正しいのではないだろうか?
空を見て、風を感じて、肌で空気の変化を感じて、嵐を予感することが出来なくなっている。
何かを手に入れたことで、生物的な強さを失っているのかもしれないよなぁと思う。
科学は根拠を教えてくれたけれど、根拠の見つからないものを信用できなくなっている。
野良猫と飼い猫だけでも、あんなに変わるのだから、当然、変わっている。
けれど、人は文化的であることを選んだのだと思う。
時に本能的な部分に憧れることもあるけれど。
それも、やっぱり、文化的な中での本能に過ぎないのかもしれない。
最終的に、人は、その一生を詩にしたいのかもしれない。
映画や小説は、それを切り取る。
誰かの人生の詩の一遍になる。
どんなに唯一無二のものだと思っていても、カテゴライズは避けられない。
九州名物や、江戸前料理も、全て、海外に行けば、日本料理になるように。
それを受け取る場面で、どこかのカテゴリーに帰属されてしまう。
セブンガールズは、どんな風にカテゴライズされていくのだろう?
悲劇?喜劇?時代物?反戦?恋愛?極道?
プロモーション的には明確な狙いがあるほど良いような気がするけれど。
自分から見れば、セブンガールズはセブンガールズでしかない。
どんなカテゴリーに属しても、しっくりこないんだろうなぁ。
まだ台風の気配は気圧変化ぐらいだ。
頭がぐわんぐわんする。
文化的に生きることを選んだせいで、センサーが錆びついてる。
なんとなく、頭がなんていう曖昧なことしか言えない。
人間のサイズから見たら、台風の大きさはとんでもない大きさ。そのパワー。
尺度だ。
尺度を見極めるんだ。
俯瞰でもなく、ディテールでもなく。
等身大の感覚に、ふと落ち着く瞬間を狙うんだ。
大きすぎない、小さすぎない。
そのままの大きさの自分。
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