2018年07月19日

宣伝計画

宣伝計画について連絡する。
優先順位と、どこに宣伝をするか。
もちろん、出来ることなんか限られているけれど。

試写会以降、出演者の皆が一人でも多くの人に観て欲しいと口にするようになった。
実際にスクリーンの中にあらわれた「セブンガールズ」は想像を超える力を持っていた。
いや、出演者だけじゃない。
観てくださった方の中には、チラシを複数枚持って帰って、知り合いに配ってくださったという。
知ってる人全員に観て欲しいと、熱く語りかけてくださった方もいらっしゃった。
自分は試写会の舞台挨拶の壇上に登壇しなかったけれど。
逆に、試写会に来てくださった方々ととても近い距離で、鑑賞直後の興奮を受け取ることが出来た。

こういう所に配布したい。
そういうリストを作って、プロデューサーに相談をしたのだけれど。
闇雲に配るわけにはいかない。
なぜなら実際の上映館のK’sシネマさんと提携してチラシを置いている映画館もあるからだ。
配給のSDPさんが、配布する場所もある。
同じ場所にチラシを持っていっても仕方がない。
とは言え、やはり単館系の映画館や、コレクターショップは間違いなく置きに行くべきで。
かぶらないように、確認が必要だった。

電話が来て、やはり、既に配布済みの映画館があると聞く。
どこに配布済みかは、もらえることになった。
これで、配布リストを優先順位を付けて作成することが出来る。
もらってから作業を始めれば十分かなぁ。

とある映画の記事で、公開前のイベントで、実際の役者がロビーでチラシ配布をしたとニュースになっていた。
イベントで映画を観た人に配る時点で、それは余り宣伝として意味がないようにも思えるけれどそうじゃない。
実際に、それが記事になって、広告枠を買わなくても、様々な場所で記事が読まれるようになる。
じゃぁ、なんで記事になるのかといえば、役者がチラシを配るなんてことは、とても珍しいからだ。
役者がチラシを手渡し!というだけで、記事になってしまうのだから。
劇団をずっとやってきた自分にはとても信じられない。
そういえば、先日の試写会の受付にいたら、上映中に某有名落語家さんがチラシを持ってきていた。
意外に、芸人さんだとか、ミュージシャンだとか、多くの人が実際は自分で宣伝だってやっているのだ。

電話口で、プロデューサーから、素晴らしい!と口にした。
実際、大きな様々な場所にチラシを置いたりポスターを貼ったりというのは結局人海戦術になる。
大きな映画であれば、下請けに出したり、若い営業さんにやらせたりするのかもしれない。
けれど宣伝費を多く持てない映画であれば、そこまで非効率な宣伝に時間を使うことは出来ないはずだ。
それを出演者たちが、ちゃんと計画して、宣伝に走ろうとしているのだ。
逆にそんなこと、簡単に出来ないのだ。
記事になるほど珍しいことを、当たり前にやるから、セブンガールズなのだと思う。
今までプロデューサーが関わってきた映画だって、色々なところで宣伝したかったはずだ。
でも、それが簡単じゃなかっただろうことは簡単に想像できる。

劇団をやっていると視野が狭くなる部分がある。
実際に手売りでチケットを売っていることもあって、身近な人に届けたい気持ちが強くなっていく。
友達に、家族に、知り合いに、知っている人たちに向かっての宣伝意識が強くなる。
当たり前のことだけれど、今まで応援してくださった人にこそ、すぐにチラシを渡したくなる。
けれど、それは実は、本末転倒でもある。
友達も、家族も、知り合いも、今まで応援してくださった人たちこそ。
自分たち以外の、他の多くの人に、この映画を知って欲しいと願ってくださっているのだ。
より多くの人が楽しんでくれるように一緒に願ってくださっている。
実は、観に来てくださっている方々の方が圧倒的に視野が広いという、パラドクス。
より多くの人に。まだ知らない人に。面白い映画を探している人に。いつも新宿にいる人に。
その中にもきっと、この映画と出会うべき人がきっといる。
そういう視点をもっともっと大事に、狭くならないように意識しないといけない。
特にプロデューサーと打ち合わせたり、監督やトオルさんと話していればそういう意識が強くなる。

電話の中で、本予告の話になった。
実際に映画館で流れる予告編映像だ。
実は、これまでアップしたPVを製作する前にプロトタイプを創ってある。
これを土台に、もう一度、イチから考えることになる。
納期を確認して、尺を確認して、目指す内容を確認する。
直接ミーティングするか、作成してから連絡を取り合うか。
すでにプロデューサーは、仕事のレスポンスを信用してくださっている。
とにかく製作して、それを確認しながら連絡を取り合う方が良いという方向になった。
基本的な部分は、すでにしっかりと軸としてミーティング済みだから出来ることだ。

YouTubeにアップされている多くの邦画の予告編を見まくる。
何十本も観ていたら、こんな時間になってしまった。
どれも面白いし、少しショックを与えるような映像だったりもする。
テクニカルな意味で言えば、実はそんなに多くは変わっていない。
PVで使ったテクニックは、ほぼ予告編の基礎となるテクニックばかりだ。
テロップを出したり、音楽を流したり止めたり、アクセントとリズム感。
冷静な目で、じゃぁ、どの映画が一番見たくなるのかを、探し続けた。
もちろん、恐らく一緒に流れるであろう、同時期に上映される同じ映画館の予告編は何度も繰り返し観た。
今、K’sシネマでは、空前のヒット作品があって、延長上演が決まったからその前に流れるかもしれない。
その時に、並ぶわけだから、空気感やリズムがかぶらない方がいいに決まっている。

大昔の作品の予告編も100秒が基本なんだなぁ。
五社英雄監督だったり、大島渚監督作品だったり、ヤクザ映画の予告編だったり。
不思議と今の映画よりもエキセントリックじゃないけれど、質感がウェットに感じた。
現在の映画は、とっても乾いているんだなぁ。
それが時代の要請なのだとすれば、きっと、そういう事なのだと思う。
ギトギトな予告編も、それはそれでとっても良いのだけれど、現代にはそぐわないんだろうなぁ。
乾いた映像か。
だから、エキセントリックな場面が必要なんだろうな。

この映画に、愛を注ぐのだ。
宣伝だって、誰もが出来ない宣伝が出来る。
予告編だって、この映画を愛しているからこその予告が創れる。
実は、どんな映画よりも贅沢なのかもしれないよ。

暑い日が続く。
40度なんで信じられない。
体温を越えたら、それは危険という事だ。
こんな暑い中、皆は一緒にチラシをまきに行ってくれる。
そう言ってくれている。

世界を観るのだ。
この世界を。

セブンガールズを待っている人がきっといる。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:31| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月18日

やがて背景にだってなれるもの

SG_poster_iromihon.jpg
これが本ポスターの色見本。JPGだから圧縮されていて小さいけれど。
基本的にはチラシの表面とそう大きな違いはない。
メインビジュアルは、統一されていた方がキャッチーで、記憶に残る。
だから、同じ写真を使用している。
8人の女に、セブンガールズのタイトル。
それぞれのキャラクターが透けて見えるような写真。
ちなみに、この画像は色見本で、塗り足し部分までだから、本来印刷されない屋根の部分まで写っている。
トンボと呼ばれる、基準線が書かれていて、そこでカットしてポスターサイズになる。

ポスターとチラシの大きな違いは二つ。
当たり前だけれど、まず大きさ。チラシとは違う大きさがある。貼られるものだから目線の位置も違う。
そして、やはりこれも当たり前だけれど、片面印刷だという事。貼る以上、裏面に何を印刷しても意味がない。

とは言え、基本的に映画のポスターはビジュアルメインで、情報量は少ないのがどうやら普通だ。
映画館のそばに貼ってあって、上映日や上映館は、別枠で貼っていたりする。
それと、昔からなぜか決まっているらしいことで、映画のポスターは非売品なのだそうだ。
基本的に売るものではなくて、あくまでも、宣伝用のもの。
だからこそコレクターが集めたわけだし、上映期間が終わってから、ようやくコレクターショップに並んだりする。
最近は、前売り券の特典だったり、物販物の特典になることもあるようだけれど、基本は非買なのだそうだ。
明確な理由まではわからないけれど。
だから、例えば「仁義なき戦い」の初号ポスターなんて持っていたら、今や高値で取引される。
ポスター販売を最初から計画していたとしたら、デザイナーにはどのぐらいロイヤリティが入るのだろう?
考えてみれば、映画ポスターは美術品と認識している人も大勢いるわけで、デザイナーコレクションでもあるのだ。
その辺も実は関係しているのかもしれない。

昔、時計仕掛けのオレンジのポスターが欲しくてしょうがなかったことがある。
デザインがなんというか、好きだった。
あのポスターのタイトルロゴも、確かこの位置だったと思う。
映画館のそばに、コレクターショップがあって、よく新宿のさくらや裏の店に行って探してた。
伝統的な邦画のポスターは縦書きのタイトルを右側に、赤でというのが多い。
横書きだったら上部だ。
K’sシネマになる前の昭和館は、いつもヤクザ映画をやっていて。
あそこで初めて高倉健さんの唐獅子牡丹のポスターを観た時は、かっこいいなぁと見惚れた記憶がある。

印刷物は、基本的に高解像度じゃないと、綺麗に出力されないと言われるけれど。
ポスターの場合は、二分の一ぐらいの解像度でも問題ないと言われる。
大きく引き伸ばしているから、近くで観るものじゃないからだ。
その代わり、その大きさに則したデザインが優先される。
例えばキャッチコピーは、大きすぎるぐらいの文字でちょうどいい。
遠くから見て読めるぐらいじゃないと、ポスターの場合はあまり意味がないからだ。
選挙ポスターを思い出せば、その文字の大きさをすぐに理解できると思う。

視点の問題もある。
通常ポスターが貼られる位置は、目線よりも少し上だったりする。
町内会の掲示板のような高さに貼る場合もなくはないのだけれど、一番多いのは少し高い位置だ。
非売品だから持っていかれちゃうことなんかもあるのかもしれない。
だから、タイトルは、下部の方が良いんじゃないかというのが最近のトレンドでもある。

ポスターの仕上げは、だから、すごく縮小してモニターで確認するようにしている。
小さく表示された状態で、タイトルとビジュアルとキャッチが認識できるかどうか。
今回のメインビジュアルのとても良い所は、小さく表示すると、女性が数人写っていることがすぐにわかることだ。
近くに行って、それが誰なのか、どんな女性なのか確認したくなる。
もちろん、街の中の風景に溶け込んで、貼られてからじゃないと実際のことはわからないのだけれど。

女たちの衣装がカラフルだからこそ。
色の配分をシンプルに出来る。
それもとても良かったなぁと思う。

試写会でポスターを貼って。
皆、ポスターをじぃっと見ていたけれど。
それは、セブンガールズを知っている人の見方だ。
現実的に言えば、セブンガールズを知らない人が、パッ!と見て、印象に残る。
それも、近くからじゃなくて、少し離れたところから。
そういう効果がないと意味がないという事だ。
まぁ、自分もどうしても近くで色々確認してしまうのだけれど。

それにしても・・・
映画のポスターがある。
ということが、まず嬉しい。
舞台でもポスターを創ったけれど、それとはやっぱり違う。
どこかが違う。

試写会に来てくださった方が。
ポスターやチラシを、好きだと言ってくださった。
自分も好きだった映画のチラシやポスターがあって。
それを思い出すと、なんというか、かつての自分の持っていた憧れに、触れてくる。

映画館はもちろん。
都内各所に貼ってもらう予定だ。
上映館も上映期間も記載されていないのだから宣伝というのとは少しずれてしまうかもしれない。
気になってくれる人が、一人でも増えたらなぁという希望に近い。

もしも、見かけたら、皆様、教えてくださいませ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:12| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月17日

ここで野垂れ死ぬのか、それとも生きるのか、自分で決めな!

ura_iromihon.jpg
チラシの裏面。下の白い部分が、言わゆる白帯の部分。
ここが、映画館によって変わったり、あるいは真っ白のままで映画館のハンコが押される。
いくつもの上映館が決まっている場合は、白帯のままの方が多いのだろうか?
映画館のポスターをみても、基本的に上映情報は書かれていない。
ラベルシールが貼られていて、そこに上映日や映画館の名前が記載されている。
常設してあるポスターを貼る場所には、大抵、掲示板そのものに映画館名が記載されていたりする。

赤字に白のタイトルロゴ。
表面と対象にしてある。
赤字は膨張色。暖色。血肉の色。
仮チラシは舞台と兼用だったけれど、映画単独では、ロゴイメージを裏面にそのまま反映させた。

昔、自分が映画のチラシが好きで、舞台のチラシの参考に集めていた時期は、ほぼ裏面は白黒だった。
マイナーな映画や、単館の外国映画、名画座のチラシなんかは入手しづらくて、わざわざ取りに行った記憶がある。
あの頃は大抵が裏面は単色で、それぞれに工夫がされていた。
何人もの推薦文がみっちり書かれているようなチラシもあって、読み物としても面白かった。
理由は多分シンプルで、データ入稿になり印刷技術が向上して、実は裏面カラーでも値段がさして変わらなくなった。
今回頼んだ印刷屋さんも、同じ枚数を表4色裏1色と、表4色裏1色で、値段が同じだった。
昔は両面カラーなんて、かなり贅沢な挑戦だったけれど、今は変わらない。
さすがに片面印刷であれば、少し安くなるけれど、チラシで片面というのは少ない。

プロデューサーからもらったサンプルのチラシと、自分で集めたりしたチラシとの情報を見て。
今のトレンドは、裏面に、実際の映像を切り出した画像と、あらすじ、そしてキャプションで構成されていた。
キャプションは客観的な視点による、映画の見所の紹介。
今、映画館でチラシを手にすれば、ほとんどがこの形式で、それを工夫して並べている。
縦書きだったり、横書きだったり、映画に見合ったデザインにしている。
カラーになった分、ビジュアル面でのデザインや映画イメージが重要になった。
逆に言えば、文字情報が多くても、それほど読んでもらえなくなったのかもしれない。
何故かと言えば、詳しい情報は、スマフォやPC経由で、WEBでの確認が中心になったからだ。
文字情報をチラシにみっちり書いて読まれないよりも、WEBやSNSに誘導した方が良いという事。

よくあるキャプションは・・・。
○○という映画を撮影し大絶賛を受けた○○監督の最新作は・・・から始まって。
出演は、○○で大好評だった今もっとも注目されている○○とか。
原作は、コアなファンを持ち、今も大人気の○○。
●●年の歳月をかけ、ついに完成した。
みたいな、とても本人だったら恥ずかしくて書けないほど、作品を持ち上げまくっているやつだ。
本当に信じられないほど、殆どの作品が有名無名に関わらず同じようなことを書いている。
大絶賛されていようがいまいが、注目されていようがいまいが、コアなファンがいるいないに関わらずだ。
掲載しなくてはいけない情報がいくつかあって、それをキャプションとして一つの文章にまとめると似てしまうのかもしれない。
実は書いているのは全部同じライターさんなんじゃないか?って思うような文章。
限られた文字数の中で、情報を詰め込んでいるのだから仕方ないと言えば仕方ないけれど。

「セブンガールズ」は、おかげさまで、そういう冠情報があまりない。
あっても、監督の連載していた漫画「かぶく者」や「泣きめし今日子」なんだけれど、それも書かれていない。
シンプルにこの映画を人に薦めるなら・・・という視点だけの文章になっている。
ちょっと、面白い映画が出来ちゃってるぜって言う文章は、意外に少ない。
これが、面白いものを探している人、面白い映画を探している層に届けばなぁ・・と思っている。
昔のマイナー映画で、シベリア超特急というシリーズがあったのだけれど。
文芸坐だか名画座でチラシを手にした時は驚いたんだよなぁ。
やけにエキセントリックで、書かれている文章も興味深いもので、確か4コマ漫画が描かれていた記憶がある。
白黒印刷の中で、工夫に工夫を重ねすぎちゃったみたいなのだった。
あれは、確実にファンを増やしていったはずだなぁ。
それほど、かっこつけていないのも、またとってもかっこよかった。
今回書かれた文章は、こういう感じで!と思っていた物にとても近くて、必要な情報もあって、とっても気に入っている。
あ、なんか、面白そうだぞ。と感じてもらえるようなワクワクした内容になっている。

そして、あらすじ、キャプション、それぞれの表題には、劇中のセリフをピックアップしてある。
それ以外に大枠組みでもキャッチのように、セリフを一つ。
全部で、劇中のセリフを3つ配置してある。
実はセリフは本当に数え上げたらきりがないほど、素晴らしいセリフが多い。
演じている役者はひょっとしたら気付いていないんじゃないかって言うセリフもある。
その中からむしろ、消去法で選んでいった。
例えば関西弁のセリフは、やっぱりこういう場所には似合わないかもなぁと外したりもした。
関西が舞台の映画に見えてしまうというだけで、消去法で消えていった。
PVの「パンパン小屋の女たち」は、名台詞集のようなもので、最後に浮かび上がるテロップもそうだったりする。
消去法で選択しながら、結果的に、ダブルミーニングになるようなセリフのピックアップになった。

「ここで野垂れ死ぬのか、それとも生きるのか、自分で決めな!」

大枠で選んだセリフは、映画の中の登場人物たちのことでもありながら。
とてつもない山を登ることを選択した自分たちのことでもある。
自分で決めて、自分たちで映画を製作していくその覚悟でもある。
他の二つも同じように、製作した自分たちと、パンパン小屋の女たちの、両方にかかったセリフだ。
偶然そうなったわけじゃないはずだ。
監督がシナリオを書いている中で、意図的に仕掛けてあるセリフだ。

このセリフは刺さるなぁと、おいらは思っている。
逆を言えば、このセリフが刺さらない人には、セブンガールズの本当の良さなんかわかるのかよ!とさえ思う。
作家が魂を込めて、何度も書き直して、産み出したセリフほど力強く深い意味を内包しているものはない。
まぁ、それは言い過ぎとしても、このセリフで、ピンとくる人は絶対にいると思っている。

経済的に恵まれていて、先進国の仲間入りを果たしている現代の日本。
スラムと呼ばれる地帯が、もっとも少ない国と言われている日本。
そこでは、中々、こういう最低の場所からの作品は生まれづらい。
是枝監督が、そういう作品を製作して、カンヌを受賞したのも、何かの時代の風潮なのかもしれない。
一見の感じは豊かでも、どこかで差が生まれて、精神的な貧しさに苦しんでいる人も生まれている。
心のどこかに、穴が空いているような、そんな感覚を抱えている人は少なくないはずだ。
彼ら彼女らも、今、平和な時代を戦っている。
きっと、そんな人の心に、ストンと刺さる、そういうセリフをチョイス出来ているはずだと思っている。

今年の邦画は豊作だ。
そういわれる作品群の一つになれたらなぁ。
セブンガールズは、充分その可能性がある映画だと信じている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:41| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする