稽古場に向かう。
完成披露試写会の準備。
試写会までもう時間が限られている。
全員で話を出来る機会は限られている。
集合時間、スケジュールの確認、当日の動き。
伝えることは山のようにある。
わからないことは質問してくれとお願いする。
少しギャップがある。
このギャップはきっと試写会が終わるまで埋まらないかもしれない。
ひょっとしたら、終わっても埋まらないのかもしれない。
監督と話す。
いよいよ、関係者ではない人々に映画を観てもらうという微かな緊張感。
自分にそれがあるという事は、その数倍も数十倍も監督にはある。
舞台だったら、役者がやっていることですと言えることも。
映画では、編集まで全て監督責任だ。
ここは面白がってくれるはずだ、ここは切ないはずだ、そう思って製作しているけれど。
実際の会場でどんな反応なのかは、まったくわからない。
よく舞台は水物なんていう。
同じ作品でも日程で、お客様の反応が大きく違う。
それこそ、毎日毎日、例えば笑い声が上がる場所が変わったりする。
生で演じているのだから、どうしても誤差が生まれてくるし、それは理解できる。
でも、実は映画も、同じことが起きる。
観ているお客様の層であるとか、時間帯であるとか、その日の天気、湿度、気圧。
映画は当然同じものを流しているのに、状況が変わる。
だから、毎回反応が違うという事が普通にある。
それは、面白いことだなぁと思う。
だから、そんなに気にする必要もないさと、考えそうなものだ。
ものだけれど、そうはいかない。
なんせ、初めてなのだから。
ギャップがあるのは当たり前か・・・。
対社会と言ってもいい。
身内や、友達にも、もちろん映画を楽しんで頂きたい。
でも、対社会なのだ。
とにかく、頭が痛くなるまでキャッチコピーをひねりだすのも、全て、対社会だ。
社会に向かって、公に向かって、映画を発表する。その感覚だ。
そこをきちんと見据えることも、ある意味、身内や友達への恩返しになる。
泣いても笑ってもその日はやってくる。
帰宅して、軽く作業。
そうか。スペインまでも・・・。
盛り上がってるじゃないか。
さすがに今日は限界かなあ。
休むことにしよう。