2018年07月28日

ちょっとだけ背伸びしたぐらいの方が良いかもしれないけれど

少し涼しい感じがする。
前日までの厳しい猛暑に体が慣れているおかげなだけだ。
実際には気温も、湿度も高い。
今日は涼しいなぁなんて気を抜くとあっという間に脱水症状になったりもする。
実際には体が慣れてきているのではなくて、脳が慣れているだけ。
自律神経は働きまくっている。
自分の体調の変化だけは注意しないといけない。
今は、倒れるわけにはいかないから。

この一週間頭の中でずっと、組み立てている。
パズルのように。
答えを出そう。
出そうと思いながら、今日まで。
気付けば、7月も終わろうとしている。
夏休みも始まっている。
色々と時間がなくなっていくのはわかっているのに。

台風がやって来て、気圧の変化が激しい。
今、近づいているなんて本当だろうか?
まだ風もそんなに強くない。
時々、パラパラと雨が降るだけ。
進路予想が出来ないなんて言う報道もある。

火山が噴火したり、6月に梅雨が明けたり、大雨が降ったり、異常な気温だったり。
地球がおかしくなっているなんて聞くけれど、本当にそうなんだろうか?
どうしても人間の寿命の範囲で考えてしまうけれど。
地球の歴史からすれば、人間なんてまだ生まれて間もない。
1000年はおろか、10000年とか、10万年というスパンで、地球は回っている。
彼にとっては、ほんのまばたきぐらいの期間にちょっと暑くなったからって異常なんだろうか。
地球がおかしく・・・という言葉を耳にすると、ある意味人間のエゴだなぁと思う。
自然の厳しさを肌で感じることが出来なくなっているという方が正しいのではないだろうか?
空を見て、風を感じて、肌で空気の変化を感じて、嵐を予感することが出来なくなっている。
何かを手に入れたことで、生物的な強さを失っているのかもしれないよなぁと思う。
科学は根拠を教えてくれたけれど、根拠の見つからないものを信用できなくなっている。
野良猫と飼い猫だけでも、あんなに変わるのだから、当然、変わっている。

けれど、人は文化的であることを選んだのだと思う。
時に本能的な部分に憧れることもあるけれど。
それも、やっぱり、文化的な中での本能に過ぎないのかもしれない。
最終的に、人は、その一生を詩にしたいのかもしれない。
映画や小説は、それを切り取る。
誰かの人生の詩の一遍になる。

どんなに唯一無二のものだと思っていても、カテゴライズは避けられない。
九州名物や、江戸前料理も、全て、海外に行けば、日本料理になるように。
それを受け取る場面で、どこかのカテゴリーに帰属されてしまう。
セブンガールズは、どんな風にカテゴライズされていくのだろう?
悲劇?喜劇?時代物?反戦?恋愛?極道?
プロモーション的には明確な狙いがあるほど良いような気がするけれど。
自分から見れば、セブンガールズはセブンガールズでしかない。
どんなカテゴリーに属しても、しっくりこないんだろうなぁ。

まだ台風の気配は気圧変化ぐらいだ。
頭がぐわんぐわんする。
文化的に生きることを選んだせいで、センサーが錆びついてる。
なんとなく、頭がなんていう曖昧なことしか言えない。
人間のサイズから見たら、台風の大きさはとんでもない大きさ。そのパワー。

尺度だ。
尺度を見極めるんだ。
俯瞰でもなく、ディテールでもなく。
等身大の感覚に、ふと落ち着く瞬間を狙うんだ。
大きすぎない、小さすぎない。

そのままの大きさの自分。

2
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 12:29| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月27日

楽しそうな奴ら

セブンガールズの公式Instagramのフォロワーがあっという間に500人を超えた。
中々素晴らしいペースだなぁ・・・。
フォロワーを金銭で買っていたり、業者にお願いしたり、自動アプリケーションを使用したりもあるらしいけれど。
自分たちはアナログに出演者たち何人かで管理運営している。
順調に進んでいるのは、それぞれがきちんと役割分担出来ているからだと思う。
実際、誰もが知っているような俳優が出ている映画でもフォロワーが少ないこともあるのだから。
フォローしてくださる方が増えれば、それだけおすすめに表示される確率が上がるし、公開までどこまで伸びるかなぁ。
これを機械にInstagramを始めた方もいらっしゃるそうで・・・。
なんというか、とてもありがたい。
写真を楽しんでもらったり、時にはコメントで交流したり。
作品と皆様を繋ぐ架け橋の一つであれたらなぁと強く願っています。
1日1枚、オフショットや撮影風景、並ぶと中々面白い写真たちが多いのも良かった。

Twitterも、ふと見たらいつの間にか、セブンガールズ仕様にしている役者がいて。
プロフィールに記載していたり、写真をHPの写真に切り替えていたり。
色々な形で発信出来ているのは、素晴らしい。
皆で、公開まで盛り上げていこうという機運が高まっていることを強く感じる。
Twitterでしか出来ないことがたくさんあるなぁと感じる。
世の中の公式アカウントは、ほとんど、情報発信のみだ。
いいねと、リツイートと、情報の告知をメインとする。
あまり、コメントもつけないのが普通のようだけれど。
公式のわりに、コメントを付けたり、突然呟いたり、やっぱり繋がりやすい進み方をしたいなぁ。
SNSが本来持つ部分を大事にしたい。
こ、こんなつぶやきがいきなり・・・みたいなのもあるかもしれない。

自分は自分にしか出来ないことを淡々と一つずつ積み上げていくしかない。
今は、最後の直しと、公開の翌週に上演する舞台の準備と、本予告。
そこに集中しながらだ。
大量にタスクはたまっているし、いつでもガンガン進めるわけではないけれど。
やると決めたら効率よくどんどん進めるようにしないとだ。

いくつか公式HPの直しを今日はして、SNSの直しなども少しずつしておいた。
まぁ、あまり気付かれることもないのかもしれないけれど、細かい修正も大事だ。
クリエイティブな作業は、ちょっとモードが違うから避けてみる。
割り切って、今日はここをやると決めた方が効率がいい。
集中しないと出来ない作業と、逆に弛緩の中でしか思い浮かばないクリエイティブな作業と。
その両方を行ったり来たり出来ればそれが一番なのかもしれない。

そういう中で、一つ、強く思ったことがある。
それは、完成披露試写会以降に感じたことだ。
自分は、セブンガールズという作品の持つ力を、企画当初から強く信じている。
この作品を映像化したら、すごく面白い作品になると思って今日まで来ている。
だから、もう、当たり前になっていたのだけれど。
試写会以降、出演者たちが、一人でも多くの人に観てもらいたいという気持ちを強くしていることを感じた。

これはすごいことなんじゃないだろうか。
・・・というのも、出演者は、自分の出ている映画なんて完全な客観で観るのは難しかったりもする。
それなのに、出演者が試写会で笑い、泣き、感動して、一人でも多くの人に観てもらいたいと願う。
つまり、作品の持つ力を、自分の目で見て信じたという事なんじゃないだろうかと。
明らかに初号試写の後とは反応が違いすぎる。
公開が決まったというのもあるけれど、それだけで説明できるようなものじゃない。

これと同じことが、もし、出演者じゃなくて公開初日から生まれ続けたら・・・。
一体どういうことになっていくのだろう?
試写会に来てくださった方々の力強い言葉を思い返してみても。
どんなことが起きるんだろう?とワクワクしてしまう。

皆が少しずつ協力してくれる。
あまりにも貧弱な宣伝部隊なのかもしれない。
でも、これほど、作品を愛して、作品の力を信じている宣伝部隊なんて、そうはないはずだ。
これは、仕事じゃないんだから。
むしろ、宣伝部隊としか名乗れないだけで、宣伝ですらない。
セブンガールズという大きなコミュニティを創っているような感覚だ。

楽しそうであればいいと思う。
なんか、あいつら、楽しそうだな。
なんか、セブンガールズ周りって、面白そうだな。

そんな風に思ってもらえたら、それだけでいいのかもしれない。

どうせワクワクするなら、たくさんの人と一緒にワクワクしたいもんな。

3
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:15| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

解放される前のエネルギーの塊のような

朝起きて書き出してあったデータをチェックする。
想像を超えてサイズが大きい。
エンコード予測サイズも、長尺だと大きなずれが出てくる。
毎度のことながら、ため息。
再度、書き出し指定して、PCを立ち上げたまま家を出る。

帰宅すると書き出しが出来ていたので軽くチェックして、転送サイトにアップロード。
これも結局、時間がかかる。
今の時代のネットワークで時間がかかるのはやっぱり動画ぐらいだ。
4Kが浸透してきたけれど、結局、こういう部分がとっても難しいと思う。
サンプルを書き出せば、まだ軽くなるけれど、結局最終版ではフルデータが必要なわけで。
エンコードも、書き出しも、データ転送も、保存するHDDも、全てが重くなるはずだ。
足回りの悪さは不詰まりを起こす。
さて、あとは書面周りだなぁ。

劇団とは別で出演してくれている役者もいて。
先日の試写会で初めて映画を目にしてくれたのだけれど。
用事があって決起会には参加できなかった方がいる。
セブンガールズを観て、どう思ったかな、どうだったかな?と心配になっていた。
役者であれば、初見はどうしても自分の芝居を確認してしまったりもする。
どんな風にセブンガールズが映ったのか、気になっていた。

それが、チラシを送ってくれませんかと連絡が来た。
多分、試写会ではそれほどチラシを手に出来なかったんだなぁと思う。
枚数と送付先を確認して、送りますと伝えると・・・。
たくさん、声をかけたい!という返信があって。
なんというか、なんというか、幸せな気持ちになって。
ああ、映画を観て、試写を観て、宣伝したいと思ってくれたんだ!となんだか、グッと来た。

うちはあまりこれまで客演というのはない劇団だった。
内部で、ひたすら自分たちで高めていったというのがある。
そうなると、少し排他的なイメージがあるかもしれないけれど、実は全然そういう事はない。
例えば新人が来れば、阿吽の呼吸で誰かが声をかけたり輪に入りやすいようにする。
いつものスタッフさんの助手さんの新人さんでも、初めて参加した人にはむしろ自分たちから声をかける。
むしろ、あっという間に仲良くなってしまう。
セブンガールズの撮影期間の5日間、共に過ごした役者たちともたくさん話をした。
皆で笑いあって、飯を食って。
もちろん、スタッフワークまでは手伝わなくて良いですよ!としながらだけれど。
立ち回りの練習とか、男同士だけの面白さとかもたくさんあって。
そういうなんていうか、撮影時だけじゃなくて、撮影の合間の笑顔とかが急に記憶に蘇ってくる。
出演した映画を宣伝したいという気持ちになってくれたということが、どういうことか。
ふと、考えると、なんだか、涙が出そうになる。

役者として呼ばれたのにね。撮影の終わりの頃には、パネルを外すのを手伝ってくれたりね。
火を焚いていたら、それ、見てますよ!と、番をしてくれたこともあったりね。
撮影直前まで立ち回りの練習を一緒にしたりさ。
そうそう、あの夜のあのシーンの撮影の時は、面白かったなぁなんて思い出して。
そういうなんというか、あの場で出会った役者が、出演して良かった!って思ってもらえるかは大事なんだって思う。

試写会の後、撮影監督が決起会に来れなくて、メールのやり取りをしたのだけれど・・・。
初号試写の時は色味が確認できないからとあえてちゃんと観ないようにしていたからスクリーンではほぼ初見。
そんな中で頂いた言葉。
「この作品に携われて嬉しい」という一節。
大ベテランの、プロの現場で撮影を重ねた人からもらえた重い一言。
それを目にした時も、じわって、涙がにじみ出て。
あれは、なんだろう。
涙が流れるんじゃなくて、ゾクゾクとして、にじみ出てくるような感じは。

いつも一緒にいる仲間たちの涙だって、もちろん嬉しい。
その一言一言だって、当然、通じている。
何も言わなくたって、時には悪い口調で言い合っていたって、わかってる。
なんだったら、恥ずかしくて、褒め合う事なんかほとんど出来ない。
でも、だからこそ、ほんの一歩だけ外側にいた皆様から届く言葉が直接的で、一発で胸に来る。

ああ・・・まだ観れていない方も、初号ではない場所で客観的に観れていない方もいる・・・。
長くお世話になった古賀さんにさえ、まだ観れてもらっていないのだ。
あの予算で、あの撮影日数で、こんな映画が出来たことを、映画関係者ほど誰も信じない。
「これ、億の予算が必要なやつですよ・・・。」
最初の打ち合わせでシナリオを読んで出てきたその言葉は、最後まで、おいらのガソリンだった。
億の予算が必要な映画が、ここに完成していますよ!!
皆様の完璧なスタッフワークが、作品の持つ感動とは別に、大きな大きな感動の形になっているんですよ!
伝えたい。伝わって欲しい。

でもまだ公開していない。
完成したから、喜んでもらえたけれど。
全然、還元できていない。
関わあってくださった全ての皆様がハッピーになれるような。
そんな風になりたい。なる。
ならなくちゃいけないんだ。
それは全て「これから」なんだ。

郵送したチラシの到着確認のメールが来た。
「僕の映画のチラシ」
そんな風に思ってくれたら嬉しい。

ああ、ダメだダメだ。
どうも、涙もろい日々が続いている。
まだなんだぞ。これからなんだぞ。

4
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:56| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。