宣伝計画について連絡する。
優先順位と、どこに宣伝をするか。
もちろん、出来ることなんか限られているけれど。
試写会以降、出演者の皆が一人でも多くの人に観て欲しいと口にするようになった。
実際にスクリーンの中にあらわれた「セブンガールズ」は想像を超える力を持っていた。
いや、出演者だけじゃない。
観てくださった方の中には、チラシを複数枚持って帰って、知り合いに配ってくださったという。
知ってる人全員に観て欲しいと、熱く語りかけてくださった方もいらっしゃった。
自分は試写会の舞台挨拶の壇上に登壇しなかったけれど。
逆に、試写会に来てくださった方々ととても近い距離で、鑑賞直後の興奮を受け取ることが出来た。
こういう所に配布したい。
そういうリストを作って、プロデューサーに相談をしたのだけれど。
闇雲に配るわけにはいかない。
なぜなら実際の上映館のK’sシネマさんと提携してチラシを置いている映画館もあるからだ。
配給のSDPさんが、配布する場所もある。
同じ場所にチラシを持っていっても仕方がない。
とは言え、やはり単館系の映画館や、コレクターショップは間違いなく置きに行くべきで。
かぶらないように、確認が必要だった。
電話が来て、やはり、既に配布済みの映画館があると聞く。
どこに配布済みかは、もらえることになった。
これで、配布リストを優先順位を付けて作成することが出来る。
もらってから作業を始めれば十分かなぁ。
とある映画の記事で、公開前のイベントで、実際の役者がロビーでチラシ配布をしたとニュースになっていた。
イベントで映画を観た人に配る時点で、それは余り宣伝として意味がないようにも思えるけれどそうじゃない。
実際に、それが記事になって、広告枠を買わなくても、様々な場所で記事が読まれるようになる。
じゃぁ、なんで記事になるのかといえば、役者がチラシを配るなんてことは、とても珍しいからだ。
役者がチラシを手渡し!というだけで、記事になってしまうのだから。
劇団をずっとやってきた自分にはとても信じられない。
そういえば、先日の試写会の受付にいたら、上映中に某有名落語家さんがチラシを持ってきていた。
意外に、芸人さんだとか、ミュージシャンだとか、多くの人が実際は自分で宣伝だってやっているのだ。
電話口で、プロデューサーから、素晴らしい!と口にした。
実際、大きな様々な場所にチラシを置いたりポスターを貼ったりというのは結局人海戦術になる。
大きな映画であれば、下請けに出したり、若い営業さんにやらせたりするのかもしれない。
けれど宣伝費を多く持てない映画であれば、そこまで非効率な宣伝に時間を使うことは出来ないはずだ。
それを出演者たちが、ちゃんと計画して、宣伝に走ろうとしているのだ。
逆にそんなこと、簡単に出来ないのだ。
記事になるほど珍しいことを、当たり前にやるから、セブンガールズなのだと思う。
今までプロデューサーが関わってきた映画だって、色々なところで宣伝したかったはずだ。
でも、それが簡単じゃなかっただろうことは簡単に想像できる。
劇団をやっていると視野が狭くなる部分がある。
実際に手売りでチケットを売っていることもあって、身近な人に届けたい気持ちが強くなっていく。
友達に、家族に、知り合いに、知っている人たちに向かっての宣伝意識が強くなる。
当たり前のことだけれど、今まで応援してくださった人にこそ、すぐにチラシを渡したくなる。
けれど、それは実は、本末転倒でもある。
友達も、家族も、知り合いも、今まで応援してくださった人たちこそ。
自分たち以外の、他の多くの人に、この映画を知って欲しいと願ってくださっているのだ。
より多くの人が楽しんでくれるように一緒に願ってくださっている。
実は、観に来てくださっている方々の方が圧倒的に視野が広いという、パラドクス。
より多くの人に。まだ知らない人に。面白い映画を探している人に。いつも新宿にいる人に。
その中にもきっと、この映画と出会うべき人がきっといる。
そういう視点をもっともっと大事に、狭くならないように意識しないといけない。
特にプロデューサーと打ち合わせたり、監督やトオルさんと話していればそういう意識が強くなる。
電話の中で、本予告の話になった。
実際に映画館で流れる予告編映像だ。
実は、これまでアップしたPVを製作する前にプロトタイプを創ってある。
これを土台に、もう一度、イチから考えることになる。
納期を確認して、尺を確認して、目指す内容を確認する。
直接ミーティングするか、作成してから連絡を取り合うか。
すでにプロデューサーは、仕事のレスポンスを信用してくださっている。
とにかく製作して、それを確認しながら連絡を取り合う方が良いという方向になった。
基本的な部分は、すでにしっかりと軸としてミーティング済みだから出来ることだ。
YouTubeにアップされている多くの邦画の予告編を見まくる。
何十本も観ていたら、こんな時間になってしまった。
どれも面白いし、少しショックを与えるような映像だったりもする。
テクニカルな意味で言えば、実はそんなに多くは変わっていない。
PVで使ったテクニックは、ほぼ予告編の基礎となるテクニックばかりだ。
テロップを出したり、音楽を流したり止めたり、アクセントとリズム感。
冷静な目で、じゃぁ、どの映画が一番見たくなるのかを、探し続けた。
もちろん、恐らく一緒に流れるであろう、同時期に上映される同じ映画館の予告編は何度も繰り返し観た。
今、K’sシネマでは、空前のヒット作品があって、延長上演が決まったからその前に流れるかもしれない。
その時に、並ぶわけだから、空気感やリズムがかぶらない方がいいに決まっている。
大昔の作品の予告編も100秒が基本なんだなぁ。
五社英雄監督だったり、大島渚監督作品だったり、ヤクザ映画の予告編だったり。
不思議と今の映画よりもエキセントリックじゃないけれど、質感がウェットに感じた。
現在の映画は、とっても乾いているんだなぁ。
それが時代の要請なのだとすれば、きっと、そういう事なのだと思う。
ギトギトな予告編も、それはそれでとっても良いのだけれど、現代にはそぐわないんだろうなぁ。
乾いた映像か。
だから、エキセントリックな場面が必要なんだろうな。
この映画に、愛を注ぐのだ。
宣伝だって、誰もが出来ない宣伝が出来る。
予告編だって、この映画を愛しているからこその予告が創れる。
実は、どんな映画よりも贅沢なのかもしれないよ。
暑い日が続く。
40度なんで信じられない。
体温を越えたら、それは危険という事だ。
こんな暑い中、皆は一緒にチラシをまきに行ってくれる。
そう言ってくれている。
世界を観るのだ。
この世界を。
セブンガールズを待っている人がきっといる。