2018年06月30日

PV第12弾公開


朝一番でデータの書き込みが完了しているのを確認して試写会会場に連絡をする。
郵送するか悩んで、結局、手で運ぶことにする。
会場は何度か行ったことがある場所だけれど、もう一度、空気感を知っておきたかった。
迷うことなく会場に到着して、試写会上映のデータを手渡す。
データチェックして、問題がなければよいけれど・・・。

そのまま帰宅して、印刷データの修正。
これも、実際に公開する上映館からの修正依頼に対応するためだ。
やるべきことは決まっている。
GOが出るまでは、修正の繰り返し以外にない。
そろそろ入稿できるかな。
何度だって修正していく。
印刷物の入稿が終われば、別のフェーズに入っていく。

0時を越えたのでPVの第12弾を公開する。
これまでとは色々と違う。
もちろん、CGなどの過剰なエフェクトは避けて、実際の演出以上のことはしない哲学はそのまま。
ただ、まったくタッチが変わっているはずだ。
一人ずつ紹介してきた女たちとは打って変わって、物語の中で流れる構図の一つの紹介とも言える。
女たちがそれぞれにバックボーンを抱える。
それだけでも十分だけれど、物語そのものにもバックボーンがある。
そもそも、終戦直後という時代という名の前提がある。
「セブンガールズ」という映画の世界観は、こんな角度からも紹介が出来る。

「セブンガールズ」が公開されるK’sシネマという映画館。
昔から新宿を知っていたり、映画ファンであれば、ああ!と思う場所にある。
そこはかつて、昭和館という映画館があった場所だ。
新宿と言えば、歌舞伎町のミラノ座など、大手映画館が立ち並ぶ場所だけど、南口近辺に別の文化があった。
アルゴプロジェクトなんていうミニシアターの黎明期の映画館も南口にあった。
昭和館は、地下でピンク映画、地上でヤクザ映画を上映している映画館だった。
何の映画だったか記憶が曖昧なのだけれど、昭和館には一度だけ足を運んだ記憶がある。
実はすぐそばのシアターモリエールという劇場は自分にとって思い出の深い劇場で。
そこで舞台をやるたびに、毎日打ち上げていた店の目の前にあったという事もあって。
なんというか、今も、あそこには昭和館があるのが当たり前のイメージになっている。
昭和館が閉館して、ビルが建ったのも知らなかったけれど、そこにK’sシネマという映画館が出来ていたのも知らなかった。

ヤクザ映画とピンク映画の昭和館があった場所で、セブンガールズの上映というのは、なんだか不思議だ。
シンプルに娼婦とヤクザの映画と思えば、何とも言えず、しっくりくる。
それも、「昭和」と名の付く映画館だったのだ。
今は、K’sシネマは、名画を上映したり、ヤクザ映画の上映なんてしていないけれど。
ビルの中の一つになったから、とってもきれいな劇場だけれど。
思い出したのは、あの昭和館だ。

メインの通りから路地に入ってそこに行けば。
いつ行っても、高倉健さんのポスターが貼ってあって。ギトギトしたピンク映画のポスターも貼ってあって。
煙草やと雀荘の看板が立ち並ぶ路地で、随分古い映画をいつも上映してるなぁなんて思ってた。
WINSが場外馬券場なんて呼ばれている時代の中にそれは建っている。

日本のヤクザ映画は、その映画史の中でも王道の一つだ。
日本だけじゃなくて、世界中にマニアがいる。
昭和の大物俳優たちの訃報が流れれば、必ずと言っていいほど、ヤクザ映画の映像が流れる。
今も、そのカルチャーに真剣に取り組んでいるのは、北野武監督だけなんじゃないだろうか?
時代が移り変わって、ヤクザ映画は動員を大きく減らしていき、Vシネマの世界に移っていった。
映画製作の予算までは取れなくなっていった。
意外に、今の若手俳優だって、ヤクザ映画をやりたいという役者は多いはずだ。
それはある意味、名優たちが作り上げてきた文化だから。
それでも、映画制作自体が今は少なくなってる。
・・・海外では熱狂的に受け入れられているようだけれど。

麻雀放浪記を書いた作家、阿佐田哲也さんは、かの名作の冒頭で書いていたはずだ。
戦時中はどこかに隠れていたアウトローたちが、意気消沈する敗戦の東京から、湧き出てきたと。
お国のために!と誰もが口にしていた時代、アウトローたちはじっと待っていたように思えたのかもしれない。
敗戦と同時に焼野原に闇市を創り、物資の調達をして、横流しのルートを創っていく。
あっという間に賭場が立って博打うちたちは、サイコロだけで、食い物を調達していく。
敗戦から高度経済成長期に進む中で、アウトローたちの尋常ではないパワーがこの国を生き返らせたのは、事実の一つだ。
パンパンたちが、GHQから多額の外貨を稼いできたことと同じように、まるで黒歴史のように誰も語ることはない。

セブンガールズはヤクザ映画ではない。
一つの要素として、それが入っているだけだ。
このPVを観ると、まるでそれが中心にあるように思えるかもしれない。
けれど、それも要素の一つに過ぎない。
物語は重層的に進んでいく。

全体が、息を吹き返そうとしている。
焼野原から、立ち上がろうとしている。
それがセブンガールズだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 10:02| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月29日

ゴールはここじゃないから

いよいよ本チラシの入稿もあと一歩。
出来上がったデータを送付して、再確認。
その後、まだ文字情報などは変更があるのかもしれない。
とにかくギリギリまで進めていくしかない。

ギリギリメールで送付し終わった時、日本戦が始まる。
フェアプレーを続ける日本について、これまで色々言われてきた。
日本にはマリーシア(ずるがしこさ)が足りないとか。
戦術的ファウルが少なすぎるとか。
他の国のファウル数に比較すると非常に少ない。
20試合連続退場者がいないというのも、W杯記録なのだという。
海外から監督を招聘すれば、必ず、ズルさを身につけるべきだと発言がある。
確かに今まで、何度も、そこで負けてきたし、不利を背負ってきた。
それなのに、そのフェアプレーの精神で、決勝トーナメント進出が決まった。

日本のフェアプレー精神は、恐らく骨の髄まで沁み込んでいる。
実際、今回の試合の終盤のパス回しをした選手の中には苦しそうな雰囲気さえ見えた。
学校の運動会でもフェアプレー宣言をして、例え勝利をしても、汚い手を使えば非難される国だ。
現実的には今日まで、日本戦を消化試合として、同じようなことを強豪国にやられてきたのに。
いざ、自分たちがやると嫌悪感を持つ人も多いのかもしれない。
でもあれを汚いと思う国は少ないと思う。
むしろ、攻めてこなかった相手国にそう思う事はあったとしても。
そのぐらい、普通のことだ。

この潔癖な日本人のもつ儒教的精神は、美徳そのものだ。
今回はその美徳が勝利を呼び込んだ。
イエローカードの数が少ないのは、胸を張れる事実だ。
レッドカードをもらったことがないのは、日本の誇りだ。
だから、今回の決勝進出は、自分的には素直におめでとう!と思った。

試合が終わるなり、もう一つの楽しみを。
今期、感動し続けてきた作品「MEGARO BOX」
あしたのジョーをモチーフにした作品。
ラストに一気にしびれる。
真っ白になったジョーとは違う「あした」が描かれていた。

作業に戻る。
データの作成。
今もプログレッシブバーがじりじりと動いている。
40GB近いデータの作成か・・・。
これが完了したら、実際のモノを作成する。

さあ。
佳境になってきた。
スケジュールはびっしりさ。
全部、やれているのかな?
自分で自分をマネジメントしなくてはだ。

結果的に主力を休ませて。
ほぼ全ての選手にピッチを踏ませて。
消耗も少なく、経験も深めて。
そして一体感を手にして、決勝に進める。
西野監督のマネージメントは、素晴らしいと思う。
現実的な肉体の部分と、観念的な精神の部分まで、全て計算している。
強豪国の進み方だよ、それって・・・。

スポーツには学ばされる。
自分がその日を迎えるまで。
そのマネージメントぐらい、きちんとしていかなくちゃだ。

自分で自分を盛り上げていくのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:18| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

今も、夢を書き出している

日中にいくつかの連絡。
いよいよ機が熟してきた感がある。
そろそろ決まる。
入稿〆切は待ってくれないのだ。

帰宅してからは、映像の最終確認。
映画上映をする場合は、事前に上映用のデータを映写技師に納品する。
それはDCPであろうとフィルムであろうとそれ以外だろうと変わらない。
既に完成しているものの、監督の再編集も入っている。
つなぎ目を中心に最終的な確認。
コマ単位の微調整がいくつかあったけれど、概ね問題がない。
試写会の映写技師への納品日まで、あと数日を残すだけだ。

W杯のドイツ戦に驚く。
小さなミスの積み重ねが、不運を呼び込む。
「神はディティールに宿る」という言葉は嘘ではない。
ほんの小さなパスミスが重なるだけで、運が変わる。
チャンピオンの厳しさ。研究されつくして、その上で、チャンピオンとして戦わなければならない。
世界中が衝撃を受けているだろうなぁ。
サッカーのような攻守が激しいスポーツは、常に挑戦者のメンタリティの方が優位なことが証明されているように思う。
そういう意味では王国ブラジルはなんとすさまじいのだろう。
でも、ブラジルは前回大会の雪辱をする機会を失ったのか・・・。

コマ単位の微調整なんて、大した意味はないかもしれない。
けれど、編集しなおしたところの例えば音声をヘッドフォンで確認して、ほんの小さなため息が気になったりもする。
その違和感を1コマ落とすだけで消すことが出来るなら、それをやった方がいい。
ディティールを詰めるというのはそういう事だ。
1秒間に約24コマ。
全てのコマが並んでカットになって、カットが並んでシーンになって、シーンが続いて映画になっていく。
神様がそこに潜んでいると言われれば、間違いなくそうだよねと答えてしまう説得力がある。

今、書き出しをしている。
昔のPCだったら、専用機でも書き出し中はPCを触ることなんか出来なかった。
もしなんらかのエラーが出れば、数時間の作業をやり直すことになった。
けれど、今は、落ちることもないし、メモリ使用量にもまだ少し余裕分がある。
データの書き込みだって、エラー数は減っている。
触らないでおこうかと思ったけれど。
BLOGを書いても、書き出しのスピードが落ちている気配すらない。
まぁ、PCの温度が高くはなっているけれど。

今、ブラジル戦がやっているけれど、あまり楽しむことが出来ない。
ゴール!と聞こえて初めてリプレイを観るような状況だ。
集中しすぎていると、それすら気付かない場合もある。
たまたま機械任せの部分が大きい作業だから気付いているようなものだ。
明日の日本戦は、手を止めるけれど。

残り時間が表示されている。
2時間弱だけれど、信用できない数字だ。
平均速度からの予想時刻だけれど、データの思い長尺の映像は、平均速度では測れない。
最後にデータをまとめる時にエラーが出ることだってあるのだから。
数十GBのデータを書き出すとはそういう事だ。
書き出し中で、試合中。
とりあえず、布団に潜り込もう。
明日の朝、データが出来ていれば問題なし。
エラーが出ていたら、もう一度やりなおすだけだ。

予選三戦目ではエラーが出れば終戦になっていく。とりもどせない。
そういう大事な試合をしている選手たち。
自分はやり直せるのだ。
幸せなことだ。
エラーだらけの人生かもしれないなとふと思う。
これまでいくつのエラーを起こしてきたのだろう。
これまでいくつの不運を自ら呼び込んできただろう。
慎重に、経験を生かして、小さなところから運を呼び込んでいこう。

今、書き出しているのは。
たくさんの人の思いが一つになる瞬間のための映像だから。
頼むぜ。
明日の朝まで。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:16| Comment(0) | 映画公開への道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする