稽古場に入ると同時に稽古準備に入る。
倉庫班がいないので、バミリから音響セッティングまでモクモクと取り組む。
稽古場に舞台と実寸大の枠が描かれて、コンポから音楽が鳴るようになる。
これで、万事準備OK。
後は、稽古に挑むだけ。
最初の班の稽古から、音も出す。
同時に、搬入する印刷物の到着確認の連絡。
ちょっと慌ただしい。
色々やるけれど、同時進行は慌ただしい。
稽古では演出直しを坦々と。
どう直すのかは頭の中でシミュレーションしてあった。
それを簡単に説明して、間の部分だけ直す。
すぐに、理由を察してくれる俳優。
まったくありがたい。
恐らくきっと多分、この世の中の全ての演出家が羨ましいと感じるであろうメンバーだ。
こう動いてと説明すれば、そう動いてくれる。
それを観て、動いてから、ここで一旦、静止してからにしてと言えば、すぐに意味まで察する。
それで出来て行っちゃうんだから。
印刷物の到着に若干トラブル。
稽古終わりには揃ってよかった。
稽古中に、他のことを考えるのは気がとられて厭になる。
倉庫班が到着して、監督の班の稽古。
むしろ、音があっての稽古のような時間が続く。
一瞬の気も抜けない場所。
演出家の言葉を、役者がどう聞くのかって言うのは、観ていてすぐにわかる。
自分が最初に出会った師匠は演出家の言葉の3割が伝わればいいほうだとよく口にしていたけれど。
伝えたいことの伝わり方が、役者ごとに違う。
そう思うと、監督と二人で演出をした時間がいかに貴重だったのかと改めて思う。
映像は演出された演技を、再度、意図的に加工していくことだ。
演出意図があからさまになっていく。
何をしたいか、このシーンで何を伝えなくちゃいけないか、何が落ちているか。
監督が観ている景色に、たかだか一歩だけとは言え、近づける時間だった。
通し稽古が始まる。
本番同様の、各作品と作品の間の繋ぎも含めての。
どこで準備をして、どこでスタンバイをして、どこで始まるか。
そして終わった後に、どのぐらいの時間で暗転の中、動くのか。
そういう事まで解る通し稽古だ。
個人的には先週の方が少し良かったように思う。
役者というのは実に繊細な生き物で、初めて監督に見せる緊張感が一つ抜けただけで少し変わる。
その少しがないだけで、何かが足りないような微かな違和感になる。
もちろん、舞台本番の初日はもう一度緊張するし、二日目以降もお客様たちが初見なのだから緊張する。
そこはそれほど心配するようなことでもない。
通し稽古が終わって、ダメ出し。
監督から各作品にも言葉をもらう。
ハッと気付くような部分がある。
すぐに直せるところだから小屋入りして、場当たりで直せる。
なんだったら、シュートの時間に直せるようなこともあった。
余った時間で、再び演出が始まる。
最終通しの後でも稽古はするのだ。
稽古して直して、確認して、直す。
それは、最終稽古なんて言葉なんかないかのように、続いていく。
小屋入りしても、初日が空けても。千秋楽のその日まで。
WEBやPV、チラシ、仮チラシのことで、ちょくちょく声をかけられる。
WEBを観た。PVを観た。仮チラシもらった。
少し胸をなでおろす。
皆も、この「カクシゴト」という舞台に集中しながら。
映画「セブンガールズ」の情報解禁が近づいていることに、敏感になり始めた。
はじまる。
帰りはトラック班の車で。
うちのある荷物の引き取りに来てくれる予定だったけど。
今回は劇場の大きさ的にも、ミシンなどの大物は持っていかないからいいよと断る。
でも、結局、車で家まで。
延々と、芝居の話や、映画の話をつづけた。
ある意味、これはもう、舞台前の儀式になっている。
呑まないで帰宅して、軽食をとったら、眠ってしまった。
少しだけ作業をしようと思っていたけれど、諦める。
舞台の事務作業だけして、今日はもう寝よう。
明ければ劇場入り。
搬入から、仕込み、シュート、ゲージ。
やることは山のようにあるのだ。
20年間そうやってきたのだ。
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