2018年07月17日

ここで野垂れ死ぬのか、それとも生きるのか、自分で決めな!

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チラシの裏面。下の白い部分が、言わゆる白帯の部分。
ここが、映画館によって変わったり、あるいは真っ白のままで映画館のハンコが押される。
いくつもの上映館が決まっている場合は、白帯のままの方が多いのだろうか?
映画館のポスターをみても、基本的に上映情報は書かれていない。
ラベルシールが貼られていて、そこに上映日や映画館の名前が記載されている。
常設してあるポスターを貼る場所には、大抵、掲示板そのものに映画館名が記載されていたりする。

赤字に白のタイトルロゴ。
表面と対象にしてある。
赤字は膨張色。暖色。血肉の色。
仮チラシは舞台と兼用だったけれど、映画単独では、ロゴイメージを裏面にそのまま反映させた。

昔、自分が映画のチラシが好きで、舞台のチラシの参考に集めていた時期は、ほぼ裏面は白黒だった。
マイナーな映画や、単館の外国映画、名画座のチラシなんかは入手しづらくて、わざわざ取りに行った記憶がある。
あの頃は大抵が裏面は単色で、それぞれに工夫がされていた。
何人もの推薦文がみっちり書かれているようなチラシもあって、読み物としても面白かった。
理由は多分シンプルで、データ入稿になり印刷技術が向上して、実は裏面カラーでも値段がさして変わらなくなった。
今回頼んだ印刷屋さんも、同じ枚数を表4色裏1色と、表4色裏1色で、値段が同じだった。
昔は両面カラーなんて、かなり贅沢な挑戦だったけれど、今は変わらない。
さすがに片面印刷であれば、少し安くなるけれど、チラシで片面というのは少ない。

プロデューサーからもらったサンプルのチラシと、自分で集めたりしたチラシとの情報を見て。
今のトレンドは、裏面に、実際の映像を切り出した画像と、あらすじ、そしてキャプションで構成されていた。
キャプションは客観的な視点による、映画の見所の紹介。
今、映画館でチラシを手にすれば、ほとんどがこの形式で、それを工夫して並べている。
縦書きだったり、横書きだったり、映画に見合ったデザインにしている。
カラーになった分、ビジュアル面でのデザインや映画イメージが重要になった。
逆に言えば、文字情報が多くても、それほど読んでもらえなくなったのかもしれない。
何故かと言えば、詳しい情報は、スマフォやPC経由で、WEBでの確認が中心になったからだ。
文字情報をチラシにみっちり書いて読まれないよりも、WEBやSNSに誘導した方が良いという事。

よくあるキャプションは・・・。
○○という映画を撮影し大絶賛を受けた○○監督の最新作は・・・から始まって。
出演は、○○で大好評だった今もっとも注目されている○○とか。
原作は、コアなファンを持ち、今も大人気の○○。
●●年の歳月をかけ、ついに完成した。
みたいな、とても本人だったら恥ずかしくて書けないほど、作品を持ち上げまくっているやつだ。
本当に信じられないほど、殆どの作品が有名無名に関わらず同じようなことを書いている。
大絶賛されていようがいまいが、注目されていようがいまいが、コアなファンがいるいないに関わらずだ。
掲載しなくてはいけない情報がいくつかあって、それをキャプションとして一つの文章にまとめると似てしまうのかもしれない。
実は書いているのは全部同じライターさんなんじゃないか?って思うような文章。
限られた文字数の中で、情報を詰め込んでいるのだから仕方ないと言えば仕方ないけれど。

「セブンガールズ」は、おかげさまで、そういう冠情報があまりない。
あっても、監督の連載していた漫画「かぶく者」や「泣きめし今日子」なんだけれど、それも書かれていない。
シンプルにこの映画を人に薦めるなら・・・という視点だけの文章になっている。
ちょっと、面白い映画が出来ちゃってるぜって言う文章は、意外に少ない。
これが、面白いものを探している人、面白い映画を探している層に届けばなぁ・・と思っている。
昔のマイナー映画で、シベリア超特急というシリーズがあったのだけれど。
文芸坐だか名画座でチラシを手にした時は驚いたんだよなぁ。
やけにエキセントリックで、書かれている文章も興味深いもので、確か4コマ漫画が描かれていた記憶がある。
白黒印刷の中で、工夫に工夫を重ねすぎちゃったみたいなのだった。
あれは、確実にファンを増やしていったはずだなぁ。
それほど、かっこつけていないのも、またとってもかっこよかった。
今回書かれた文章は、こういう感じで!と思っていた物にとても近くて、必要な情報もあって、とっても気に入っている。
あ、なんか、面白そうだぞ。と感じてもらえるようなワクワクした内容になっている。

そして、あらすじ、キャプション、それぞれの表題には、劇中のセリフをピックアップしてある。
それ以外に大枠組みでもキャッチのように、セリフを一つ。
全部で、劇中のセリフを3つ配置してある。
実はセリフは本当に数え上げたらきりがないほど、素晴らしいセリフが多い。
演じている役者はひょっとしたら気付いていないんじゃないかって言うセリフもある。
その中からむしろ、消去法で選んでいった。
例えば関西弁のセリフは、やっぱりこういう場所には似合わないかもなぁと外したりもした。
関西が舞台の映画に見えてしまうというだけで、消去法で消えていった。
PVの「パンパン小屋の女たち」は、名台詞集のようなもので、最後に浮かび上がるテロップもそうだったりする。
消去法で選択しながら、結果的に、ダブルミーニングになるようなセリフのピックアップになった。

「ここで野垂れ死ぬのか、それとも生きるのか、自分で決めな!」

大枠で選んだセリフは、映画の中の登場人物たちのことでもありながら。
とてつもない山を登ることを選択した自分たちのことでもある。
自分で決めて、自分たちで映画を製作していくその覚悟でもある。
他の二つも同じように、製作した自分たちと、パンパン小屋の女たちの、両方にかかったセリフだ。
偶然そうなったわけじゃないはずだ。
監督がシナリオを書いている中で、意図的に仕掛けてあるセリフだ。

このセリフは刺さるなぁと、おいらは思っている。
逆を言えば、このセリフが刺さらない人には、セブンガールズの本当の良さなんかわかるのかよ!とさえ思う。
作家が魂を込めて、何度も書き直して、産み出したセリフほど力強く深い意味を内包しているものはない。
まぁ、それは言い過ぎとしても、このセリフで、ピンとくる人は絶対にいると思っている。

経済的に恵まれていて、先進国の仲間入りを果たしている現代の日本。
スラムと呼ばれる地帯が、もっとも少ない国と言われている日本。
そこでは、中々、こういう最低の場所からの作品は生まれづらい。
是枝監督が、そういう作品を製作して、カンヌを受賞したのも、何かの時代の風潮なのかもしれない。
一見の感じは豊かでも、どこかで差が生まれて、精神的な貧しさに苦しんでいる人も生まれている。
心のどこかに、穴が空いているような、そんな感覚を抱えている人は少なくないはずだ。
彼ら彼女らも、今、平和な時代を戦っている。
きっと、そんな人の心に、ストンと刺さる、そういうセリフをチョイス出来ているはずだと思っている。

今年の邦画は豊作だ。
そういわれる作品群の一つになれたらなぁ。
セブンガールズは、充分その可能性がある映画だと信じている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:41| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする