朝一番でデータの書き込みが完了しているのを確認して試写会会場に連絡をする。
郵送するか悩んで、結局、手で運ぶことにする。
会場は何度か行ったことがある場所だけれど、もう一度、空気感を知っておきたかった。
迷うことなく会場に到着して、試写会上映のデータを手渡す。
データチェックして、問題がなければよいけれど・・・。
そのまま帰宅して、印刷データの修正。
これも、実際に公開する上映館からの修正依頼に対応するためだ。
やるべきことは決まっている。
GOが出るまでは、修正の繰り返し以外にない。
そろそろ入稿できるかな。
何度だって修正していく。
印刷物の入稿が終われば、別のフェーズに入っていく。
0時を越えたのでPVの第12弾を公開する。
これまでとは色々と違う。
もちろん、CGなどの過剰なエフェクトは避けて、実際の演出以上のことはしない哲学はそのまま。
ただ、まったくタッチが変わっているはずだ。
一人ずつ紹介してきた女たちとは打って変わって、物語の中で流れる構図の一つの紹介とも言える。
女たちがそれぞれにバックボーンを抱える。
それだけでも十分だけれど、物語そのものにもバックボーンがある。
そもそも、終戦直後という時代という名の前提がある。
「セブンガールズ」という映画の世界観は、こんな角度からも紹介が出来る。
「セブンガールズ」が公開されるK’sシネマという映画館。
昔から新宿を知っていたり、映画ファンであれば、ああ!と思う場所にある。
そこはかつて、昭和館という映画館があった場所だ。
新宿と言えば、歌舞伎町のミラノ座など、大手映画館が立ち並ぶ場所だけど、南口近辺に別の文化があった。
アルゴプロジェクトなんていうミニシアターの黎明期の映画館も南口にあった。
昭和館は、地下でピンク映画、地上でヤクザ映画を上映している映画館だった。
何の映画だったか記憶が曖昧なのだけれど、昭和館には一度だけ足を運んだ記憶がある。
実はすぐそばのシアターモリエールという劇場は自分にとって思い出の深い劇場で。
そこで舞台をやるたびに、毎日打ち上げていた店の目の前にあったという事もあって。
なんというか、今も、あそこには昭和館があるのが当たり前のイメージになっている。
昭和館が閉館して、ビルが建ったのも知らなかったけれど、そこにK’sシネマという映画館が出来ていたのも知らなかった。
ヤクザ映画とピンク映画の昭和館があった場所で、セブンガールズの上映というのは、なんだか不思議だ。
シンプルに娼婦とヤクザの映画と思えば、何とも言えず、しっくりくる。
それも、「昭和」と名の付く映画館だったのだ。
今は、K’sシネマは、名画を上映したり、ヤクザ映画の上映なんてしていないけれど。
ビルの中の一つになったから、とってもきれいな劇場だけれど。
思い出したのは、あの昭和館だ。
メインの通りから路地に入ってそこに行けば。
いつ行っても、高倉健さんのポスターが貼ってあって。ギトギトしたピンク映画のポスターも貼ってあって。
煙草やと雀荘の看板が立ち並ぶ路地で、随分古い映画をいつも上映してるなぁなんて思ってた。
WINSが場外馬券場なんて呼ばれている時代の中にそれは建っている。
日本のヤクザ映画は、その映画史の中でも王道の一つだ。
日本だけじゃなくて、世界中にマニアがいる。
昭和の大物俳優たちの訃報が流れれば、必ずと言っていいほど、ヤクザ映画の映像が流れる。
今も、そのカルチャーに真剣に取り組んでいるのは、北野武監督だけなんじゃないだろうか?
時代が移り変わって、ヤクザ映画は動員を大きく減らしていき、Vシネマの世界に移っていった。
映画製作の予算までは取れなくなっていった。
意外に、今の若手俳優だって、ヤクザ映画をやりたいという役者は多いはずだ。
それはある意味、名優たちが作り上げてきた文化だから。
それでも、映画制作自体が今は少なくなってる。
・・・海外では熱狂的に受け入れられているようだけれど。
麻雀放浪記を書いた作家、阿佐田哲也さんは、かの名作の冒頭で書いていたはずだ。
戦時中はどこかに隠れていたアウトローたちが、意気消沈する敗戦の東京から、湧き出てきたと。
お国のために!と誰もが口にしていた時代、アウトローたちはじっと待っていたように思えたのかもしれない。
敗戦と同時に焼野原に闇市を創り、物資の調達をして、横流しのルートを創っていく。
あっという間に賭場が立って博打うちたちは、サイコロだけで、食い物を調達していく。
敗戦から高度経済成長期に進む中で、アウトローたちの尋常ではないパワーがこの国を生き返らせたのは、事実の一つだ。
パンパンたちが、GHQから多額の外貨を稼いできたことと同じように、まるで黒歴史のように誰も語ることはない。
セブンガールズはヤクザ映画ではない。
一つの要素として、それが入っているだけだ。
このPVを観ると、まるでそれが中心にあるように思えるかもしれない。
けれど、それも要素の一つに過ぎない。
物語は重層的に進んでいく。
全体が、息を吹き返そうとしている。
焼野原から、立ち上がろうとしている。
それがセブンガールズだ。